◇◇◆◆◇◇a trigger

「では次に夏季クラスマッチの種目なんですが……」

生徒会室で、まさに会議中。
外側の窓の一枚がいきなりバンッと大きな音を立てて開く。
生徒会の全員が目を丸めて、視線を向けて、そして、ものの見事に全員が硬直した。
窓の向こうに顔を覗かせていたのが、あの樋口だったからだ。
何しに……と思って、俺はすぐさまハッとして副会長の冴さんを見やった……って、やばい! それはやばい冴さん! なんか悪霊に取り憑かれた人だよ!! ガタガタ体震えちゃってるよ! 目が、瞳孔! 瞳孔開いちゃってるって!!

「木村冴サン、ちょっとこっち来て」

予想通り、一目で視線の先に冴さんを捕らえた樋口は、淡々と彼女をそう呼ぶ。それに、ビクーンッと反応した冴さんは、散々四方八方に目を泳がせた後、俺と視線が合うと、死に物狂いで『助ケテー!』とアイコンタクトを送ってきた。よ、よしきた!
『ビシッ!』
見よ、冴さん! これがオレの腕が作れる最大級の×マークだ!

「…………」
「…………」

しばしの沈黙。そして。

「この裏切り者ーーッ!!」
「木村冴」
「はいぃっ!只今参ります!!」

さっきより明らかに苛立った声で呼ばれて、跳ね上がった冴さんはギクシャクした動きで樋口のいる窓へと近づいていく。ああ、歩いているだけなのに妙に痛々しい。何故だ。
樋口は窓のサッシに背を預ける形で冴さんを待ち受けていた。冴さんは樋口から約1m距離を置いた場所で直立不動の姿勢をとる。それを横目に眺めていた樋口は左手の肘をサッシ部分に乗せて、その指先をチョイチョイと動かす。
もっと近づけ、というジェスチャーだ。
冴さんは激しく顔を引き攣らせたが、逆らうことはできないと悟っているので、またぎこちない動きで一歩一歩亀のような歩調で近づいていく。やがて二人の距離が20cmくらいになった時、樋口の左手が冴さんのネクタイを掴み上げてグンッと勢いよく引っ張った。

「―――ッ!!」

樋口の顔すぐ横まで顔を寄せる形になった冴さんは顔だけで、絶叫。……いやもうそこまでバレバレなら声に出しちゃっても大して違いはないと思うんだけど。
ああ、せめてもの抵抗なのか、冴さんの片手がサッシを握り締めて、これ以上引っ張られないように力を込めている。そしてものの見事に体勢が逃げ腰だ。

「どどど、どのようなご用件でしょうカ!?」
「冴チャンさー」

樋口の握り締めている冴さんのネクタイがギリギリと音を立てているのは幻聴だろうか。そうであって欲しいなぁ。冴さんのために。うん。

「今日の放課後、屋上来いって言ったよねぇ?」
「ももも、もちろんお聞きいたしましたが! 拝聴いたしましたが! ご覧の通り生徒会の会議がありましてっ、ちょっと無理ですとの意向をメールにてお伝えした感じになってるんじゃないかと!」
「うん、そうみたいだね。で? その後、冴チャンは俺から承諾のメールでももらった?」
「…………いぃ、ただいて、ない、デス」

血の気の引いた顔でそう答えた冴さんに、樋口は胡散臭すぎるくらいににっこりと笑顔を浮かべた。

「ああ、そうだよねぇ、俺そんなの送ってないもんねぇ? こういう場合、冴チャンはどうすべきだったのかな? わかる?」
「…………」

ああ、冴さん。蒼白通り越して、顔が緑色だよ。目の焦点合ってないよ。冷や汗がもう滝だよ、マイナスイオン出しちゃってるよ。

「……………か」
「か?」
「会議なんて、放り出して、怜司さんのところに参上すべきでゴザイマシタ」

カクカクと機械みたいに口を動かして冴さんは答える。
それを聞いて、樋口が口の片端を少し吊り上げた。

「そう、正解。よくデキマシタ」

樋口は若干優しい声音でそう告げると、硬直している冴さんの顔に自分のそれを寄せて……その、なんだ……こともあろうに、公衆の面前で冴さんの唇を端から端までじっとりと舌でなぞって、見せた。
唐突に行われた卑猥な光景に生徒会の面々が赤面して小さく黄色い悲鳴を上げていたが、俺から見れば、それはまるで肉食獣が獲物の今まさに喰い付かんとしているその喉元を舐めたようにしか見えない。つーか、それが正しい認識なんだろう。現に冴さんは頬を赤く染めるどころか、恐怖と衝撃のあまり完全に石化してしまっている。お労しい。
さらに樋口は、これ見よがしに自分の唇もペロリと舌先で舐める。いやもう、エロいから。もう十分、冴さん打ちのめされてますから。そんなトドメ刺さないであげて。
俺が心底哀れみの視線を注ぐ中、完全に起動停止した冴さんの横髪を指先で弄びながら、樋口は言葉を紡ぐ。

「まあ、今日のところは許してやるよ。ただし、この埋め合わせに週末の予定、空けといて。一緒にお出かけでもいたしましょ?」

問答無用の言葉に、冴さんは首の石化だけを何とか解いてコクコクと頭を上下に揺らした。
その返答に満足したのか、樋口は「じゃあな」と薄笑いを浮かべてから、去っていった。
その姿が完全に消えると、冴さんは腰が抜けたようにペタリとその場に座り込む。
それに一部始終を見ていた生徒会のメンバーが群がって興奮気味に質問攻めを始めた。

「副会長! あの樋口さんと付き合ってたんですか!?」
「いつの間に!! 樋口さんって同年代は相手にしないって聞いてたのに!!」
「週末、デートってことですよね!? さっきの!!」
「っていうか、さっきのみたいなのいつもやってるんですか!?」
「ちょいちょい、君たち落ち着きなさいよ。副会長困っちゃうでしょ!」

俺が慌てて制止にかかる。なんとか野次馬どもを押し退けると……冴さんがジョーになってた。燃え尽きて灰になったジョーになってた。ちょっと風が吹いたらサラサラと端から崩れ落ちていってしまいそうな感じになっちゃってた。

「さささ、冴さん! しっかり!」
「柚木君……私、もう駄目だ。週末生きて帰れる気が全くしない。全然しない。1%の希望も持てない」
「だだだ、大丈夫だよ!! ちょっと買い物に付き合うだけだよ!! きっと!! 多分!! おそらく!!」
「ねえ、柚木君。私の骨は半分は海に撒いてね、もっと広い世界を見てみたい。ああ、でも骨見つかるかな? 奴のことだから完全犯罪だよね? やっぱり無理かなぁ」

あははうふふと、冴さんは完全にイっちゃってる。
その哀愁漂う姿に、俺は下手な慰めの言葉が掛けられずに、涙を呑んで唇を噛み締めた。
だが、心に一大決心をして、冴さんの手を力強く握る。

「冴さん、俺……、俺、探すよ! きっと、冴さんの骨拾ってあげるから!」
「柚木君……ありがとう。その気持ちだけで嬉しいよ。でもそんなことしたら柚木君まで奴に」
「いいんだ! 俺達一緒に生徒会を支えてきた仲間じゃないか!」
「……柚木君、ありがとう、本当に。君と今日までやってこれてよかったよ。私はここまでだけど、柚木君はこれからも」
「ああ、任せとけ!! 冴さんの無念は必ず!!」

……と、まあ。
そんな三文芝居(冴さんはいたって真剣だったんだろうけど)を繰り広げながら、俺はそっと樋口が週末、実際のところ、冴さんを連れてどうするつもりなのかと考えを巡らせてみた。
……やっぱ、あれだよなぁ。
ケンさんとこ、だろうなぁ。
樋口は普通に冴さんのこと話してるだろうし。そうなったらあの人も興味持つだろうし、連れてきてよといわれれば、樋口もあっさり連れて行きそうだし。
まあ、そこは問題ない。そこまでは全く問題ない。
やばいのは……その後、だよな?
冴さんの顔を見つめながら、うーんと心の中で唸る。
……樋口の奴、普通に持ち帰っちゃう……よな、多分。
見た感じ、今のところはまだ手は出してないっぽいけど。さっきの接触からして全くそういう対象じゃないってわけでもなさそうだし。というか、いつもセクハラしてるし。
そろそろイタダキマスだよな、樋口的には。
まあ、樋口がその気なら、遅かれ早かれいつかは来るもので、回避不可だとは思うんだけど……。初めてが週末って、どうなの。
なんか、冴さんが心配してるのとは別の意味で生きて帰ってくるか心配なんだけど。

ま、まあ、邪推ならいいんだけどさ。それはそれで。

………念のため、冴さんに最後の切り札でも持たせておくか。うん。
が、頑張れ! 冴さん!






◇◇◆◆◇◇the previous day of a decisive battle

おそらく人生最後になるだろう週末を明日に控えて、生徒会室で物思いにふけっていると、柚木君がやってきて、いきなり何か手渡された。
なんだと思いながら手の中に残されたものを見ると。

「睡眠薬……?」

確かに、ここ最近ストレスとかストレスとかストレスで不眠症気味ではありますが、もはやそれも今日の夜でお終い。今更箱ごとダースも必要ないんですが。
困惑気味に柚木君を見返すと、ことのほかクソ真面目な顔をしていた。

「冴さん、これは本当に最後の手段だよ。奴相手に成功するかどうかの可能性もかなり低いし、成功したところでその後のフォローができないと、バレたら逆にもっと酷い報復を受ける可能性もある。つまり、諸刃の剣なんだ」
「……はあ。……ん? つまり何なの?」

はっきり言って全く何が言いたいのかわからん。
問い返された柚木君は辺りを見回して視線を泳がせた後、意を決したように口火を切った。

「明日、奴と出かけるんでしょ? 俺の予測ではさ、その行き先は多分大丈夫なところだから、安心していいと思うんだ。ただね、日中のお散歩の後ですよ、問題は」
「うん……?」
「あいつ、親いないのは知ってるよね?」
「うん、まあ」
「つまり、奴はマンション一人暮らしなわけだよ」
「へぇ」
「冴さん、呑気な返事してないで!! ここはとても重要なポイントなんだよ!!」

キーキー小娘みたいに身悶えしながら柚木君は訴えてくる。

「つまり! 部屋に連れ込まれたら止めてくれる人はいないの!! そこでアウト!! ゲームオーバー!! ジ・エンド!! 来世にご期待を!! な、わけ!!」
「!」

そ、そうか。そういうことか。私はことの深刻さにはじめて気づいた。

「つまり、密室の中で散々拷問のような仕打ちを受けたあとにやられちゃうってことか!」
「うぐッ!!」

柚木君いきなり鼻押さえた。
何だよ。

「さ、冴さん。前触れなく大胆発言やめて。小鳥のような心臓にダイレクトヒットしちゃうから。っていうか、そういう意味で言ってるんじゃないんだろうけどさ」

思わず想像しちゃったよ……ってブツブツ言いながら柚木君は鼻を押さえた指の合間からポタポタ血を落としてる。なんだ、鼻血か、ティッシュ詰めろ。上向くと逆流するらしいよ。

「冴さんさ……、うーん、まあ、言っておいたほうが、いいよね。分かってないと防ぎようもないし」
「???」
「さっきの、やられるって、殺されるの意味で言ったでしょ?」
「ん? ああ、うん」

当たり前じゃないか。他に何があるってんだ。

「それちょっと違う。俺が思うに、冴さんは樋口から殴られたり蹴られたり……は多少ないこともないかもだけど、さすがに殺されたりはないと思う。長年奴と付き合ってきた経験からして、冴さんはもっと別の心配する必要がある」
「別?」
「貞操」
「…………」

飛んだ。私の意識は大空に羽ばたいた。

「ちょちょちょちょっと待って! ないない! 確かに初対面でスカートの中手突っ込まれたりディープな接吻をことある毎にかまされたりしたけど! それらはですね!! その後の私の反応を面白がっているだけでして!! 顔面蒼白ガタガタの私を見て奴はサディスチィックな欲求を満たしているだけでして!!」
「うん、だから、そのために最後までやっちゃう可能性もあるでしょ?」
「うひーー!! やめて!! 巧みな誘導尋問やめて!!」
「冴さん現実を見て、決戦はもう明日なんだよ。現実逃避してる時間はないんだ。俺もいろいろ協力するから」

真剣な顔で諭されて、私はうぐっと黙り込む。

「協力って」
「うん、まあ、さすがにご同行して差し上げることはできませんが、アドバイスくらいなら許容範囲だと思う。合間合間にトイレとかでメール打ってくれたり電話くれたりすれば、その時の状況を聞いて、対応の仕方を助言するから」
「…………」
「まあ、第一にお出かけの後はナチュラルにあらこんな時間、さようならまた月曜に学校でねといければ最良だよ。なにはともあれ、部屋まで行かないこと、そこが一番重要!! 万が一それが適わなかった時は、さっき渡した諸刃の剣の出番!!」

言われて手の中の睡眠薬を見やる。

「飲み物とかに混入するとか……まあ、キスした時にそのまま口移しで飲ませちゃうとか」
「このエロ親爺が」
「スミマセン……、その、でも、まあ、手段は選ぶなってこと」

少しへこんだまま、柚木君は何とかそう告げる。
うー……、でもマジか。そうなのか。そういう可能性があるのか。
いまいちピンと来ないんだけどな。
だって、奴、噂では本当に同年代相手にしたことないって話だぜ?
大人な女しか相手にしないって。そいつが私なんかに欲情なんてするか?
奴のことだから「処女? 何それ、面倒クサ」って感じだろ。うん、すごいそんな感じ。つーか、こんな心配してること自体恥ずかしいんじゃないのか。自意識過剰なんじゃないのか。本当に殴る蹴るが来たらどうするんだ。こんな睡眠薬以前に防弾チョッキ用意した方がいいんじゃないのか。

「頑張れ、冴さん!」

なんか、結局のところ全部柚木君の妄想なんじゃないのかと思ったりしながら、とりあえず頷いてやった。




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