「雨、か」
 ボソリと落ちた呟きは雨音に消されて空気の中に溶け込んでいった。
 その呟きの主の口を次についたのは、ため息。
 そして心なしかその顔は憂いを帯びていて……少し怒っているかのようにも見える。
 色違いの双眸がただただ、惜しみなく水滴を降らせ続ける空を窓越しに覗き込んでいた。
 そして、ついに。
「……遅い」
 明らかにその整った眉宇が不機嫌さを誇張しながらひそめられる。
 それも無理はない。
 かれこれ彼女・ラエスリールの相棒が此処に彼女を放り込んで4日が経とうとしていた。
 もともと誰かを待つということに関しては忍耐強いわけでもないラエスリールに、ここまで待てたこと自体、誉めるに値するのではなかろうか。
 というのも以前、こういう状況で痺れを切らし、勝手に外出して痛い目を見たことが在ったからこそいろいろと彼女も自制していたのだが。
 いくらなんでもこれはもう、我慢の限界だ。
「大体、何も言わずにどっかに行くアイツが悪いんだっ。何をしているのかも説明しないで……」
 自然と口から飛び出す言葉は愚痴となってしまう。
 あるいはこの4日の内、あの青年が一目でもラエスリールのもとに会いに来れば彼女もここまで気分を害することはなかったのかもしれなかった。
 だが、来ない。
 それがもたらす結果を青年はわかっているのだろうか?
 いや、わかっていて敢えてそうしているのかもしれないが。
 思惑があろうがなかろうが、結局、青年の心情など知るよしもないラエスリールは限界だとばかりに立ち上がるのだ。
「外に出よう」
 外は雨。
 そんなことはラエスリールとて百も承知だ。
 それでも湿気の怠さも相まってここの部屋に閉じこもるよりかは数倍いいように思えて仕方がない。
 だが扉を前にして、はたりとラエスリールは立ち止まった。
 頭を過ぎったのは深紅の青年の渋面。
 ……きっと後から文句を言われるのだろう。
「……そんなの知ったものか、私の勝手だ」
 その時は言い返してやる。
 そう心に堅く決心して、ラエスリールは扉のノブに手を伸ばした。


 思ったよりも雨音は強い。
 けれどひんやりとした空気がラエスリールには心地よかった。
 さすがにこの中飛び出していくほど馬鹿ではない。
 ただ、雨が迫ってこないほどの距離で天井があるところから空を眺めていた。
───何をやっているのだろうか。
 ふいに疑問が浮かんでくる。
 あの相手と旅をしていて何度と心に浮かべたものであった。
 そして、大抵の場合は知らずじまいで終わる。
 例外があるとすればラエスリールが図らずその中に飛び込んでいってしまった場合であった。
 もちろんその後は嫌味の応酬に晒される。
「勝手なのはあいつの方だ」
 その時のことを思い出して、ラエスリールの心中はまたもや不愉快一色に染まり上がった。
 そして、それはやがて孤独感と取って代わる。
 ……呼べばくるのだろうか。
 そんな思いに立たれて、思わず口を開きかけた。
 結局はいつもと同じように思いとどまるのだが。
 雨音が勢いを増していく。
 空を見上げる瞳に、今は見えぬからこそ強調される光輝き大地を照らす存在が、色濃く映し出された。
 それが、ラエスリールに一つのものを連想させる。
「………父様」
 ラエスリールの心に浮かび上がる、目映いばかりの存在。
 記憶にあるのはその哀れな……悲惨な姿。
 誰が為したか、はラエスリールの中では禁句である。
 自分はやっていない。
 けれど、それを明らかにしたりはしない。
 ただ冤罪纏って逃げる。
 逃げて、逃げて、逃げ続ける。
 嗤われるかもしれない、と思う。
 自分のことを選んでくれなかったくせに、偽善だけは押し付けるのか、と。
 言い返すつもりはない。
 言い訳するつもりもない。
 自己満足の行為であることは自分でも分かっているのだから。
 それでも、為さずにはいられなかった。
 それだけのこと。
「……最低だな、私は」
 自嘲の笑みが自然とラエスリールの口元を彩る。
 外気が打ってかわって肌寒く感じるようになった。
「最低だ……」
 苦しげに顔を歪めて、ラエスリールはその場に蹲った。
 寒い。
 先ほどは心地よく感じていたそれが、今では身に刺さるかのようだ。
 だからといって部屋に戻る気力もなく、ただ両腕でその肩を抱き締める。
 その体が、ふいに温かさを取り戻した。
 慣れた、後ろから抱き込まれる感覚。
 だがラエスリールはただ顔を埋めたまま、見上げようとはしない。
「何だ……今更。用事があるんだろう?」
 戻ってくる暇があるなら、さっさとそっちに専念して終わらせればいい。
 心とは裏腹の言葉を、愛想のない声で言い放ってやった。
 だが、相手はスッパリと言い返してくる。
「こっちが優先だ」
 その何とも勝手な言葉に思わず怒りを感じてしまった。
 嫌味が口を突いて出てしまう。
「………今までほったらかしだったくせに。」
「何だ? 構って欲しかったのか?」
「調子に乗るな」
 揶揄も露わな深紅を纏う存在の声に、そこはかとない憤りが沸々と湧いてきた。
「だいだい、お前はいつも説明なしでっ……そりゃ、言えないこととか在るかも知れないが……お前は全部隠すじゃないか!」
 少しぐらい、教えてくれてもいいだろうに。
 そうやって、全てを覆い隠されるのは、どこか超えられない一線を感じる。
 拒絶されているような、一枚大きな壁に阻まれているような感覚。
 自分が頼れる唯一の存在だというのに。
 見えない相手の顔は、きっと飄々としているに違いない。
 予想通り、追って伝えられる言葉は簡潔かつ、ラエスリールを煽るもの。
「言ってもわからんだろう?」
「………」
 つまりは、自分には理解不可能だと、無知だから、と言いたい訳か。
 ごもっとも、確かに自分は無知だ。
 永久の時を生きてきた柘榴の妖主の知識の足下にも及ばないだろう。
 けれど、……だから何なのだ。
 わかるとか、わからないとかではなくて。
 自分が言いたいのはそういうことではなくて。
「……もういい」
 最近いつもこの言葉で彼との会話を打ち切っているように思う。
 今回も例外なくそれを実行する。
 そして相手の腕を振り払って立ち上がろうと……した。
 けれどふいに顎を捕らえられ、至近距離で視線を合わされる。
 唐突であったため、何よりも目を見開いた。
 そして間近の相手の美貌に絶句して。
「……っっっっっ!!」
 一気に顔が真っ赤に染まり上がった。
「闇主!! だからそういうのは心臓に悪いとっ……!!」
 非難の言葉は指先一本、唇に添えられただけで封じ込まれてしまう。
「今はまだ、知らなくていい。」
 言うなり、闇主はさらにラエスリールをきつく抱きすくめた。
「……闇主…?」
 お前は何を知っているんだ?
 聞きかけた言葉は、あまりのこの抱擁の心地よさに呑み込んでしまう。
「来るときが来れば、勝手に知ることになる。嫌でも、な」
 耳元で囁かれる闇主の声は、低くて思わずうっとりとしてしまうような響きを宿していた。
 だからラエスリールはそれ以上何も言えなくなってしまう。
 ただ、この暖かな抱擁に身を任せていた。
 冷たいはずの魔性の体は、何故か温かかった。
 ふと意識をやれば。
 雨は止んでいた。
「闇主……」
 自分を抱きしめる存在に身をすり寄せる。
 4日ぶりの青年は、どこか優しく感じた。
 愛しいと、思う。
 それが意味するところはまだよく分からないけれど。
 ただ、愛しくて、恋しい。
 身内に対するそれとは違う。
 浮城で優しくしてくれた人達へのそれとも微妙に異なっている。

 この想いは何だろう。

 答えは、この青年がもっているのだろうか?
 それとも、自分自身で見つけなければならないのだろうか?

 わからない。
 それでもただ、ここにいたいと願う。
 この腕の中に。


「……あまり、一人にするな」

 その胸に顔を埋めて小さく呟いた。
 聞こえているのかいないのか。
 ただ、闇主はさらにきつくラエスリールを抱き締める。
 そのままの沈黙の後。
 青年はラエスリールの額に軽く口づけを落として、言った。
「お前こそ、離れるなよ?」
 その苦笑混じりの声に。
 ラエスリールは笑う。
「お前の力なら何処にいたって見つけ出せるだろう?」
「探せ、と?」
「それぐらいしたらどうだ。私は探したぞ?」
「…まあ、いいが…」
 探すまでもなく、どうせ離すつもりはないしな。
 言葉で告げずに心の中で言って、闇主は再び腕の中の少女をきつく抱き締めた。
 肌越しに感じる、速く鳴る、ラエスリールの鼓動の音。
 今はただこの音が消えてしまわぬように祈るのみ。
 ・・・・・・・祈る?
 魔性の王たるこの自分が一体何に?
 決まっている。


 幸福な二人の未来に、だ。





──夜明けはすぐそこで待っている。

                      すぐ、そこに──



         <fin>


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・・・・・・・・すぐそこ・・・・・・・だったらいいな〜・・・ってことで。
久しぶりに清い空気を吸っております。iruです。
久しぶりだ・・・・この表・・・。(T_T)
久々のアップがこれですか。
ええ、これです。何か思いつくままに書きました。
梅雨はとっくに終わってますよ、って突っ込みはなしでお願いします。
なんとなーく書いた物ですから。さらりと受け流して下さい。
ああ、次は久しぶりに鎖サで行こうかと思ってるんですがネタがありません。
全くの皆無!です。<爆
とにかく表をアップできたので満足です。
表やら清い空気やらのこの話が飲み込めない方。
どうか、そのままで居て下さい。
ではでは、iruでした。


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