「これ、本当にもらっていいのか?」
 たじろぎながら、カチャリという音とともに、ラエスリールが先ほどのドレスに身を包んで出てきた。それを見るなり、純白のドレスの時はまだ幼ささえ感じられたが、着るもの一つでここまで変わるものかと青年は心の中で感嘆する。
 膝元まで入ったスリットやスッキリとしている首元は、「少女」とは言い難い艶やかさを感じさせた。
「いつも白を着ていたのか?」
 ふと、聞いてみる。
 これにラエスリールはこくりと頷いた。
「弟が……白が似合うといつも選んでくれるから」
 思わず青年は失笑した。
 ……なるほど、こんな姿で男達の前に立たれたら不安極まりないだろうな。
 純白で幼さを強調していたというわけかと弟の心情を読みとってクツクツの喉を鳴らす青年を、ラエスリールは首を傾げて見遣った。
「ところで、貴方の名前は?」
 しばらくその様子を見守った後、ラエスリールは青年に随分と遅い疑問を問いかける。
「闇主だ」
 どこか妖艶さを感じさせる微笑を浮かべ、青年は応えた。
「闇主さん……?」
「呼び捨てでいい」
 言って、その細い腰に手を回し、自らの傍へその美貌の主を引き寄せる。
 その瞬間、一気に彼女の顔が真っ赤になった。
「!! ちょっ……!?」
「さっきの奴らみたいなのに追いかけ回されるのは御免だろう?」
 間近であの艶やかな笑みを向けられ、ラエスリールは心臓が大きく脈打つのを痛感した。
「……どういう意味だっ」
 異性の男とここまで至近距離になるのはラエスリールにとって初めてのことだった。
 対処の仕方も何も、何だかもう、訳が分からない。
 顔は熱いし、頭の中も真っ白だ。
「解決方法を教えてやろうか?」
 青年が耳元で甘く囁く。
 背筋をゾクリッとしたものが走った。
 とにかく離れなければっ……もうそれしか頭に浮かばない。
「……っわかった!! わかったから放してくれっ!!」
 何がわかったというのか。
 自分でも支離滅裂なことを叫んでいるのは分かっていたが、何しろ頭の中は混乱を極めていたのだから仕方がない。
 だが、それを青年は何かの肯定に受け取ったらしい。
 じゃあ、行こうと再びパーティー会場へと足を進めだした。
「何っ、何なんだ!?」
 腰に手は回されたまま。
 その感覚に腰が抜けそうになるのをなんとか耐えながら、ラエスリールは闇主と名乗る青年のされるがままにエスコートされていた。
 すぐに、またあのパーティーの騒がしさが耳を突く。
 ちょうどダンスタイムが始まったらしい。
 水のように流れる音楽の中で、多くの人々が軽やかのステップを踏んでいた。
「行こうか」
 ラエスリールの混乱の声を今の今まで無視し続けていた青年が、その口を開く。
 その言葉の意味するところは明瞭で……。
「!? だだっ、駄目だ!! 私は踊ったことなんか……っ!!」
「大丈夫さ、リードしてやるから」
 何でもないことのようにサラリっと青年は言ってのける。
 そして、そのままダンスの輪の中へスルリと分け入っていった。
「本当にっ!! 一回もないんだ!!」
 なお上げる抗議の声を青年が遮る。
「大丈夫だって、ほら踊ってるじゃないか」
 言われて……驚いた。
 本当に一度も踊ったことなどないというのに流れるように足がステップを踏んでいる。
 否、踏まされているのだ。この青年に。
「……すごい」
 今まで眺めるしかなかったものを、青年のおかげではあるが、自分は今当然のようにやってのけている。
 新鮮な感動に、自然と気分は高揚していった。
「これだけ親密そうにしてりゃ、下手に近寄ってくる奴もいないだろう」
「……?」
 いまいち相手の言葉が理解できないラエスリールは首を傾げてみせる。
 その反応が面白かったのか、青年は苦笑するような笑みでラエスリールを見つめた。
 ふと、その視界の端に一人の少年が映った。
 誰もが、羨望の眼差しを自分達に向けている中で、ただその少年のそれだけは違う。
 そこに浮かぶのは明らかに憎悪。
 金色の光沢のある髪に、緑柱石の鋭い瞳。
 どこかで見た覚えがある。
 しばらく記憶を探って、ああ、と思い出した。
 前に取引先で見た者の顔だった。真面目くさくて気に入らない男の息子だったはずだ。
 それが何故、自分にそんな視線を向けているのか。
「闇主?」
 眉をひそめたこちらの様子が気になったのか、腕の中の少女が不安そうな顔で覗いてくる。その、瞳。
 見ようによっては「金」にも見えるそれ。
「……そういうことか」
 何かを理解し、青年が困ったような表情でまいったと呟きを漏らす。
「闇主?」
 再び不安そうな声で呼びかける。
 どうしたのだろうか。
 自分が何か気に障ることでもしたのかとラエスリールの表情が少し曇った。
「なんでもない」
 それに気づいた青年はすぐさま少女を抱く腕に力を込めてやさしく囁く。
 その行動に、少女がまた真っ赤になり、少年の視線に含まれる殺気が明らかに膨れあがったのを感じた。
 クツクツ、と。
 青年は失笑を堪えることが出来なかった。
 いつの間にか、つまらなかったパーティーがまるでモノクロがカラーに変わるようにその色彩を鮮やかに変化しているのだから。
 きっかけはこの少女。
 まあ、親には問題があるが、それを差し引いてもこの少女は彼にとって何よりも魅力的だった。ここまで切に手に入れたいと思ったのは初めてかも知れない。
 少年が見ているのを十二分に配慮した上で、少女の髪に軽く口づける。
 ……いい加減、限界がきたらしい。
 拳を硬く握った少年が一歩、一歩とこちらに足を進めてきていた。
 その反応を実は待っていたのだ。
 だが、この少女との時を割って入ってくるのを許してやる気など毛頭無い。
「うわっ……っと」
 いきなり今までとは異なったステップを踏み出した青年に、ラエスリールは思わず躓きそうになりながら何とかついて行く。
 よって、周りを見る余裕など皆無で、もちろん歩み寄ってこようとする弟の存在にも気づかない。
 そして青年がダンスに変化をつけたことに戸惑ったのは何もラエスリールだけではなかった。
 二人の元へと行こうとしていた少年は、奥へ奥へと人波の中へ埋もれていく二人にあっと声を上げた。
 焦って急いで追いかけようとするのだが、何しろダンス場の上だ。
 幾人ものダンスを楽しむ人々が行く手を塞ぐ。
 いつも、姉の傍にいて、ダンスなど今までしたことがない少年はすぐに四方を囲まれてしまって、元の場所に戻ることも出来ず途方に暮れるしかないのであった。
 その姿を遠目に眺めながら、例の彼がほくそ笑んだことは言うまでもない。
 必死の姉への呼びかけも、この青年を前に届くことはなかったのであった。


 日の落ちた暗闇の中庭。
 そこで頼りになるのは薄暗い外灯だけだった。
 パーティーのざわめきが少し遠くに聞こえる。
「少し、疲れたか?」
 どこからか持ってきた両手のワイングラスの一つを、青年は涼風に髪を遊ばせるラエスリールに差し出して笑った。
「ああ、少し調子に乗りすぎたかな」
 微笑み返してラエスリールはそれを受け取る。
 ちょうどその時、何かの虫が鳴き出した。
 それに、静かに聞き入る。
 こんなに心が落ち着くのは初めてかもしれないとラエスリールはほっと息をついた。

 ───綺麗だ

 耳に届くその音も、そして……。

「どうした?」
 自分に向けられていた視線に気づき、闇主が首を傾げる。
 覚えず、ラエスリールはボッと赤面して思いっきり顔を背けた。
 無意識のうちに見とれていたなどと、とても言えない。
「その……今日はいろいろとすまない。世話になった」
 恭しく呟きを落とす。
 それに青年はキョトンとした。そして、笑う。
「何をいまさら……俺も十分楽しませて貰ったさ」
 そう囁いて、彼はワインを一口、口に含んだ。
 その様子をしばし見つめて、ラエスリールも手の中のワイングラスに視線を落とす。
 ある言葉が、少女の喉元まで上がってくる。
 言っても良いのだろうか。
 このままワインを口にしてしまえば一緒に飲み込めたのかもしれない。
 だが、そのワインの色彩と、微かに震える手がそれを拒んだ。
「……また、会えるだろうか?」
 落とされた、その言葉。
 一瞬、青年が驚く気配が伝わってくる。
「あっ、いや……その…ダンスを教えて貰いたいな……と」
 慌てて付け加えた。
 今更ながら、言うんじゃなかったと後悔の念が湧き上がってくる。
 拒絶されることは、少女にとって何よりも心痛むことだった。
 生まれる前から跡継ぎだと期待されながら、女だと知れたときの周囲の落胆は幼い彼女を見る視線にも如実に表れていた。
 それは弟が生まれるまでずっと続いたのだ。
 確実にトラウマとなって、彼女の人付き合いをひどく悪化させていた。
 そんな彼女にとって今の質問に対する相手の返答を待つ時間は、例え一瞬だったとしても永劫の時間に感じるものであった。
 フッと、微かに相手が微笑む気配を感じる。
 そして……。
「教えて欲しいのはダンスだけか?」
 青年の、甘い艶やかな声に響きが耳に届く。
 その声に誘われるがままに青年を見上げた。
 それと同時に…・・・。

 ───カシャンッ

 顎を捕らえられ、そして引き寄せられ……。
 彼女の手の中から滑り落ちたグラスが音を立てて割れる。
 放り出された青年のそれもまた、同じ運命を辿った。
「……っ……」
 暗闇の中で微かな外灯の光が、二人をかろうじて映し出す。
 しばしの間の後、離される彼の唇と彼女のそれ。
「……闇っ……」
 息を切らしながらの呼びかけは、無言で再度重ねられる口づけに遮られてしまう。
 クラクラと眩暈がした。
 頭の中は真っ白で、でも、どこか幸福感で満たされている。
 自分は一体どうしたのだろう。
「……いつでも俺の元に来ると良い」
 幾度となく交わされた口づけの後、青年が耳元で妖しく囁いた。
「……闇……」
「何なら今すぐ攫ってやろうか?」
 きつく腕の中の少女を抱きしめたまま、彼女の頬に掛かっている髪を端麗な指先で払いながら笑って問いかける。
「共に……在れるならば」
 それも悪くない、と。
 その深紅の輝きに、虚ろげな表情のまま、ラエスリールはそう呟いて青年の胸に顔を埋めた。


 深紅のワインがドレスを微かに濡らしている。
 だが、元よりその色彩に染まっているそれには意味のないこと。
 そう、元より深紅に魅せられた少女にも……。


<fin>




いや、イラストでパーティーっぽいの描いたんで、小説も書いてみました。ラスさん振り回されっぱなし。(笑)最後とかうやむやの内に丸め込まれてるし。
闇主さんは御曹司じゃないんですねー、これが。一代でのし上がった貿易会社とかの若社長さんです。これは破妖の一巻見た人(ほとんどそうだろう)は見覚え在りません?
貿易会社かどうかはあやふやですが・・・外交なんたらだったかな?とにかく口八丁で多勢を丸め込んできた、と。(笑)だからおじさま方に取り囲まれてるんですね。仕事のお話が大半で。乱華・・・・代名詞でしか出てこなかったですね。「少年」「弟」ぐらい。
しかもダンス踊れない・・・・。(汗)乱華好きの人には申し訳ないですね。でもそんなところもいいかな、なんて。(フォロー)ははは。それでは失礼します。





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