どうして、お母様は私をお隠しになるの?
 どうして、お父様はそんな目で私をお睨みになるの?
 どうして、誰も私に話しかけてこないの?
 どうして、みんな、私を厭うの?
 どうして、私はこんなに苦しまなくてはならない?
 ただ、この身に魔性の血が流れるというだけで。
 それだけで、私を嫌うの?
 そう、そうなの。
 だったら、私もいらない。
 みんな、誰も、いらない。
 消えて。
 もうお前達のその目を見たくない。
 そんな汚らしいものを見るような目。
 消えて、消したい、消す、私が。
 この子を使って……。

「駄目だ」

 一つの呟きがそこに落ちる。
「そんなのは……駄目だ」
「……誰?」
 私の中にいるのは。
「貴方がしようとしていることは何の意味もないことだ」
「そんなのはわからないわ」
 暗闇の中で、目映い光が生まれる。
 朱金の、光。
「ああ」
 そう、貴方……。
「貴方も一緒なのね」
 でも、……。
「邪魔は許さないわ」
 言い切る言葉に相手の悲しい気配が伝わってくる。
「どうしても、許せないのか?」
「貴方は許せるの?」
 虐げられて。
 隔離されて。
 これ以上ないってほどに、踏みつけられて。
「……貴方を、助けたい」
「……ならば、放っておいて。それが私の願い」
「それはできない」
 こちらも言い切る。
 不意に、女の気配が変わった。
 瞬間、明確に自分に向けられる……殺意。
「邪魔は許さない……邪魔するなら、殺す」
 告げると共に、女の殺意は、刃となり、ラエスリールへと襲いかかってくる。
 その刃を紅蓮姫で払いながら、それでもラエスリールは女へ呼びかけた。
「全てを忘れて、また新しい場所でやり直せばいい!!」
「簡単に言わないで!!」
 女の刃がさらに速度を増す。
「何もわからないくせに!! あいつらを消すために、魔性に子を願うまで追いつめられたのを、どう忘れろと言うの!?」
「そんなの……何もわからないことはない!! 私だって……!!」
 辛い思いをしてきたんだ……。
 その言葉は……続けられなかった。
 それは事実だ。
 母を魔性に殺され、生け贄にさせられかけ。
 辛い思いを……した。
 けれど、不意に気づいてしまった。
 自分には優しい人達が傍にいた。
 辛抱強く、温かく。
 負った傷を癒してくれた。
 ……だが、彼女は?
 この女性は?
 ずっと、この薄暗い家の中で、誰にも必要とされず、誰にもその存在を認めてもらえず。
 恨み続けて。
 一人きりで。
 きっとあの人達に会うことがなければ、自分も同じ道を歩んでいたのかもしれない。
 だから、放っておけなかった。
 まるで自分だけが抜け駆けしたようで。
 同じ暗闇から、同じ絶望から。
 私だけが抜け出した。
 そのことに気づいて、溢れ出す、深い罪悪感。
 彼女が自分に向ける刃が、酷く当たり前のような気がした。
 彼女の悲鳴に……感じた。
 だからこそ生まれた、その刃を払い、避けることへの一瞬の躊躇。
 確実にラエスリールを死へと導くもの。
 だが、それが彼女の首もとへ届くか否かの刹那────。

「その自虐的なとこ、直してもらわなけりゃこっちがいい迷惑なんだがな」

 呟きが、否、囁きがその空間に響き渡るとほぼ同時に。
 ……与えられた苦痛に、耳を突く悲鳴が上がった。
 深紅に染まる、目の前の女の体。
「なっ……!?」
 思わずラエスリールの口から驚愕の声が漏れる。
 その間にも、見えぬ力が女を斬り付け続けていた。
 その激痛に、女がその場に膝をつく。
「闇主!!」
 叫んだ。
 加害者であろう青年の名を。
「闇主!! やめろ!! ……もう十分だっっ!!」
 が、答えはない。
 ただ、なお増え続ける女の傷。
「……っ闇主!!!」
 悲鳴に近かった。
 堪らず、女に駆け寄りその腕に抱きしめる。
 何とか自分を盾にしてでも彼女を護りたかった。
 だが、闇主の攻撃は、ラエスリールという存在を無視してその腕の中の女を傷つけ続ける。
「やめろっ!! 闇主!! ……やめてくれっ!!」
 懇願の声、それに答えたのは……あの青年ではなかった。

「……いいのよ」

 その口元から深紅とともに零れた呟き。
「もう、いい」
 女の、諦めを含む、自嘲するような声色だった。
 無性にそれに胸が締め付けられる。
「よくない!! こんなのは……こんなのは駄目だ!!」
 これでは悲しすぎる。
 この女性も。
 自分、も。
「……疲れたの」
 溢れ出す涙を止められないラエスリールを見遣り、女が告げる。
 気がつけば、闇主の攻撃はいつの間にか消えていた。
 それこそが、この女性がもう助からないことを暗示する。
「……もう、疲れた」
 もう一度、強く肯定する女。
 その声に。
 その言葉に。
「……嫌だ」
 呆然と、ラエスリールが呟いた。
 死へと旅立とうとする女の意識すら引きつけずにはいられないその声。
「諦めないで……くれ」
 ここで、諦めてしまったら……。
「全部、終わりなんだ……終わってしまうんだっ」
 耐え続けた日々も。
 望んだ光も。
 この、想い……も。
 止めどなく流れる涙が頬を濡らしていた。
「……頼む」
 ……だから、諦めないでくれ。
 これは願い。
 この傷だらけの女性への。
 彼女のためではなく。
 自分のための。
 傲慢で、自分勝手で。
 でも願わずにはいられない。
 教えて欲しい。
 まだ大丈夫だと。
 生きていていいのだと。
 光を望んでも、この暗闇から逃れても……。
 ───良いんだ、と。
 微かに、女が目を見張った。
 懇願するラエスリールに。
 そして、何も言わずその彼女を見つめ続ける。



 「温かい……」



 微かな吐息とともに、呟きが落ちる。
 腕の中の女を見遣った。
 目を閉じて、微笑んでいた。
 初めて得た幸せに浸っているかのように。
「人の腕の中はこんなにも温かいのね」
 心からそう思っているような、声。
 その声のまま、エレザが告げた。
 本心、を。
「私、本当は……ずっと眠りたかった」
 けれど、悔しくて。
 自分の死を喜ぶだろう彼らが。
 苦しくて。
 一人きりで眠るのが。
 だから、あの魔性の男に子を望んだ。
 見返して遣りたかった。
 自分を貶し続けたことを、後悔させてやりたかった。
 でも、本当は……。
「……眠りたかった」
 叶うならば、この温かさの中で。
 これが、真の願い。
 復讐よりも、何よりも。
「エレザ……」
 ラエスリールがその名を呼ぶ。
 その目から、涙を流しながら。
「……嬉しい。私のために泣いてくれる人がいるのね」
 
その頬を伝う滴を、エレザが震える手で拭った。
 その真実を愛おしむように。
 この死を、嘆いてくれる人がいるのだ、と。
 微笑んで、その手を自分の腹へと下ろす。
「この子も、悲しんでくれるかしら」
 ただの道具としてしか見なかったこの母を。
 哀れんで、くれるだろうか。




「……ごめんなさいね」

 本人以外には、ラエスリールに向けたものか、その子に向けたものかわからない言葉をその場に落として。
 女は息絶えた。
 最期までその顔に咲き誇るのはあまりに美しく、悲しすぎる微笑。
「……っ…」
 その事実を前に、ラエスリールはその身を、決して離さぬように抱き締める。
 この女性の身がいつかの母のように、冷たくなるのがどうしても許せなくて。
 だが、主を失った意識内からラエスリールは確実に隔離されつつあった。
 また、それに抗うことも、ラエスリールには許されなかった。



「……ス……」
 呼ぶ声。
 誰が、とは思わなかった。
 もうわかっていた。
 これから自分がすべきこと、も。
 目を開き、視界が戻るのを確信して。
 唇を噛みしめる。
「……ラス……」
 あいつが再び呼んだ、その瞬間に。

 ザンッ!!

 容赦無く、紅蓮姫を以て傍にいた男を斬り付ける。
 が、あと一歩でスルリとかわされた。
 その一歩こそが相手の余裕を如実に表していたのだが。
「っと……。これは、とんだ扱いだな。おい……命の恩人に寝起き一番でするのがそれか?」
「うるさい」
 深い殺気を込めて言い放つ。
 どこか青年の纏う気配がいつもと違っているが、そんなことはもはや気にはならなかった。
「なぜ、殺した?」
「自分が殺されかけたの忘れたのか?」
「お前には関係ないはずだ!」
 怒鳴ると共に、男が吹き出したように笑う。
「何がおかしい!!」
「……いや、どこまでお人好しなんだかと思ってな。しかし……」
 男はその口元を押さえながら、ラエスリールを見遣った。
「お前の死が、俺に関係ないだと? 人の名を勝手に変えておいて、よくそんなことが言えるものだ」
 告げる口調は危険な響きを帯びていて、だからこそ、ラエスリールも思わず後ずさる。
「……闇主?」
「そうやって、また俺を呼ぶ。自覚もないくせに」
「何を……」
 言っているんだ?
 そう言い終わる前に。
 捕らえられた。
 その深紅の瞳に。
「……あ…」
 逸らせない。
 浮かび上がる深紅の光に、どこまでも意識を支配されていく。
 深い深いその色彩。
 ……嫌だっ…駄目だ!!
 だが、どんな拒絶もその前では意味のないこと。
 確実にラエスリールの意識を絡め取って、奪い去る。
 その衝撃に耐えきれず、よろめいた時、冷たいものに触れた。
 さっきの女性の手だった。
 ……さっき?
 さっきとは?
 何かあったか?
 呆然と、喪失という事実が浮かび上がる。

 この女性は……誰?

「……ああっ……っ」
 記憶が失われていく。
 手の中の砂がこぼれ落ちていくように。
 必死に繋ぎ止めているのに。
 何の意味も為さない。
「……闇っ……」
 ふらり、と。
 意識を失ったラエスリールがよろめく。
 彼に向かって差し出されかけた右手は何を掴み取ろうとしたのか。
 それを、闇主は何も言わずに左腕で抱き留めた。
 物言わぬ少女をその深紅の瞳が見つめる。
「おやすみ、そしてすべて忘れな」
 まだ、全てを知るには早すぎるのだから、と。
 そう囁いて、視線を少女から寝台に横たわる最早二度と目覚めない女へと移した。
 そして、空いている右手をスイッとエレザの腹の上で振り上げる。
 と、同時に生まれた一つの気配。
 青年のその握られた右手の中に。
 握られたそれの驚愕の感情がその身を通じて深紅の青年へと伝わる。
 その手の中のものを読み取って、闇主は何でもないように告げた。
「この女はどうせ助からなかった。あんな精神状態で……ただのガキならまだ可能ではあったが、魔性のガキじゃあな。なら、こいつの腕の中で息絶えた方が幸せってもんだろう? まあお前も半分以上魔性なら、このままほっといてもその内実体化できるだろうよ」
 さらに、大きくなる驚愕の波動。
 それに青年はフッと微かに笑う。
「おかしいか? この俺がこんなに親身になってやってるのが」
 波動は困惑の色を帯び始めた。
 それに青年は簡潔に答えてやる。
「俺は先物買いが得意らしいからな」
 言って青年は、クイッと左の腕に収めている少女を示す。
「どうやら人間と魔性が混じったもんは俺をかなり楽しませてくれるらしい」
 にやりと、笑った男の顔に優しさは微塵もなく。
 ただ、自らの欲のみを満たそうとするものであった。
「これもせいぜい100年がいいとこだろうからな。それまでに俺を楽しませれるような存在に成長するこった」
 そうしたら、次はお前と遊んでやるよ。
 残酷な言葉を、しかし惹かれずにはいられない魅力的な声で囁く。
 波動はもう何も伝えてこなかった。
 ただ守られる沈黙。
 それに、青年は無言でその手の平を開く。
 小さな、それでも輝かしい、命の光。
 あの女性の魔性との子の。
 それは、何の障害もなくスウッとその場からどこかへと飛び去った。
 最後に命の恩人と言えなくもない青年に一言残して。

「……馬鹿なことを」

 それに、青年はそう呟いてフンッと鼻で笑った。
 ……ありえんよ、そんなことは。
 そう、腕に抱える少女を見遣って心の内で言い切る。
 強い声音……ではなかった。


        ※


「あら、ラス。久しぶりじゃない」
 浮城の食堂で一人夕飯をつついていたラエスリールに聞き慣れた声が掛けられる。
「サティン」
 その存在を見遣って、ラエスリールは微かに──他の人間から見れば何の変化も無いように思われるのだが──微笑んだ。
「この前はお疲れ様、アルザ王国なんてホント遠出だったわねー」
 ポンポンッと肩を叩く同僚の言葉にラエスリールは、「あー・・・うん」などと曖昧な返事をする。これにサティンも首を傾げた。
「ラス?」
「……いや、ちょっとそこら辺のは記憶が曖昧で。……よく覚えてないんだ」
 闇主とともに、アルザ王国の使者と会ったところまでは覚えているのだが、そこから先がどうにも思い出せない。
 気づいたら「魔性は倒した」と、あの使者に告げていた。
 まあ、男は納得したように頷いていたのでそれで良しとして帰ってきたのだが。
「おや、ラス。この前の仕事、アルザ王国だったんですか?」
 ふと、またもや聞き慣れた声が背後から落ちてきた。
「セスラン様。ええ……そうですがそれが何か?」
 今度はラエスリールが首を傾げる。
 ブロンズ髪の年齢不詳の青年は、そうですか、と何とも気になる返事をした。
「いえ、ね。ついさっき城長と話していた時に、あの国が先日潰れたと聞きましたから」
「!? 魔性の仕業ですか!?」
 だとしたら、自分は任務を完了していなかったということになる。
 記憶が曖昧なだけに、そうではないと断言できない。
 思わず立ち上がったラエスリールに、だがブロンズ髪の青年はかぶりを切った。
「いや、クーデターらしいですよ。何でも、ある将軍がクーデターを起こすかどうか迷っていたときに、占術を使う不思議な少年が予言したんだとか。それに後押しされて一気に王宮を攻め落としたようですね」
 その少年というのが、人並み外れた美貌の主ということもあって、その予言も信憑性がましたんでしょうねぇ。
 肩を竦めていったセスランに、ラエスリールはそうですか、と息をついて座り直した。
「で、その少年はどうしたの?」
 ラエスリールに代わって、サティンが聞く。
 また、セスランは肩を竦めて答えた。
「それが、その後すぐに姿を眩ましたようで。いろいろ噂が流れているらしいですよ」
「……ふーん」
 世の中にはおかしな事がよくあるもの。
 そう割り切って、その話はそこで終わってしまった。
 その中でラエスリールはどこか引っかかりを覚えていたけれども。



「ラースっ」
 みんなと別れて、一人歩いているといつものように陽気な声が耳に届く。
「何だ、闇主。呼んでないぞ」
「冷たいなー、せっかくラスとのふれ合いの場を持とうとしてるのに」
「いらん」
 言い切るが、相手はカラカラ笑っている。
「またまた、ラスってば照れ屋さんなんだから」
 ……こいつは、本当にっ!!
 思わず握った拳を、しかし、どうやってもこの男には撒かれてしまうのだろうとため息をついて緩める。
 その時、ふいに闇主が声を掛けてきた。
 ヘラヘラとした顔はそのままであるのに、どこかさっきまでと違う気配を纏って。
「……ラスは運命を信じる?」
「何だ? いきなり」
 眉をひそめて聞き返すと、闇主が続けた。
「例えば、先を見通せる能力をもつ奴がいたとして、そいつがお前はこれからこーなるんだーとか言われたらラスは信じる?」
「何だ、それは」
 わけのわからない言葉に、ラエスリールは顔を顰める。
 だが、闇主も譲らなかったので、ため息ひとつついて答えた。
「どっちでもいいだろう?」
 言うと、闇主が少々目を見張る。
 ラエスリールは続けた。
「信じようが、信じまいが何が変わる? 信じて、それでどうするんだ?」
「……どうするって……」
 闇主は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている。
「変わらないだろう? 何も」
 そう告げると、闇主はしばらく黙り込み、そして呟いた。
「何か……身も蓋もないなー。ラスってば」
「私にそんなことを聞くからだ。もっと文学的な人に聞け」
 せっかく答えて遣ったのに、と機嫌を悪くしてラエスリールはさっさとその場から歩き出す。
 それに闇主もついてきた。
「いや、なかなか貴重な意見でしたよ? 闇主さん勉強になったなー」
「うそつけ」
 あまりに大袈裟なふりをつけて言ってくるだけ信用がおけない。
「本当さ。ラスの言うように、要はなるようになるんだよね」
 悩んで損した、と呟く。
「お前が悩んだりするのか?」
 その呟きを不審に思って聞いてみた。
 が、青年は答える気はないらしい。
 そりゃー、闇主さんは繊細ですからとかなんとかほざいてくれる。
「勝手に言ってろ」
 ため息とともに言い放って、ラエスリールは止めた足をまた進めた。
 ……今度は闇主はついてこなかった。
 そのことに首を傾げながらも、ラエスリールはその足を止めずに歩き続ける。



      ───ならば、もう会うことはないでしょう。

        あなたが彼女から離れることはない。───


 クツクツと喉を鳴らす音が響く。
「……さて、零魅(れいみ)。お前の予言ははずれるのか、それとも……」
 遠ざかっていくラエスリールの背中を見ながら、闇主はそう、ここにはいない母の復讐を果たしたあの少年に向けて囁いた。

 彼が青年の手の平から飛び去るとき、残した言葉を思い出して。





 それから月日は経て、幾千もの命が絶え、また生まれる。

 その中に彼の存在も在ったのかもしれない。



 ───だが、「彼」が「彼」に会うことは二度となかった。

     
                     <fin>


要は、闇主さんはラスから離れませんでしたよーって結論です。
ちょっとわけわからん感じでしたね。すみません。
昔の闇ラス。あっという間に赤男さん本性ばらしちゃって今の闇ラスになっちゃったんで、ちょっとあの頃の雰囲気のが書きたくて、ですね。書きました。
さて、零魅くん。予言とかしてますね。未来を見通す力は赤い方の専売特許なので、それとはまた別の能力ということで。その人の運命的なものを見る・・・みたいな?(一緒じゃん。)私的にはお気に入りキャラ。(ほとんど出てきてないけど)<爆
あーなんかまとまり無しなものになってしまった!!
それでは失礼します。

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