=破国=





男は心ここにあらず、といった様子で燃える都を丘の上から眺めていた。
あの火は一体いつまで続くのだろう、と頭の中で無意味な疑問が浮かんでは消えていく。
都に明かりとしてではない火が灯ったのは昨夜のこと。
今はもうその夜が明けて昼も近い。

逃げまどう人々の悲鳴。
反逆者の剣と忠信なるこの帝国の臣下の剣が交じり合い、弾き合う金属音。
宮廷が、燃える音。

それらは、今、男の昨夜の記憶の中で生々しく映し出された。
もはや、記憶の中でしかない。
逃げれた者は逃げ切り、遅れを取った者は無惨な骸となって倒れ、火中に呑まれた。
悲鳴は、もうない。
あの激しくぶつかり合った剣も、片方は地に堕ちた。
城下から微かに聞こえるのは革命に成功した者達の讃歌である。
あれが今度は、誰が主導を取るかの小競り合いの声に変わるのだと、男は私情も入った皮肉を心中で落とす。

「帝は自害なさったか。」

遠い目で未だに燃える城を見遣る男の背後から、声。
ひどく狼狽し、疲れ切った勢威のない男の声である。
が、男は振り返らなかった。
長年聞き慣れた声だ。
今更姿を確かめるまでも無かろう。

「・・・ああ。結局一代で終わった。浅い夢だったな。」

自棄の濃い声音で、男は背後からの声に静かに応えた。
自分の声が余りにも乾いているのに、自分でも驚く。
そのまま横たわる沈黙の中、不意に低い慟哭が丘の上に響いた。
城を見つめる男ではない。
慟哭したのは背後にいた男だった。
誰もが認める果敢な武将だった男が燃え上がる城を前に、声を押し殺すように泣き声を上げている。
闘う理由を失った武人ほど弱くなる者はないと、誰かが昔ぼやいていた呟きがそれを聞く男の脳裏に蘇った。
自分は文人だから関係はないのだろうか。
まったく無意味な疑問がまた頭の中を駆け巡った。

「帝が生きておられたなら、まだ為す術もあったろうが・・・・・・この国はもう終わった。」

ひとしきり泣いた後、武将たる男は宮廷ではいつも怒らしていた肩を酷く落として呟く。
男は無言でその声を聞いた。

この国はもう終わった。

反芻するその言葉を、男は目を伏せて噛みしめる。
未だに納得できていない自分がいたのだ。
この目を開けば、見慣れた天井が陽光と共に自分を迎えてくれるのではないか、と。
もう燃え朽ちて、あの部屋には何も残っていないだろうというのに。
現に、自分の服とと武将の兜とは煤焦げて、明らかにあの城に燃える炎が幻ではないことを告げているというのに。

男が仕えた皇帝たる男の短い治世。

私は仕えた相手を間違ったのか。
否、帝は立派な男だった。
上に立つ者の器だった。
この日のことを予見していたとしても自分は躊躇なく彼に頭を垂れ忠誠を誓っただろう。
・・・では何故朽ちた?

「・・・・天の定め、か。」

ゆっくりと息をついて男は呟いた。
そうとしか、まとめる術をしらなかった。
今も聞こえる反逆者達の讃歌は空に舞っている。
この歌を歌う者達の中の誰よりも目の前の武将は強く、誰よりも自分は賢く、誰よりも帝は立派だった。
それでも、勝利は彼らの傍らにあり、敗北が自分たちにまとわりつく。
天の定め。
宿命。
それだけのことだった。


「・・・李澄殿はいかがされるのだ。」


武将が穏やかな口調で問うてくる。
男は一つ、息をついた。

「いかが・・・と言うと?」

「・・・我は東国の辛に往き、反乱軍の鎮圧の援軍を求める。せめて城の跡だけでも取り替えさねば帝に合わせる顔がない。」

決意を込めるような声で男が誓いを立てる。
それを男は途方もない決意だと思った。
すでに我らの国は滅んだのだ。
帝が死に、国が滅んだ以上、遺臣がどう喚いたところで援軍を辛が貸してくれるとは到底思えない。
時代が流れたのだとあしらわれて終わりだろう。
それに恨み言を叫んで終わりだ。
そんなことに気づかぬ男でもあるまいに。
おそらく、ただ彼は絶望の中、光が欲しいのだ。
武人としての自分を守るために、闘う理由が欲しいのだ。
故に真実から目をそらしている。
そう思考に黙り込む男に、武将は再び問うた。

「・・・それで、李澄殿はどうされる?」

要は自分に共に来て欲しいのだと、男は武将の心情を解していた。
彼は長年連れ添った友人に、心の支えとして傍にいて欲しいのだろう。
先が曖昧な時故に、彼は不安なのだ。



「・・・・・さて」


男は伏せた目を開き、もう一度燃えさかる城を視界に入れ、そして空を仰いだ。
蒼天の青。
淀みない快晴。
その青を瞳に焼き付けて。
目を、閉じる。


「帝が逝かれたならば、私はこの世に未練はないよ、柔絃殿。」


「・・・・・・・・・・」


武将の男が息を飲んだ気がした。
核心をついた言葉に。
彼の決意が軋んで傾いた音がする。
だから男はすぐに言い加えた。


「だが、柔絃殿は柔絃殿の道を行かれると良い。人の道はそれぞれ違う故。・・・私は堪え性がないだけなのだ。・・・・今すぐに帝にお会いしたい。」

「李澄殿・・・・・」

「後は柔絃殿にお任せする。」


落ち着いた、静かな声で告げる。
また、息を飲む音。
だが、今度は武将の目に断固とした決意の光が差す。

「・・・・御意。」

そう、男は静かに応えた。
それきり、男達は言葉を交わすことはなかった。




後に亡国の宰相だった男が入水自殺をした。
武将の男もついには反撃の機を断たれ、上記の男の後を追ったという。


男達が身を投げた河は龍となり、天へ昇ったと古書には記されている。
史実か定かではない、遙か昔の話である。










中国史の勉強中に頭を過ぎったSS。
私ははこういう上下の信頼関係って好きですね。特に中国史のは印象的です。
まあ、ローマ史とかも好きなんですけどね。



           BACK