ああ、愛しい我が君。
我が至上の人。
貴方は知っておられるかしら?
この焦がれるような想いを知っておられるかしら?
魔性がより強き魔性に焦がれるソレとは異なるものを。
愛おしくて。
愛おしくて。
切ない。
我が君のためなら、全てを捨てても構わない。
けれどこの想いはそうではない。
相手のために生きていたい。
共に幸せになることを望む、この想い。
でも、もしも。
もしもそれが叶わないなら。
愛しき人をおいて行かねばならないのなら。
せめて。


せめて、何かを残してあげたい。

私と、あの人とが愛し合っていたという証を。


そう思う、この無性の愛を。


我が君。


貴方は知っておられるかしら?









「また、お前か。」

こちらを見るなり、座って作業に没頭していた青年は見事なまでに柳眉を顰めてそう吐き捨てた。
表通りの賑やかな声を一枚の壁の向こうに隔てて、やや薄暗い一室。その中で焦げ茶色の椅子の上に座っている彼は少し長い髪を後ろで束ねて窓から吹き込んでくる風に靡かせている。
予想通りの相手の苦い顔に私は思わずクスクスと笑ってしまった。

「まあ、ハゼルったら。それが可憐な乙女を迎える言葉なの?」

三日月を描く私の口元は私の感情を如実に表していた。
・・・面白くてたまらない、と。

「よく言えたものだな。どこが可憐なんだ。どこが。」

青年は苛立たしげな声でそう言い放ち、自分の作業に戻った。
彼の手の中には創作中の封魔具。
そう、彼は封魔具を作り出す職を持つ者だった。
精密な模様を施していくその指先は神業としかいいようがない。
最初彼の作品を見たとき、私はその気配に嫌悪を感じると同時に少なからぬ興味を覚えた。
見事な細工はまさに芸術作品で、純粋に美しいと思ってしまった。
そうこうしている間にいつの間にか私は彼の作品を集めてしまっていて。
そして、彼に会わずにはいられなくなった。
こんな見事なものを作り出す人間とはどんな者なのかと。
人間に擬態してまで彼に会いに行った。
3年という期限をつけて。

「あら酷いわね。まだ怒ってるの?あのこと。」

私は微笑を崩すことなく返す。
その脳裏にはある出来事が思い出されていた。
あれはそう、彼と初めて会った日だ。
私は彼の作品を壊してしまったのだ。
しかも彼が数ヶ月かけて作り出した、できたての封魔具を。
事故ではなく、故意に。
だって彼の作品が他の者の手に取られるのを見ていられなかった。
魔性ならではの異常な独占欲。
彼の作品は全て私の物。
それ以来、私は彼が封魔具を誰かに売る度にその場で大金をその相手に渡して引き取った。
彼は何か言いたげに私を睨み付けてきたが、他人に買い取られた物をどうその人間が扱おうとも彼に何か言う権限はない。
彼の作品を全て一人で独占する私。
結果、彼に嫌われてしまった。

私の返答に彼は再び私を見上げた。
鋭い視線で以て。
でも・・・。
私は薄く嗤う。

「駄目よ、ハゼル。そんなんじゃ全然駄目。私は・・・もっと恐ろしい眼をする人を知っているわ。」

もっと、背筋が凍るほどに。
もっと、体中が悲鳴を上げるほどに。
恐ろしく魅惑的な瞳を持つ方を。

「私を威嚇したいのならもう少し精進した方がいいわね。」

「うるさい。」

巫山戯たように言うと、彼はまたもへそを曲げて顔を逸らしてしまった。
私を視界から排除して深い緑の瞳がジッと自らの作品を見つめている。
・・・いいな、と思う。その顔が。
ささやかだけど、自分を彼のもとに繋ぎ止めるには十分な興味。

「ハゼルの作る作品って綺麗ね。私、好きよ?」

言うと、彼が顔を上げた。
一瞬目を見張って、その後は皮肉げに顔が歪む。

「綺麗、ね。私は観賞用に封魔具を造っているわけじゃないんだがな。」

彼の作品を買い占める私への嫌味だ。
もはや慣れっこの私は小さく微笑んでそれをかわす。

「そうね、これだったら力の強い妖鬼くらいは封じれそうだもの。妖貴はさすがに無理があるけど。」

その返答に彼は即座に眉を顰めた。
自分の作品を過小評価されたことへの憤りか、嫌味を受け流した私の態度への不服か。
分からないけど、どちらにしろ、要は不快という感情を表している。
そんな彼の表情には頓着せず私はにっこり笑って彼の横に腰を下ろした。
そしてその腕に自分の腕を絡める。
瞬間、彼の体が硬直した。

「・・・・・・離せ。」

絞り出される、掠れた声。
もちろん、無視。

「好きよ?ハゼル。」

囁いてやると、彼が微かに震えた。
顔はこの位置からでは見えないけれど、きっとこれ以上ないほどに歪んでいる。

「・・・お前みたいな気まぐれな奴の言うことなんか信じられるか。」

「あら、私はこの世で一番気まぐれな方に『真っ直ぐな奴』って言われてるのよ?」

喉奥からやっと引きずり出したといった感じの彼の声に私はクスクス笑いながら答えた。
彼の顔はますます苦みを増す。

「誰だ、それは。」

「我が君。」

さらりと答えると、彼が怪訝そうに繰り返す。

「ワガキミ・・・?」

私はにっこりと微笑んで頷いた。

「すっごく綺麗な方よ。一生見つめていたいぐらい。」

言いながら、私は我が君の姿を思い浮かべてほうっと息を吐く。
あんなに美しい存在を私は他に知らない。
禍々しい紅の闇を携えて、冷酷に微笑む方。
一瞬で魅せられた、あの美しい方。
時々性別を変えたりして、「俺は男だ」なんて嘘をおっしゃるけれど。
どうしようもなく、惹かれる。



「・・・・じゃあ、一生四六時中そいつの傍にいればいいだろう。こんなとこに来ないで。」


不機嫌な感情を露わに、ハゼルが言い捨てる。
私は一瞬、キョトンとして、それから苦笑した。

「無理な話だわ。我が君を独占なんてできないのよ。誰も、ね。」

意味深なその言葉に、しかし青年は「ふうん」と気のない返事をするだけ。
私はその顔をジッと見つめた。

「・・・・・・・」

「・・ハゼル」

「・・・・・・・」

「・・・・妬いてる?」

グシャっと音を立てて彼の手の中の封魔具の形が歪んだ。

「・・・なんでそうなる。」

「恋する女の直感よ。」

「・・・・・馬鹿らしい。」

舌打ちして吐き捨て、青年は歪みを修整すべく、別の工具を取り出す。
その所作を眺めながら、私はクスクスと笑った。

「大丈夫。」

彼の動作が止まったのを見届けてから告げる。

「我が君は女だから。」






何が良いのか、と問われれば、返答には困ってしまう。
言葉では表せない、この感情。
我が君の傍にいさせて貰えれば、理性の型が外れた激情が心を突き動かし、どうしようもなく胸が熱くなる。
逆にこの青年といるときは・・・どこまでも深い安堵感が胸を占めるのだ。
けれどその奥に我が君に向ける思慕に近い熱いものが息を潜めているのも理解している。
ああ、なんと言えばいいのだろう。
どの言葉も、この感情を語り得ない。



一年という月日は手を振って見送る間もなく、あっという間に過ぎ去っていった。
私と彼との関係は相変わらずで、進展といえる変化は彼が私を突き放さなくなったことぐらい。諦め・・・とも言い換えられる。現に嫌味の応酬は相変わらず健在だ。
やはり彼は一作品とて、私以外の人間にきちんと渡せることはなくて。私の目を盗んで売ったとしても、私が結局は聞きつけ、買い取るので、このころはもう、ロクに客を受け付けることさえなくなった。
ただ、売りもしない封魔具を作り続ける、それだけだ。
もちろんそれでも私は毎日彼のところへ通い詰めてその制作状況を楽しげに見つめた。
不意に彼が見せるようになった柔らかな表情が異様に心を縛り付けて、彼のところには行かずにはおれなかった。もう一度、見たい。そう何度も思って、彼の元へと足を運ぶのだ。

あの日も、そうだった。

いつものように彼が封魔具を造っている場所に訪れて、でも何故か彼はいなかった。
決して、一日とて作成の手を休めることの無かった彼が。
不思議に思って、彼の家へと向かった。病気でもしたのか。何か止むに止まれぬ事情があったのか。とにかく確かめなければ心が落ち着かなかった。
彼はそこにいた。病の床に伏しているでもなく、ただ椅子に座って頭を抱え、沈黙を守っていた。

「ハゼル・・・?」

伏せた表情は見えなくても、部屋の空気が彼の苦痛を叫ぶように訴えている。その彼の苦悩が居たたまれなくて、思わず声を掛けてしまった。
・・・いつから彼に対しての客観的視線を欠くようになったのだろう。彼の行動を人となりを観察することだけが目的だったというのに。彼の苦痛をまるで自分の苦痛のように考えてしまうなんて・・・。
私の声に、彼は肩を震わし、ゆっくりと顔を上げた。
その時胸を突いたあの衝撃をなんと言おう。
彼の眼差しは、ただ私だけを見つめているのだ。空虚しか宿さない彼の瞳が、私だけを、私の存在だけを肯定していた。
思わず、胸を押さえて、溢れる激情に体中が震える。

「ティーラ」

彼の細い声が私を呼ぶ。
これでもし、真名を呼ばれでもしたら、私はどうなってしまうのか。
私は逸る鼓動を抑え込んで、彼の傍へと足を進めた。

「どうしたの?」

問えば、彼は絶望にも似た色を瞳に浮かべ、そっと視線を床に降ろす。
数秒の沈黙の後、ジッと待つ私に彼は零すように呟いた。

「封魔具が造れなくなった。」

「封魔具が・・・?」

何故、と言外に問うと、彼は私を見上げ、その目を切なげに揺らす。
口は言葉を模索し、やがて視線も逸らされてしまう。

「ハゼル」

「・・・・・・」

そっと彼の頬に手を差し伸べた。
意外にも、彼はその手を振り払わなかった。いつもなら間違いなく、そうしただろうに。
為されるがまま、瞳を閉じて何かを思い悩んでいる。
その目が再び開いたとき、彼は今度こそ口も開いた。

「私は・・・両親を魔性に殺された。すべてを、魔性に奪われた。」

頬に添えた私の手が微かに震える。
彼はそれに気づいた風もなく、言葉を続けた。

「憎かった・・・魔性が。その想いを封魔具へと注ぎ込んでこれまで私は生きてきたんだ。その憎しみ故に、封魔具を生み出して来れた。」

なのに、と彼は唇を噛み締める。
拳を握った彼の手も、小刻みに震えた。

「今でも・・・憎いはずなのに。何故か、封魔具に想いが込められない。」

ふと、彼の机の下に制作途中の封魔具が転がっているのが目に入った。
途中で投げ出されたそれはいつものように精密で素晴らしい芸術作品と言える。
だが、ただそれだけだった。そこには魔を封じる力が決定的に欠けていた。
どこか魔性である自分に与える嫌悪感が切り抜かれたような失われていたのだ。
何も言葉に出来ずに、それを見つめていると、ふと、手に触れていた彼の頬の感触が遠ざかる。視線を戻せば、切なげに揺れる瞳とぶつかった。

「・・・もう、封魔具は造れない・・・お前が私のところに来る理由も必要もない。」

だからもう来るな、と拒絶の声が耳に届く。
けれど私は悟ってしまった。魔性故に?違う。彼を思う故に。
・・・彼は私を求めているのだ、と。
魔性である私を愛し、それ故に封魔具に無意識のうちに思いが込められなくなったのだと。
自惚れかもしれない。けれど、彼の瞳は間違いなく私を望んでいた。
鼓動が逸る。そのまま破裂してしまいそうだ。彼の思いが、まさに今自分の手の中にあるのだ。震える体を私は必死になって押さえ込んだ。

「いやよ、ハゼル・・・」

「ティーラ?」

「私が貴方のところに行く理由?必要?そんなの初めからないわ。ただ会いたいのよ。貴方に会いたいだけよ。封魔具なんてどうでもいい。私が欲しいのは貴方だわ。」

堰を切ったように流れ出す言葉に、彼は大きく目を見張った。
だが、その目はすぐに歪み、視線は苦さを伴って逸らされる。

「私には・・・何もないんだ。封魔具を造ることだけが私の存在意義だったのに。」

「ならば、私を存在意義にすればいい。私を愛して。私の傍にいて。私のために生きて。」

「自分が何を言ってるのかわかっているのか?」

「わかってるわ。わかってないのは貴方よ、ハゼル。」

もう一度、彼の頬へ手を伸ばす。右手だけでなく左手も。

「貴方が見ているのは私だけ。」

今までにない近い距離で見つめ合って、囁く。決して甘くはない囁きだ。甘いのではない。何処までも貫こうとする声だ。抵抗を受け付けず、決して曲げない宣告だ。
それでも彼にはそれを振り払う力がある。でも、受け入れる選択も彼は持ち得ていた。
俯いたのか、頷いたのか。
判断しかねる動作をした彼に、私は寄り添った。寄り添って、抱き締めて、二度と離さないと言わんばかりに腕に力を込めて。
彼の手が、私の腕を握り返してきたのはそのすぐ後だった。

「・・・お前だけだ。」

・・・その私の腕の中で放たれた彼の言葉は、何処までも私の感情を束縛した。
一年前の、自らの決意を忘れ去るほどに。





ああ、我が君。
貴方はよく私に「お前は一つのことに夢中になると他にまったく目が届かなくなる」とおっしゃっていらっしゃったけど、確かにその通りで。
ハゼルを手に入れた私は有頂天そのもので。
今が全て。今が永遠に続くと思っていたのです。
未来など無いと。今と異なる未来など無いと。
愚かな私。
自分に課した決めごとさえも忘れ、彼を愛し、幸せな日々を何の不安もなく送っていた。
決めごとの方は決してそのことを忘れていなくて、私が望まなくても、勝手に動き出してしまった。この器を、死へと走らせた。
あの時の慟哭を、私は今でも思い出せる・・・それでも。
それでも、私が魔性であり、彼が人間である限り、いつかは訪れる別れだから。
だから私は諦めたのです。これ以上、のめり込む前に。この幸せな日々を手放せなくなる前に。
ただ心残りはこの身に宿した彼の子供。せめて彼にこの子を残してあげたくて。
子を産んで、後はただ元の体に戻るだけ。それで終わり。
そのはずだった・・・彼が私の真名を叫んだりしなければ。

・・・我が君、貴方は笑われるかしら?
私はその時、無上の喜びの中にいたのです。
彼が私の名を呼び、私を喰らうその瞬間すら。
狂的に私を求め、私に執着する彼に、私はこの上ない愛情を覚えたのです。
一瞬でも、我が君のことさえ忘れていた。
貴方は怒られるかしら。いいえ、きっと笑われるでしょうね。
お前も酔狂だ、と。人間に落とされたか、と。
実際、貴方は私を笑われた。
笑って、もう十分だろう?と愚かな輪廻を繰り返す私を掬い上げ、過去へと投げ込んだ。
それなのに私は再び彼に惹かれずにはいられなかった。
記憶を消されても、彼との間に歪みを与えられようとも。
何度も繰り返した。貴方が呆れるほどに。
幾度呆れても、貴方は私を掬い上げて下さった。掬い上げるたびに壊れて落とされていくものに眉を顰めながら。自分の中で崩れていくものを感じながら、私はそれでも繰り返した。同じ事を、愚かな事を何度も何度も。
このままではいけないと分かっていた。
でも、すでに修復しようがない状態で。どこから手をつけたらいいのか。
どこも手が付けられない有様なのに。
・・・・・ああ。
ああ、我が君。
やり直しは、もういらないのです。
望むのは終焉なのです。それこそが救いなのです。
だから、彼女を求めたのです。貴方ではなく。貴方は、私に戻ることを求めるだろうから。
そして、たとえそれを諦めようと、貴方は終焉を与えてはくれないだろうから。
終焉を、全てを終わらせてくれる朱金の姫君を。
私たちは求めたのです。

美しかった。
朱金の姫君は。・・・貴方の姫君は。
見知らぬ私たちのために涙を流し、心を切り裂きながら私たちを葬った。
我が君が惹かれるのも無理もないと思った。あまりに彼女は美しくて。完璧なのに、何処か危うくて。誰もが愛さずにはいられない、そんな方。
あの方なら、私は構わない。
貴方を独占されても。貴方の本当の寵愛を受けても。
いいのです。それで、いいのです。
私がハゼルを想うように彼女が貴方を想い、ハゼルが私を想うように貴方が彼女を想っているのがわかるから。
だから、どうかその手を離すことのないよう。
私たちのように歪むことのないよう。
願うのはただそれだけ。
・・・それだけ。
それさえ叶うならば、私のことを忘れ去って下さっても構わない。
・・・ただ。
ただ、どうか今だけは・・・我が君、貴方だけは、私のことを理解して下さい。

どんなに壊れようとも。
どんなに痛みを受けようと。


それでも。

それでも。


我が君。




───私は、狂おしいほどに幸せだったのです。




 








<fin>



捏造第三弾。内梨のお話。彼女はとても大好きなキャラです。実際はちょっとしか出てないのですが、あの闇主を女と断定して心酔する彼女は実に新鮮でした。とても可愛らしい印象があるのに、歪んだ愛の泥沼の中にいる人っていうギャップも然り。闇主が気に入るのも納得ですよ。ああ、いつか出ないでしょうか?出るとしたら回想ぐらいですか。いつか彼女が番外編などで出てくれることを祈りつつ・・・。フェード・アウト!!


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