愛したことも、愛されたこともなかった。
 いつもあるのは、恐怖と憎悪。
 遠い昔に感じられる今となっても、正直どうしようもない嫌悪感に、不安に駆られることがある。
 それが、原因だった。
 今回のことも。


「鎖縛?」
 一気に現実に引き戻される声。
「……え…ああ……何だ?」
 少しばかり意識が空を泳いでいたため、何を言われたか理解できなかった。
 それを相手はよく思わなかったらしい。
「何だ……じゃないでしょう。仕事中に暈けないでよね」
 全く……とため息が自分の守護すべき娘、サティンの口から漏れる。
 今、自分達は浮城での仕事として山道を歩いていた。
 無論、騒ぎを起こす魔性の退治であるのは言うまでもない。
 仕事中だからこそのそのサティンの対応に、そうそう心が広いわけでもない鎖縛はムッとした表情を顔にのせた。
「雑魚相手に慎重になれという方が無理な話だろうが。文句言うなら一人でやれ」
 と……ぞんざいな口調である。
 前半は確かに頷けるところはある。妖貴の彼にとって下級魔性の相手など、退屈に他ならないだろうから。
 だが、後半はどうだ。
 ちょっと、小言を漏らしただけで機嫌を損ねるなど……。
「ガキの極みよ、その態度」
 思ったままの言葉をそのまま口にする。
 ピクリッと相手が反応した。
「……何だと?」
 明らかに怒りがその顔に宿っている。
 だが、サティンは動じなかった。
「言われたくないならもう少し素直になりなさいな」
 ツンと、顎を張ってそっぽを向く。
「可愛くない……そんな性格だから男もできないんだよ。お前は」
「あら、私自身が興味ないだけよ。その気になればいくらだってつくれるわ」
「どうだか」
 はっ、と吐き捨ててやる。
 これに、今度は娘の方が眉をひそめた。
「そういう自分も人のこと言えるの?あの人にラス取られたくせに」
 っていうか、あの人出る幕もなく振られたのだったわね。
 ほほほ、とふざけるように目の前の娘が嗤ってみせる。
 なんとまあ、人の神経を逆撫でするのが上手い娘かと、鎖縛は拳を握りながら顔を引きつらせた。
 そして、また相手に向けて負けじと嫌味を言い返してやろうと口を開く。
 その刹那。

ザッシュッッッッッッ

「っ!?」
 反射的に顔を防ごうと翳した鎖縛の腕を、風の刃が切り裂いた。
 深紅が飛び散る。
「鎖縛!!」
 さっきとは一変して緊張を顔に走らせた娘の驚愕の声を聞きながら、鎖縛は舌打ちをして力の放たれた茂みに鋭い視線を向けた。
 グルルルルルゥゥゥゥ・・・・
 ガサリ、と。
 醜いその姿をそのものが現す。
 そう、ここはもう今回片づけるべき魔性のテリトリー内であったのだ。
 あれだけ大声で叫び合えばそれは目立つに違いなかった。
「……雑魚がっ」
 人型らしい部分など一つも持ち合わせぬ存在で生意気な、と。
 悪態をつくと同時に、相手に向けて鎖縛が手を翳した。
 瞬間、魔性を幾つもの見えぬ刃が切り裂く。
 容赦ないその攻撃に金切り声のような悲鳴がその場にいる者の耳を突いた。
 聞いているだけで不愉快だ。
 トドメを刺してやろうと一歩足を踏み出した時。
 ビンッと弦を張る音が耳に届く。
「どいて、鎖縛」
 振り向いた先の娘は矢を番えていた。
「こんなもん、捕縛しても何の役にも立たんと思うぞ?」
 眉をひそめて言うと、ちらりと娘がこちらに視線を送る。
 わかってるわよ、と。
 その目で伝えてきた。
「不安要因は消しとかなきゃ、どんなことで言いがかりつけられるかわかんないでしょ」
「なるほど」
 聞いて、鎖縛は納得する。
 現在要注意人物として数えられている彼女。
 本当は逃がしたのではないかと、要は魔性に組みしたのではと、いつ浮城の連中が言ってきてもおかしくはない。
 仕事は完璧にこなすに越したことはなかった。
「有難く思いなさい」
 サティンが冗談めかしく、魔性に囁く。
 その手が矢を放った瞬間、全ては終わっていた。

「これで、仕事は終わりだな」
 気怠そうに、鎖縛が呟く。
 それに、サティンは応えず、ツカツカとこちらに詰め寄ってきた。
「? ……何だよ?」
 その行動に思わず鎖縛は後ずさる。
 詰め寄りきると、娘が言った。
「その腕!!」
「腕? ……ああ」
 言われて、自らの腕を見遣り、深紅が滴るのを認める。
「大したことじゃない」
 そう言ったのを、サティンはハアーとため息をついて遮った。
「貸してご覧なさい」
 娘が呟きをその場に落とし、そして、その手を血の流れ落ちる腕へと伸ばそうとする。
 大丈夫だと言っているのに、とその行動に顔を顰めた。
 そしてその視線が、娘の近づいてくる手に向けられる。
 ふいに。
 その手、が。
 ダブる。
 深紅に染まった傷口に伸ばされる……その指先。

 ………あの男の……。

「……っ!!」
 血の気が一気に引くのを全身で感じ取って……。

「触るなっっ!!」

 気づけば……そう言って彼女の手を払いのけていた。



 もうあれから一日が過ぎている。
 何も聞こえない、暗闇の空間。
 鎖縛はそこに何をするでもなく、ただそこに在った。
「随分と不景気な顔ね」
 少し、笑う気配を含ませた声が何もない空間から落ちてきた。
「衣於留か……」
 その名を口にすると同時に、その名の主が空間の割れ目を滑り落ちてくる。
 だが、鎖縛はそれを皆までは見届けず、フイッと顔を背けた。
「何のようだ?」
 ないなら、一人にしてくれ……と、言外で告げる。
 それに対する女の反応は実に居心地悪いものだった。
 クスクス、と。
 おかしそうに笑う響きが伝わってくる。
「……おい」
 思わず、不機嫌そうな視線を向ける。
 案の定笑っていた女が、あら、ごめんなさいね、と思ってもいないことを口にした。
「だって、あなたって本当に不器用なんですもの」
「……見てたのか?」
 自然と、非難するような口調になった。
 が、女はかぶりを小さく切る。
「その顔見れば、あの子との間に何かあったってことぐらいわかるわよ」
「……何もありゃしない」
 不愉快げに吐き捨てる。
 わざわざ、気に止めるような相手ではないのだ。
 勝手にあいつが押し付けた、それだけの間柄でしかない。
「昔の事を思い出して、胸くそ悪くなっただけだ」
 そう、告げる。
「ちょっと、謝れば済むことではないの」
「……人の話、聞いてなかったのか?」
 なおも、娘のことに話の重心をおく相手にこれ見よがしに眉をひそめた。
 しかし、どこまでも見え透いたような瞳が真っ直ぐに鎖縛のそれを射抜く。
「……さっき、あの子に会ったわ」
 ピクリッと微かに反応した。
 だが、すぐに顔を逸らす。
「それがどうした、関係ないね」
「素直じゃないわね」
「余計なお世話だ」
「……あっそう。」
 冷めた響きが女の声に含まれる。
 そして、その声のまま、女が囁いた。
「そうね……そんなに嫌なら、鎖縛……私があの子をどうにかしてあげましょうか?」
 冷たい気配を纏わせた、その言葉。
 顔を背けたまま、鎖縛はその言葉に目を見開く。
「……な…・・・に?」
 ゆっくりと振り返った。
 その先にある女の妖しい微笑み。
「私はもう、無理に生きたい理由も無くしてしまったし……なんなら同郷のよしみでこの命、あなたのために使ってやってもいいのよ?」
 鎖縛がサティンを護る。
 これはあの柘榴の君の呪縛。
 それを解くような真似は彼の不満を買うことになる。
 が、鼻から命を惜しまなければ無理なことではない。
 下手をすれば死ぬ方がマシなくらい生き地獄を味わうことになるかしれないが、その前に命を絶ってしまえばいいことだ。
 そうその瞳で告げる女に、鎖縛は顔を微かに強張らせ、嘲笑するように笑った。
「馬鹿なことを……」
「なら、そこで見てらっしゃい」
 その刹那、衣於留がその場から消える。
「おいっ!!」
 呼びかけは虚しく、その空間に木霊しただけ。
 その瞬間、護るべき娘の近くに、さっきまでここにいた者の気配が生まれる。
 ……馬鹿な。
 鎖縛は硬く拳を握る。
 ……どうせ本気じゃない。ただの虚言だ。
 なおもじわじわと娘に近づきつつある気配に、握った手に汗が滲んだ。
 たとえ本気だったとしても……。
「……願ってもないことじゃないか」
 あいつの呪縛から逃れられるのだ。
 好都合に他ならない。
 ……ならない、のに。

 ザワリッ……と、首もとに悪寒が走る。

 衣於留の手がサティンの首に触れた感触だ。
「……っ!!」
 ここで目を瞑ってしまえば済むことだった。
 それで全ては終わるのだから。
 だが、心がざわめく。
 あの娘が、サティンが……死ぬ。
 そのことが意味するところ。
 ……呼ぶ声が絶える、のか。
 ふいに、何かが鎖縛の心臓を鷲掴みにするような痛みが襲う。
 あの何よりも、誰よりも、はっきりと「自分」を呼ぶ……あの声、が。
 消えるのか。
 失う、のか。
 それは……それだけは。

 ───許せない。


「やめろっ!!」
 空間を渡ると、同時に叫んでいた。
 衣於留に背を向け、その声にこちらを見遣ったあの娘が視界に飛び込んでくる。
 衣於留の手がその首もとにあった。
 あったが……。
「………」
 思わず、沈黙する。
 その女魔性の手は、確かに、サティンの首もとにある。
 が、それは明らかに「ネックレス」……をとめようとしていた。
 ひとしきり呆然としたその後。
 ふいに視線のあった衣於留のその顔が、クスリと笑う。
 お馬鹿さん、とその笑みが物語っていた。
「………」
 ……はめられた。
 そう、鎖縛は確信した。
「……何なの? 鎖縛」
 いきなり出てきて「止めろ!!」と叫ばれて、首を傾げない方がおかしい。
 疑問を問いかけるその娘に、鎖縛は言葉に詰まる。
「…・いや…」
 説明しようがない。
 どう頭をひねっても、今し方の自分の行動はごまかせるものではなかった。
 しばし、答えられずにいる鎖縛。
 それを一瞥して、衣於留がポンッとサティンの背中を叩く。
「ネックレス、とめれたわよ」
「あっ、どうも」
 有り難う、とサティンが微笑む。
 ネックレス……そうだ……それは一体何なんだ!?
「……それ、どうした?」
 上擦った声で鎖縛が聞いた。
 サティンがキョトンとして、ああ、と呟く。
「衣於留さんが今くれたのよ」
 ……確信犯決定。
 なんだか、一気に肩の力が抜けていった。
 つくづく馬鹿だと思う。
 あんな手にのせられて……。
 だが……。

「……おい」

 ネックレスの感触が慣れないのか、いろいろ動かしているサティンに声を掛ける。
「何?」
「……悪かったな、昨日は」
 驚くほど、謝罪の言葉はすんなりと口から出てきた。
 一瞬目を娘が見開く。
 そして……。
「やーだっ、あんた気にしてたの!? あんなのラスで慣れっこよぉ!!」
 吹き出したように明るい笑い声が室内に響き渡った。
 予想外過ぎるその反応に、さすがの鎖縛も絶句する。
 娘はなおも続けた。
「いや、ラスの時はもっと酷かったわね。ちょっと手を出したら今にも引っ掻かれそうで……」
 それで、ホントに手出したら、引っ掻かれそうになったんだけどね。
 そうやって、お気に入りのあの金の娘のことを嬉しそうに話し続ける。
 明るい声だった。
 いつもの声。
 その娘の様子に、呆れながらも安堵する自分がどこかにいる。
「馬鹿だな」
 思わず失笑してしまった口元を押さえながら、そう娘に返してやる。
 何ですって!? と直ぐさま反駁の声が返ってきた。
 視界の片隅で衣於留が意味ありげに微笑んでいるのが目に入る。
 不思議と、不快に気分にはならなかった。

 何も変わってなどいない。
 今でも、あの狂おしいまでに恐怖せざるを得ない暗闇は追ってくる。

 それでも、その闇に捕まることは、……これから先もきっとないだろう。

 そう、この声を聞きながら思った。



<fin>


=============================================================================
はい。鎖×サです!!またか!!はいっ、またです!!(爆)
ちょっとね、雰囲気変えてみたのを書いてみたんです。どこが?と言われれば、
どこがでしょう?と自ら悩みざるを得ないわけですが。←理解不能
徒然なるままに・・・ですよ。何か気づけばパソコンで打ってました。
読み返して、ああ、展開わけわかんねー!!とか思ったりしました。
思ったんです。自覚有り!!です。(>_<)でも載せました!!
これ作った自分の苦労に同情して!!(阿呆)
こんな私ですよ。ええ。・・・・何かテンション高いなぁ、今日。
まあ、そんなわけです。(どんなわけだ)
                                              


                 BACK