いつまでも一緒に在り続けられるなんて思ってなかった。
だから気がかりな存在を放って置いてまで、彼と少しでも長く共にいたかった。

けれど決して。



・・・覚悟していたのはあんな別れ方じゃなかったのに。













「こんにちは。」

初めて見た彼は爽やかという言葉がぴったりくる好青年だった。
数少ない本屋で、知り合いでもないのに目があった瞬間に微笑みを浮かべて挨拶してきた。
その時私がその本屋にいたのはちょっとした好奇心、人間が短い一生を何時間も費やした結晶を覗いてみようかと思っただけのことで。
だからそこで青年と出会ったのは単なる偶然に他ならなかった。
当時の私の姿はと言えば、普段は漆黒の髪や瞳は、金髪と碧眼に変わっており。
彼は髪こそ焦げ茶だったが碧眼は私と一緒だった。

「あまり見かけない方ですね。この街の方ではないんですか?」

彼は片手に2冊の分厚い本を持ったまま、丁寧な口調で聞いてくる。
私はなんと答えたものか、と思いながら彼のことをじっと観察していた。
柔和な笑みは彼の人柄を如実に表していて、いかにも勉学に関心の強そうな雰囲気だ。
まあ、本屋で小難しい本を買っているのだから当たり前だが。

「先日、隣町から引っ越して来たの。」

私はそう答えて微笑みを浮かべて見せた。
人間に扮しているとはいえ、魔性の美貌はそのままだから大抵の人間はこれで自分に魅了される。
けれど、驚くべき事に、その青年は何でもないようににっこりと微笑み返してくるだけだった。

「そうですか・・・あ、申し遅れました。僕はラウルといいます。」

「まあ、私は・・・リーディアよ。よろしくね?」

青年の反応にあら?と思いながらその場で考えた名前を告げ、私は握手を求めて手を差し出した。
彼は何の躊躇もなく、その手を取ってにっこり微笑む。
普通ならこちらの圧倒的な存在感に気後れして尻込みするのに。


「こちらこそ・・・でも、此処に来たばかりとなると慣れるのに大変でしょう?いつでも困ったことがあったら言って下さい。お役に立ちますよ。」

「あら、それは助かるわ。」

相手の思いやり溢れる言葉に、私はもう一度確かめる意図を含んで再び優美に微笑んで見せた。
けれどやはり相手がこちらに捕らわれた様子はない。
親切なお兄さんの風情でただにこにこと微笑むばかりだった。
面白い、と思う。
自分の思い通りにならないものこそより強く陥落してみせたいと思う魔性ならではの衝動に駆られた。

「では、僕はこれで。」

彼は片手を上げて、そう告げるとくるりと背を向け、本屋の出口へと歩き出す。

「ラウル」

その背中を呼び止めると、彼は些か幼さの残る顔で振り返って首を傾げた。
そんな彼に囁くように告げる。

「明日も此処へ来るかしら?」

「・・・・・・・・僕が、ですか?」

「他に誰がいるの?」

「・・・はあ」

彼は少し考えるように沈黙し、それからこちらを見てやはり穏やかに微笑んだ。

「ええ、来ますよ。確か明日入荷する本があるので。」

「そう・・・わかったわ。」

私は艶やかに笑って、彼に手を振った。
彼は理解できていない様子だったが、とりあえず私に手を振り返して本屋から出て行った。
さあ、ゲームの始まりだと私は心を躍らせる。
すぐにこの街から去るつもりだったが気が変わった。
あの誠実な青年を落としてみせる・・・そう決心したのだ。
ミイラ取りがミイラになるなんて、その時の私は微塵にも思っていなかったのだけれど。




それを出会いとして、私はことあるごとに彼に絡んだ。
まず初めが街の案内。
こちらが呆れるくらいに優しい彼は嫌な顔ひとつせずに私に付き合ってくれた。
そこで私は彼がこの街では本屋と同じくらいに数少ない<学者>であることを知ることになる。
褒める私に彼は「死んだ父の真似事をしているだけですよ。」と謙遜したが、魔性の私からしても彼は実に頭のいい青年だった。
ほんの少し時間を共有しただけだったが、彼の物事に対する見方、考え方、どれを見ても普通の人間とは違う冷静で知的な感性を持っていた。
ますますそそられる興味。
それからは彼の研究を見に行ったりもした。
行くと言うよりはほとんど押しかけ状態だったのだけれど。
それでもやはり彼は彼で。
突拍子もなく現れた私に快く戸を開いてくれた。
そのままずるずると居座り続け、次第に助手のような形で彼を手伝うようになったりもして。
他の魔性からしたら馬鹿らしい真似事だったかもしれないけれど、現実に彼の研究は興味深いものだったし、何かに没頭する彼を見るのが無性に面白かった。
普段は穏やかに笑っている彼が、とても真剣に対象物を見つめるその姿は非常に貴重なような気がしたのだ。
何を隠すでもなく、私は彼に惹かれていた。
相手が人間だとか、自分が魔性だとか、私にとってはどうでもいいことだった。
私は人間を卑下し、接触すら避ける一般の魔性とは異なった性質を持っていたのだろう。
周りの魔性からも幾度と無く<変わり者>と言われていたから。
けれど周りの評価なんてどうでも良かった。
そう、何の葛藤もなかった。
ただ、彼の幼い子供のように笑う顔が。
すべてを悟っている者のように、ただ静かに穏やかに微笑む姿が。
何処までも清らかなその魂が。

気づけば、どうしようもなく愛おしかった。


だから、この青年だと決めたのだ。

前々からの願い。
子供を産んで育てるという願いを叶えるための相手に。




「いつもいつも有り難うございます。」

ある日、研究を手伝いに来た私に、彼は感謝の念を持ってそう告げてくれた。
いきなりだったので私は少し目を見張ったけれど、すぐに笑みを浮かべて見せた。

「あら、今更だわ。それに私も好きで手伝っているの、気にすることはないわ。・・・逆に邪魔じゃないか心配だけど。」

「邪魔だなんてそんな・・・。貴方のように聡明な方に手伝って頂けて僕は幸運ですよ。」

彼は慌てて私の言葉を否定して、それから何となく困ったような顔で言葉を続けた。

「ただ、ですね・・・・」

「ただ・・・?」

私が首を傾げて問うと、彼は私を一度見て、それから躊躇するように視線をフラフラと宙に泳がせた。
私は催促するでもなく、ただじっと彼の言葉を待った。
しばらくして、やっと決心がついたらしい。
彼は私から視線を逸らしたままポツリポツリと話し出す。

「その・・・先日のように・・・なるのはちょっと・・・・」

「先日?」

私は理解できないと言った様子で返す。
けれど実は彼が何を言いたいかは分かっていたりする。
きっとこの前のことだろう。
研究に没頭しているうちに夜が更けてしまって、こんな夜に家に帰るのは危ないと彼が主張してきたから(魔性の私にはまったく問題ではないのだけれど)、私はその夜、彼の家にそのまま泊まった。
だからと言ってこの誠実な青年相手に何があったわけでもないのだが。
それでもこの青年には独身の女性を不可抗力とはいえ家に泊めるのは、大問題だったらしい。

「ですから・・・この前のみたいに貴方を泊めたりすることのないよう、あまり帰りは遅くならないようにして頂けると有り難いんです・・・」

躊躇いがちにこちらの様子を伺いながら問うラウルに、私は彼らしいと思いながらも、この調子では願いが叶うのはかなり後になるのでは、とため息を心中で吐いていた。
もちろん、それは表面には出さず、彼の目の前では少し目を伏せて、憂いの表情を作り上げてみせる。

「そう・・・ご免なさいね。迷惑をかけてしまったわ・・・。」

「あ!いえ、違うんですよ!そういう意味じゃなくてっ・・・」

私の言葉に青年はまた慌てふためいて否定してきた。
それに私は忍んで笑いながら、両手で徐に顔を覆い・・・つまり泣き真似をしてやる。
少々からかったぐらい許されるだろう。
案の定、かなりそれに動揺した彼の声が降ってきた。

「・・リリリッリーディアッッ!!?」

「・・・私、調子に乗ってたのね・・・勝手にいつも押しかけて・・・・」

儚く小さく呟くと、彼が顔を真っ青にする。

「な!?だから違いますって!リーディアには本当に心から感謝してるんですよ!何度、貴方の発想がきっかけでそれまで全然成功しなかった実験が巧くいったことか!」

必死に宥めてくる青年に、私はゆっくりと顔を上げて彼を見つめた。

「それ、本当?」

「もちろんです!」

胸を張って答えた青年に私は再度問いかける。

「私、邪魔じゃないかしら?」

「そんなことありません!」

「私のこと、嫌いじゃない?」

「そんなわけないでしょう!?」

「じゃあ、これからも泊まったりしていい?」

「もちろんですよ!」


言った後、私がニヤリっと笑うと、彼がキョトンとし、それから今のやりとりの最後を思い返して「あ」と絶句する。
動揺した彼は口をパクパクさせて私を見つめた。

「リ・・・リーディア!貴方謀りましたね!?」

「あら、なんのことかしら?」

さっきまでのしおらしさはどこへやら。
私はホホホと笑いながら青年に答えてやる。

「せっかく許可が下りたことだし、さっそく今日も泊まらせて頂くわね?」

「!?リーディアッッ!!」

顔を真っ赤にして叫ぶ彼の声は空しく空中に溶けて消えた。






それからまた、月日は流れ。
知り合った当初は本当に純粋だった彼。
でも知り合ってから3年経って、彼も少し変わってきた。
なんというか・・・今まで女の影なんて全くなかったのに、ちらほらそういうのが見えだしたと言うべきかしら?
もちろん誠実なところは変わってないから何かあるわけでもなし。
ただ単に年頃のハンサムな彼に言い寄る女が増えてきた。
ただそのせいで女性と接触する機会が増えたせいか、彼は妙に女の扱いに慣れて来だした。
前は少し私がモーションを掛けるだけで顔を真っ赤にしていたのに、今では軽く笑ってかわしてくれる。
そうこうしている間に彼の人気は鰻登り。
さすがに長い年月を生きてきた魔性である私は嫉妬なんて抱いたことはなかったけど、いい加減危機を感じだした。
この3年、私に靡かなかった彼の前にヒョイッと彼好みの子が現れたりしたら・・・。
人間の女に負けるなんて思わなかったけど不可思議この上ない彼のことだ。
何があるか分からない。
焦りに負けた私はついに行動を起こした。
いつものように彼の家で研究を手伝って、ほぼ夜中に終えて、実験用具を片づけた後、疲れたのか、ふうっと息を吐きながら寝台に腰を下ろした彼の隣にそっと私も座った。

「ねえ、ラウル。」

「はい、どうしました?」

彼はやはり穏やかに微笑んで答えてくれる。

「私、欲しいものがあるの。」

「欲しいもの?」

何ですか?と首を傾げる彼に、私は彼を見つめフッと頬を緩めた。

「子供が欲しいの。」

妖艶に微笑みながら、囁く。

「子供を産んで、育ててみたいの。」

決め言葉だと思った。
少し露骨過ぎたかしら、と思ったが彼にはこのくらいで丁度いいはず。
彼はどんな反応を返してくるだろうか?
以前のように顔を真っ赤に染め上げるだろうか?

けれど。


「そうですか。やはり女性は皆、そう思うものなのですね。」

彼は極めてにこやかにそう答えた。
分かってない・・・・私は些か脱力しながら、それでも彼を見据え、続けた。
伊達に3年も彼と過ごしたわけではない。
この程度で挫けるようでは魔性の名が廃る。

「ラウルは、・・・欲しくない?」

甘ったるい響きを露わにして問うた。
ここまで言えば、暗に何を言おうとしているのか、いくらなんでも分かるだろう。
そう思っての今度こそ決め手とも言える言葉に、彼は一瞬きょとんとし、思考を巡す。

「僕ですか・・・?う〜ん・・・・子供は好きですし、自分の子供が欲しいかと言われれば欲しいと思うんですけど・・・・」

「・・・けど?」

先を催促する私に、彼は苦笑を浮かべてあっさりと答えた。

「生憎、産んでくれる方がいないので。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

固まった。
体も、表情も。
どこかで何かが切れる音がする。
・・・・ここまで言ってるのに・・・・・・・!!

「この鈍感ッッ!!」

「わ!」

力任せに彼を押し倒し、襟元を掴んで、顔を寄せる。
彼は目をぱちくりさせながら私を唖然と見上げる。
もう、いい。
遠回しな言い方など最初からせずにこうすれば良かった。

「だから!私は貴方の子供が産みたいって言ってるの!貴方と結婚して、貴方の子供産んで!貴方と子供を育てたいのッ!!」

息継ぎもせずに捲し立てる。
決してこんな展開を予想していたわけではなかったが、仕方がない。
肩で息をしながら、私は彼を見つめる。
ここまで言ってまだ惚けたことを向かすようなら魂を抜いてやると思った。

「・・・・・・・・・」

彼はただ、放心したように私の叫びを聞き、しばらく沈黙して。

「・・・・クッ・・・」

不意に顔を歪めたかと思うと、片手で顔を覆い、顔を背けて肩を小刻みに震わせ始めた。
・・・・つまり、爆笑してる。

「・・・・・何がおかしいの。」

私はその反応に少なからず声のトーンを下げて問う。
人の告白に爆笑するとは何事か、と。

「だっ・・・だって・・・リーディアッ・・・そんな・・・っ」

苦しげに笑いを押し殺しつつ、彼は何とか言葉を出した。

「そんな直接的な・・・・」

「貴方が全然気づかないからでしょ!!?」

思いっきり頭を叩いてやる。
頬が熱い。
きっと今自分は真っ赤に違いない。
こんな屈辱、生まれて初めてだ。
知らないわよ、こんな奴!
もう知らない!!

「あー、もういいわよ!他の人に頼むから!!」

そう言い切って、彼の上から退こうとする。
けれどそれは叶わなかった。
不意に彼の手が私の腕を引っ張って・・・・。
・・・・・・気づけば今度は自分が彼を見上げている格好になっていた。
押し倒されたのだと気づくのに数秒有する。
まさに突然の出来事。
思わず目を見開いてしまった。

「ラ・・・」

「駄目ですよ。」

優しい笑みのまま、目の前で彼が囁く。

「僕の子供・・・産んでくれるんでしょう?」

いつもからは到底想像できない・・・甘い囁き。
不覚にも、それに捕らわれてしまった。
頬がさっきよりも熱い。
身動き一つ、できない・・・・。
人間相手に、魔性であるこの私が。


「・・・・笑ったくせに。」

悔しげに彼の碧眼を見上げて呟く。
彼はうっすらと淡く微笑んでいる。

「貴方があまりにも可愛いもので。」

・・・追求したのは妖艶さで在って決して可愛らしさではなかったのだが。
何かこの青年に一枚上手を取られたような心地を感じながら、私はため息をついた。
青年は相も変わらず微笑んでいる。

「産んでくれますか?」

問うてくる言葉に、私は彼を見上げた。
そして、その青年の首に腕を巻き付ける。

「・・・産ませてくれる?」

問い返すと、一度目を見張って彼は苦笑した。

「・・・善処します。」






初めて出会ってから約4年後。
私はやっと本懐を遂げることが出来た。
生まれたのは男の子だった。
愛おしくて、愛おしくて。片時も目を離さずに世話をした。
それでもまだ、私よりも彼の方がずっと過保護で。
私のことも、坊やのことも、こちらが呆れるほどに気遣ってくれた。
ただ静かに、穏やかに過ぎていく日々。
人間のいう幸せとはこういうものなのだろう、と他の魔性が鼻先で笑うようなことを私はただ噛み締めるように思った。
私が魔性であり、彼が人間である限り、必ず訪れる避けられぬ別れがあることを忘れたわけではなかったが、それでもただこの刹那の幸せを悔いの無いように味わおうと決心していたのだ。





顔も忘れかけていたあの男が目の前に現れる、あの時までは。




坊やの三歳の誕生日。
家庭を得てからはまったく魔性としての力を使わず、一人の人間の女として生きていた私は、普通に街の店で食材を買い、町はずれにある二人の待つ家へと帰っていた。
人通りのない道。
・・・しかし。
たとえ、人間に擬態していようとも。
魔力を使うことを自粛していたとしても。
私は妖貴に違いなく、それ故にそこに潜む存在に気づいていた。

「何の用かしら?」

ひどく素っ気ない声で私は問う。
それは、私がその存在と一度顔を合わせたことがあり、その時の印象があまり良くなかったことに起因していた。
その存在・・・男魔性の名は・・・確か、参叉。
変わり者であり、その酔狂さ、幼ささえ感じさせる傲慢さ、そして魔性でさえ目を覆いたくなるような残虐さで有名な、あの柘榴の妖主に仕える者。
何よりも自分を優先させる・・・そう、あろうことか、より強き者に惹かれ、服従する魔性でありながら自らの主君よりも己の望みを優先させる一風変わった男だった。
あの時この者が自分を見る目に例えようもない嫌悪を感じたことを今でも覚えている。
心を寄せている・・・そう言えば聞こえはいいが、あれはそんな可愛いものではなくただ自らの欲望のままに相手を手に入れようとするどす黒い感情を宿した視線だった。

気にくわない。

私は当時、素直にそう思った。
だからろくに会話もすることなくさっさとその場を後にしたのだ。
あれからどれだけの月日が過ぎたのか。

そう、面白くもない回想に耽っていると、私の呼びかけに応じるように、スッと音も立てずに男が姿を現した。
それだけでその場の空気が妖気に凍り付く。
男の顔が喜々とした笑みに歪んだ。

「久方ぶりだな、衣於留。」

「・・・親しくもないのに、勝手に名を口にしないでくれる?」

躊躇いもなく魔性の名を口にする男に、私の嫌悪感が増大する。
こちらのその態度をわかっているだろうに、男は相も変わらず見下ろすように笑っていた。その目が私を映しながら不意に細められる。
愛おしそうに。

「随分と人間の姿でいるようだが・・・我が君ほどではないにしろ、お前も相当な酔狂だな。」

「それは私の勝手でしょう?」

「お前がそのような卑しい存在の格好をするのは気に喰わん。」

憤然と男は言った。
それに対し、何様よ、と口元に嘲笑を浮かべてやる。

「そちらの都合なんてどうでもいいわ。」

金の髪を払い、少なからず敵意を向けた視線で相手を見据える。
相手は怯みもせずに続けた。

「それは困る。」

「何故?」

「私はお前が欲しいのだ。」

「他を当たって頂戴。」

礼儀も何もあったもんじゃない、ただ強制する響きで告げてくる相手にわずかに剣呑さを宿した視線で牽制する。

「お前がいい。」

「私には夫と子供がいるの。他の男なんて目に入らないわ。」

なおも言い募ってくる相手に、ツンッと顎を逸らして言い切ってやる。
それに・・・・相手が口端を吊り上げた。

・・・残酷さで、塗り固めた笑みだった。






「案ずるな。」






男の冷えた声が空気を震わせる。


「もう、いない。」

「・・・・・・・・・」


呆然と、男を見た。
そしてその言葉の意味を・・・私は目を見開いて理解する。
理解しようと、した。
けれど心が拒絶する。
あり得ない・・・在ってはいけないことだ、と。
けれど・・・。

「────ッッッ」

焦燥に駆られながら意識を飛ばす。
今まで自粛していた魔力を総動員して。
愛しき者達がいる場所へ。
気配を探る。
在るはずの二つの気配。
なくてはならない気配。




「・・・・・・・・・・・・・・・・」




途切れた・・・気配。
目の前が真っ黒に染まる。
氷水に叩き付けられたような、存在そのものを揺るがしかねない心の衝撃。

不意に血の香りがする。
今の今まで隠していたのか。
愉悦に微笑する、目の前の男魔性から・・・・・掛け替えのない二人の・・・・・。
見開かれる目。
喉の奥から乾いた息が漏れる。





死ん・・・だ・・・・?



彼が・・・死んだ?



・・・坊やが死んだ?



・・・死んだ。


殺された。



この男に。



もう・・・・







もう二度と会えない。


「・・・・・あ・・・・」


歪む。すべてが。
頭の奥で警鈴が鳴り響く


「あああああああああああああああッッッッ!!!!!」


大地が揺れる。
大気が荒れ狂う。
放出される莫大な妖気のエネルギーに周囲の物が次々に崩壊していった。
予想外の展開だったのか、笑みを浮かべていた男の顔が驚愕を走らせる。

「何を!?・・っ・・鎮まれ!自滅する気か!!」

焦燥を隠せぬ声音。
だが何もかもが逆効果。
憎悪が渦を巻いて溢れ出す。
止まらない。
止めようとも思わない。


「参叉ぁあああああああああッッッッッッ!!!!」

殺意を露わに男を見据える。
許せない。
殺してやる。
滅ぼしてやる。
この存在すべてを掛けて。


私の形相に、男の顔が引きつる。
そして奴は悟った。

・・・・今の私を力でねじ伏せることは叶わない、と。

魔性の力・・・それは心。
・・・思い。
全てを打ち砕くまでに暴走した私の心は、奴の手に余るものだった。


・・・・・殺してやる!!


私のその思いは強い衝撃となって奴を襲う。
それに傷を負った奴は、唇を噛み締め、未練そうに私を見つめながらもその場から逃げ去った。
攻撃対象の喪失。
けれど力は収まりようがない。

耳に周りのものが次々に吹き飛ばされ叩き付けられ、壊れていく音が届く。



けれど、私はそれを音として認識できなかった。


無音。

視界が真っ白に塗りつぶされていく。


























『リーディア』





ああ。



微笑んで私の名を呼ぶ貴方。
・・・貴方は・・・・覚えているかしら?
一度だけ、貴方に本当の名を呼んでもらったのを。
一度だけでいいからそう呼んでみて、と頼む私に、首を傾げながらも貴方はその口に私の名を紡いでくれた。


『衣於留』


少し低めで、だけどよく通る貴方の声。
・・・・大変だったのよ?
思わず擬態を解きそうになってしまって。
けれど、同時にすごく幸せで。
ああ、人間はこういうときに涙が出るのね、って思ったわ。
私があんまりにも過剰に反応したものだから、幼い坊やもその名を繰り返し口にして。



ああ。


ああ、私。


幸せだった。

幸せだった。

幸せだった。

幸せだった。





・・・ねえ。


愛していたわ。

            誰よりも。



傍にいたかった。

            いつまでも。




・・・でも。


でも、それは叶わないから。

貴方は・・・人間、だから。

だけど。

こんな失い方をしたいわけじゃなかったのよ。

・・・護りたかったのよ。

何があっても。




・・・・・・・・なのに。



・・・ごめんなさいね。



辛かったでしょう?



痛かったでしょう?




・・・・ごめんなさいね。

・・・・・護ってあげられなくて・・・ごめんね。







愛しき貴方たち。






















「どうか・・・・・・・」





───声が、聞こえた。

ふと、現実に引き戻されるような、声。
優しく、穏やかに紡がれる、それ。
引き寄せられるように虚ろな目に光を戻し、私は呆然と目の前の存在を見つめた。

いたのは見たこともない青年だった。

周りに倒れているのは彼の同僚だろうか。
おそらく暴走した私の力にあてられたのだろう。
彼自身も傷を少々負っている。
でもそんなことはどうでも良かった。




・・・・・・・坊・・や・・・・・


目の前の青年の気配。
蘇る我が子の気配。
二つのそれの奇妙な一致。
心のどこかで納得する。


ああ。


ああ、この青年も・・・・。


「どうか、眠って下さい。」

優しく紡がれる言葉。
海のさざ波のように静かに、心に浸透していく。
青年の手の中にあるのは彼が倒れた同僚の懐から取り出した白木の礫。
封魔具・・・すぐにそう理解する。

「私では貴方のことを眠らせることができませんから・・・この礫を使います。・・・・・だから」

青年は荒れ狂う風の中、穏やかな微笑を掲げて私に手を差し出した。

「だから・・・眠って下さい。」

「・・・・・・・・」

嵐が・・・・収まっていく。
風が勢いを落とし、轟音が消えていく。
・・・漆黒の髪が視界の中に舞い降りる。


・・・・・・坊や・・・・・・


心の中で呟く。

目の前には優しく微笑む青年。
差し出された手は、静かに私を待っている。





ああ



ああ、生きていたなら、坊やもこんな風に育っていたのかしら・・・・。

こんな風に。

優しく穏やかな青年に。




そう思って。
・・・知らず、笑みが零れた。



・・・きっと。


きっとそうね。



貴方の子だもの。













・・・・ラウル・・・・











いつでも、何処までも、優しく穏やかに微笑んでいたあなたの・・・・・・・。







眠りは・・・静かに訪れた。
その眠りの先にある夢に、・・・彼の穏やかなあの笑みが見えた。



















































全てがただ静かに流れていく世界。

けれど、そこに亀裂が生じ始める。

その亀裂から侵入してきたのは、妖鬼の気配。

それが触手のようにこの夢の中を這い回り、やがて私に辿り着いて喜々と絡み、私の力を得ようと藻掻いている。

愚かね。

私は静かに嘲笑した。

そんな私の嘲りにも気づかず、やがてそれは私を包み込むと満足したようだった。

勝手に私を消化した気でいるらしい。

愚かだわ。

私は繰り返しつつ、同時にこの妖鬼の奥にいる存在を感じ取っていた。






ああ


参叉・・・・・・・・またお前なの。

またお前が私の静かな時を奪うの。



ふと蘇ってくる狂おしい激情。




今度こそ。




只じゃ済まさない。




憎悪に燃えた漆黒の瞳を煌めかせ、私は静かに微笑む。




水面下で誰にも気づかれることなく。

─────・・・白木の礫は漆黒に染まっていっていた。
                                           






<fin>


Back






<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
衣於留の昔の話。
回顧夢想のシリーズ風味でいってみました。
またもや勝手にオリキャラ&名前です。
捏造もいいとこなものですが読んで下さって有り難うございましたvv
ではでは。失礼します。

iru