ザワザワと。
 広い一室……と言っていいものか、とにかくパーティー会場であるその場所は上流階級の者達がひしめき合って、まずは世辞から会話を始め、賑わいを深めていた。
「……つまらんな」
 そんな中で、一言、誰にも聞こえぬ呟きをある者が漏らす。
 大手会社の社長、会長と古株の顔が並ぶ中でただ一人若さを持つ青年だった。
 否、若さだけではない。
 少し離れたところで若者は若者同士と言わんばかりにたむろする御曹司達の誰よりも、端麗な顔立ちを彼は当然のように携えていた。
 証拠に、御曹司達の中で大半のご令嬢達は彼らの声掛けには生返事をし、ただただほうっと、青年に熱い視線を向けている。
 だが、彼にそれに応える気は欠片もないようだった。
 年老いた者達に囲まれながら今の状勢などを次々と問いかけられている。
「九具楽……」
 堪らず、秘書の者に抗議の声を上げた。
 だが、その相手は彼の機嫌が傾いているのを分かっていながら協力する気はないようだ。
「我慢して下さい。重要な取引相手なんですから」
 と、簡単に言ってくれる。
 どうやら自分で何とかするしかないと、どうにかして抜けようとするのだが、こう大勢に囲まれてはそうそうそんな好機は訪れそうにない。いい加減苛立ってきた青年は手の中のワイングラスのワインをぶっかけてやろうかとまで考え出していた。
 そんな時だった。
 トンッと、背中に何かがぶつかってきたのは。
 瞬間、彼の手のワイングラスが揺れ、そのまま行き場を失ったワインの一部が下に零れる。だがそれは床の上ではなかった。
 純白に、深紅が染みこんでいく。
「あ……」
 青年の声と、ぶつかってきた者との声が重なった。
 若い女の声だった。
 思わず彼は内心顔をしかめる。
 どこのご令嬢だか知らないが、ドレスに染みを付けられて文句を言わない者はないだろう。とにかく、謝罪の言葉を言うべきかと、初めて相手と視線を合わせた。
 思えば、それがまずかった。
 琥珀とも金とも見える、その瞳。
 ……これは……。
 思わず彼はその姿に見惚れる。初めて、何かを美しいと思った。
「すまないっ、急いでいて……」
 一瞬の躊躇の表情が、少女の顔を染めた。
 おまけに、謝罪を求めるどころか自分の方が謝っている。
 そして、本当に急いでいるのだろう。
 早くこの場を去りたいが、さすがに相手に失礼になると、あたふたしているのだ。
 どうしてそんなに急いでいるのか……。
 原因はすぐにわかった。
「ラエスリールさんっ!!」
 混雑する人の波をかき分けながら四・五人の男達がこちらに向かって来ていた。
 それに気づいた瞬間、ラエスリールと呼ばれた少女の顔が見るからに青ざめていった。
 ……なるほど。
 青年は内心、納得した。
 つまりはこの御曹司共から執拗に追いかけ回されているのだ。
 ……わからんでも、ないな。
 視線を少女に向けて、彼はそう思った。
 そして、刹那。グイッと少女を自分のもとへ引き寄せる。
「!?」
 いきなり腕を引っ張られた少女はバランスを失い、そのまま青年の胸に倒れ込んでしまった。
「なっ何を!?」
「いいから少し口をとじていろ」
 唐突な出来事に少女は顔を真っ赤にして離れようとするのだが、それを彼は許さなかった。すぐさま、例の男達がこの場にたどり着く。
 と、同時に、彼らは先ほどのこの少女のように顔を青ざめ、その場に硬直するかのように立ちすくんだ。まあ、今までずっと追いかけていた女性が他の男の腕の中に収まっているのだ。当然の反応とも言えよう。
「おまっ……」
 お前は誰だ!!
 そう叫び掛けた男。
 が、危険な光を帯びる深紅の視線を向けられて、思わず言葉を飲み込んだ。
 同様に男達は皆、何かを言いかけ、でも何も言えずにおどおどしている。
 それに、青年の低く艶やかな声が響いた。
「何か用か?」
 サラリッ。
 その美しい指先で、少女の首元の髪を梳き上げる。
 当の少女はその行動に、青年の胸の中に顔を埋めたままさらに顔を真っ赤にさせていたのだが、そんなこ とを知るよしもない男達は、青年と少女の間に感じられる並々ならぬ空気にしばらく沈黙する。そして……。
「……何でもない」
 と、大変哀れな顔をしてすごすごとその場を去っていくのだった。
 やっと解放された少女は顔を真っ赤にしたまま、それでも俯き加減に礼を述べる。
「すっ……すまない。助かった」
 そういうなりそさくさと退散しようとした。
 が、もちろん青年はそれを見過ごしたりはしない。
 再び、グイッと相手の腕を引き寄せると、慣れた手つきで少女の肩抱き、今までの光景を呆然と見ていた社長やら会長やらに静かな微笑みを向けた。
 そう、これを利用しない手はないだろう。
「彼女にドレスの替わりを差し上げますので、ここで失礼します」
「え!?」
 何!? と言わんばかりの少女の視線を無視して青年はツカツカとその場からラエスリールを引きずるように連れて出て行く。
「ちょっと待ってくれ!!」
 これには少女は抗議の声を上げた。突発的に巻き起こる様々の状態に頭がついていかない。
 が、彼女の要求を青年が聞き入れたのはパーティーの騒がしさから離れたどこかの一室までたどり着いた時だった。部屋に入るなり肩を抱いていた手は離され、その場に少女は放置されてしまう。
「あのっ……」
 なにやら忙しくクローゼットな中を吟味しながら捜し物をしている青年に、ラエスリールは声をしり込みながらかけた。が、反応はなく彼は自分の行動に集中している。
「ああ、これがいいな」
「え……?」
 どうやら希望のものを見つけたらしく、それを手に持ったまま青年がやっと出てきた。
 シンプルなデザインの少し暗い紅色のドレス。
「これに着替えるといい」
「………」
 ズイッと差し出されたそれを思わず受け取り、しばしの沈黙の後。
「ええ!?」
 ラエスリールは叫んだ。
「こんな高価そうなものもらえないっ、私がぶつかったのに!!」
「じゃあ、そのシミのついたののままうろうろする気か?」
「私は気にしない!!」
「令嬢のドレスを汚したままほっといたなんて言われて困るのはこっちなんだよ」
「でもっ……」
 なおも反抗しとうとする少女。
 それに、青年はついに眉をひそめた。
「あんまり言うと、脱がすぞ」
「!!」
 この一言。
 これにラエスリールは渋々別室の着替えルームに向かったのだった。





                               BACK         NEXT