歩いても歩いても、見えるのは一面の砂の道。
 こういった旅の歩きに慣れているラエスリールでさえ、いい加減悪態をついてしまう。
「全く……どこまで続くんだか……」
 それに応えたのは今唯一この場に自分と居る存在。
「ほーら、ラス。闇主さんの言った通りだったでしょ?さっさと転移しちゃおーよ。あっという間にこの闇主さんが連れていってあげるから」
 暑さと疲れにへたれこんでいる者にとって、何とも神経を逆撫でする嬉々とした声であった。
「黙れ、闇主」
 体力も限界なので、短く言い放つ。
 が、これが何の役にも立たないのもすぐにわかった。
「ひっどーい、ラスってば。闇主さんがせっかくラスのこと気遣って言ってあげてるのにー」
 深紅を身に纏った美貌の男は、よよっ、と泣き真似までしてしてくれる。
 ……うっとおしい。
 そう心で呟いて、ラエスリールはまた言った。
「そんなに早く行きたいなら、さっさと一人でいけ。町中に転移なんぞされて騒ぎになったらこっちがいい迷惑なんだからな」
 何しろ、今回は内密に、というのが相手の要請であるのだ。
 間違っても目立つ行動はとれない。
「ラスってば、本当に闇主さんのこと信用してないんだから。上手く人のいないところに転移するなんて、この闇主さんにとっては朝飯前だっていうのに」
 またまた傷つきました、とわざとらしい顔で言ってのけてくれる。
「お前の言葉は信用できない」
 ラエスリールはその鉄面皮とすら言われる無表情を明らかにムスッとさせた。
 何度もわざとしか思えない嫌がらせを受けて、信じろという方が無理な話だ。
 人間不信──まあ、この相手は魔性ではあるが、嫌に人間くさいところを考えればそんなに違いはないだろう──に拍車がかかったら間違いなくこいつのせいといっても過言ではなかろう。だというのに、この男に反省の意志は皆無であった。

「ほんと素っ気ないんだから、ラスは。ま、そこがまたいいんだけど。そーだなー、それなら馬車を出してあげよう!そしたら何も目立ったりしないでしょ」
 ポンッと、さも名案が浮かんだとばかりに手を打つ自分の自称護り手に、ラエスリールは嫌な予感を感じて暑さのせいではない汗を頬に伝わらせた。
「ちょっ……ちょっと待て!! その馬車はどこから出す気だ!?」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと拝借しても何の問題もないとこから持ってくるから」
 嫌な予感的中。
「!? っ大丈夫じゃない!! この馬鹿者!! 人のものを勝手に拝借するなと何度言えば……!!」
 言った瞬間、青年の瞳にちろりと嫌な光が浮かんだ。
 へえ……と、言うなり。
「勝手じゃなければいいんだね?」
 じゃあ、話をつけてこよう。
 にこにこ、にこにこ。何の悪意も無さそうに言うだけに、何とも想像するのが恐ろしい。
「駄目だ!! お前の言うことは信用できないと言っている!! どうせ脅してくるつもりだろう!?」
「嫌だなー、そんなことしないってば。闇主さんは模範的護り手だよ? 相手が快く承諾してくれるようなやり方で話し合いをするつもりさ」
「嘘をつけ!! 嘘を!! どこに正体不明の相手に話し合いで馬車一台貸してくれる人がいるんだ!!」
「あ、ばれた?」
「ばれた? じゃないっ!!」
 ぜえぜえ疲労も露わに叫ぶラエスリールは、思わずグラリと揺らめく。
「おっと……」
 それを優雅に抱き留めたのは言うまでもなく深紅の青年。
「ほーら、言わんこっちゃない」
「うるさい……お前が余計な体力を使わせるから……」
 ぐるぐる回る視界の中でなんとか意識を保ちながら言い返す。
 が、青年は反省した様子もなくそのまま有無を言わせず転移した。
 気づけば街の路地裏。
 確かに誰にも見られていない。
「早いだろう?」
 ……こいつ、こうなるとわかっててわざと言ってたんじゃないだろうな。
 にやりと笑って言う青年に、ラエスリールはそう思わずにはいられないのであった。


 ラエスリールが今回仕事で向かったこの街は、アルザ王国の王宮が在る都市・ゼガウスだった。もちろん、依頼主はその王宮の人間からである。だが、内密であるためか、ラエスリールはその王宮の門を潜ることなく、その使者の男と在る場所で待ち合わせとなっていた。
 とある広場の端に、神父のような服を着た男が静かに佇んでいるのが目に入る。
 目印通りの容姿である。
 相手もこちらに気づいたらしく恭しくお辞儀をしてきた。
「やだなー、根暗そうで俺嫌い」
「口を閉じろ、闇主。……じゃないと紅蓮姫の餌にするぞ」
 殺気を込めて言い放つと、おや、怖いと、思ってもないくせに肩をすくめて言ってくる 。
 そうこう遣り取りしている間に例の男が静かな足取りで近づいてきた。
「……お待ちしておりました、破妖剣士様。マルクと申します」
「ラエスリールです」
「ラエスリール様……急がせて申し訳ございません。ですが、今すぐおいで頂きたい場所が御座います」
 マルクと名乗った男が忙しく周りを警戒しながら細々を小さな声で伝えてくる。
 よほど人に聞かれてはまずいのだろう。
「問題ありません。急を要すると以前から聞いておりましたから」
 そうラエスリールが告げると、男はほっとしたように微笑んだ。
「そう言って頂けると有難いです。……ではこちらへ」
 そう言い終えるやいなや、コツコツと早足でその場を男は後にする。
「やっぱり根暗だ」
「闇主……」
「わかってるよ、ラス。大人しくしてますってば」
「………」
 信用できないと、視線に疑心を露わに表す。
 が、青年は飄々としているだけだった。
 ラエスリールは仕方なくその場にため息を落として使者の男の後について歩き出した。

「ここです」
 男がその足を止め、ラエスリールを振り返ってその告げたのは、見るからにみすぼらしい一軒家の前だった。
「ここが……ですか?」
 王族の依頼と聞いていたラエスリールにとって、それは拍子抜けしてしまう事実。
 思わず間抜けな声を出してしまった。
「ええ、そうです……とりあえず中へ」
 男がそう言って中に入っていくのに習い、ついて中に入る。
 一言で言うなら、空き家その物だった。
 台所も何も全く手入れがされてないどころかここ最近使われた痕跡すらなかったのだ。
 至る所にクモの巣が張っていて、とても人が住んでいるとは思えない。
 それでも、男が入っていった部屋からは、規則正しい寝息が聞こえてきた。
「これ…は……」
 思わず息を飲む。
 そこに居たのは窶れ、虚ろな瞳でただ天井を見つめ続ける女だった。
 面影からして、相当の美女であったのは見て取れる。
 ただ、その女の腹はふくれていた。
 そこに新たな命か芽吹いているのは明らか。
「この女の名はエレザといいます。目こそ開けているものの意識はありません」
 使者のマルクが静かに言う。
「この女の母はシェリー・アルザ。この国の王妃です」
「王妃!?」
 ならこの娘は王女ということではないか。
 それが何故、こんな町はずれのみすぼらしい家にたった一人でいるのだ?
 顔に如実に表れていた疑問に、マルクは一瞬躊躇の反応をし、それでも息を一つついて応えた。
「この娘の父親は王ではないのです。……魔性なのですよ」
「!?」
「そして、今彼女がその腹に宿している子も、魔性の子……なのです」
「……半妖と魔性……の子?」
 思わず声が上擦った。
 それはより魔性の血を多く引く者ではないのか。
「ラエスリール様、ご覧下さい」
 言うなり、男はその手に剣を構える。
 女の腹、その上に。
 次の瞬間、男はそれを躊躇なく振り下ろした。
「!? ……なっ……!!」
 何をするのか、ととめかけたラエスリールの腕を闇主が制止する。
「放せ…闇っ……!!」
キンッ!!!
 怒鳴りつけようとしたラエスリールの耳に鋭い金属音がした。
 剣が、弾かれた音だった。
 何か結界が在るのか。
 女の周りを青白い光が包んでいたのを微かに見届けられた。
「……この通りです。我らにはどうすることも出来ない。この腹の子が邪魔をするのです」
 静かな男の、悔しさの響きを乗せる声にラエスリールは呆然とする。
 ……邪魔をする。
 つまり、この男はこの人を……いや、この二人を殺したいのか。
 その身に魔性の血を引くが故、に。
 思わず、憤った。
 だが、それを面に出すわけにはいかない。
「……それで、……私の仕事は?」
 静かに、しかしその声の内に熱いものを隠してラエスリールは問う。
 男がなんの感情もない顔で応えた。
「どうにかして、これを処分して頂きたい」
 ……その言葉に、ラエスリールは、無言で拳を硬く握った。


 猶予は腹の子が生まれてくるまで。
 そう告げて男はラエスリールと別れた。
 人気の無くなった先ほどの広場で、ラエスリールは無言で噴水のところに腰を下ろしていた。それに彼女の護り手である青年が傍に寄ってくる。
「ね? 嫌な奴だったでしょ?」
「………」
「ラース? 聞いてる?」
「……た……?」
「ん?」
「どうしてさっき止めた?」
 青年を見上げた瞳に剣呑な光が宿っていた。
「さて、なんのこと?」
「とぼけるな」
 きつく言い放つ。
「あの男が剣を振り下ろしたとき、何故私を止めたと言っている」
「あれ? ラス……もしかして、ずっとそのこと気にしてたの?」
「答えろ」
 紅蓮姫を持つ手に思わず力がこもる。
 理由次第では、その鞘を抜くことになるだろう。
 だが、青年はこちらの意図を読み取って、またもや戯けて見せた。
「まーた、そんな怖いこと考えて。言ったでしょ? ラスのためなら命の一つや二つ喜んで捨てるけど、その我が儘刀にご馳走してやるのは御免だって」
 肩を竦めて言う青年を、無言で睨み続ける。
 話を逸らされてやる気はない。
 そのラエスリールの様子に、しばしの間の後、闇主はしょーがないなーとため息をついた。
「だって、あのままだったらラス、あいつに疑われちゃうとこだったでしょ? ラスを誰よりも想う護り手の闇主さんとしてはその事態は避けたいわけで……あっ、あの腹の中のが自己防衛するのはわかってましたからね。ほんと言うとラス以外はどうだっていいんだけど、半妖とか聞いちゃうとラス、ほっとけないだろうってのはピンときたからね」
 闇主さんってば、ラスのことなら何でもわかっちゃうから、とかなんとかほざいてくれる。何よりもラエスリールが聞き流せない言葉をすんなり言ってくれるあたり、やっぱりここで殺してしまおうか、と思わずにはいられない。
「私の家族関係には触れるなと、何度言えばわかるんだ?」
「ラスのためを思うが故さ。現実は現実として受け止めなきゃ」
「……余計なお世話だ」
 フイッと顔を逸らす。
 いちいち相手していてもこいつ相手では埒があかない。
 が、そんなこっちの心情を知って知らずか相手はまだ言葉を紡いできた。
「で? その様子だと依頼通りの仕事ができるとは思えないけど?」
「……こんな仕事御免だ」
「じゃ、断ってさっさと帰る?」
「馬鹿、彼女達を助けるんだ」
 言った瞬間、闇主はあー、やっぱりと嫌そうな顔をする。
「嫌なら、付き合ってくれなくて良い。私一人でやる」
 もともと予想していた反応だけに、即座に言い放った。
「こらこら、勝手に自己完結しないで欲しいな。まだ誰も嫌だなんて言ってないでしょ?」
「顔が言ってる」
 断言する声に、しかし青年の口はどこまでも複雑且つ巧みにできていた。
「ラス。言葉は口から出て、初めて意味を為すんですよ」
 ……どこまでよくまわる口なんだか。
 ここまでくると、呆れを通り超えて感心してしまう。
 かと言って、言い返す程の気力は持ち合わせていなかったので、ラエスリールは何も言わなかった。
 まあ、懸命な判断だったといえよう。


        ※


「まあ、持って2日。下手すりゃ今晩にでもってとこだな」
 とりあえず、状況を把握しようと再び訪れたあの部屋で、彼の女性を前に闇主はそう呟いた。
 傍でそれを聞いていたラエスリールはふむ、と考え込む。
「つまり、今晩中に何とかしなくてはならないのか。……ギリギリだったんだな」
 説破詰まったラエスリールの声に、青年は呆れ声を今はいないさっきの男に向けて言う。
「ホント、ラス来る前に生まれてたらどうするつもりだったんだか」
 肩を竦めて無関心そうにしている護り手にちらりとラエスリールは視線を送った。
「どうすれば、助けられる?」
「……うーん、まあ、助けられるかどうかは別にしてこれの意識に潜り込めれるかどうかには問題ないけど。一応、本人の意志ってのがあるからね。知らずに空ぶっても救いようがないだろう?」
「確かに」
 で、それにはどうするんだ?
 そう、疑問を口にする前に……。
「じゃ、いってらっしゃい」
 ツンっと。
 激励の言葉と共に、端麗な指先が額をつついた……と思った時には、ラエスリールは問答無用で女の意識の中に投げ込まれていたのであった。
 ……こいつの辞書には順序という言葉はないのか!?
 事実を把握してラエスリールは堪らずそう心の中で悪態をついた。
 が、青年の言ったように、口から出なければ意味を為さないものであったが。
 ラエスリールの意識は深い、深い暗闇へと堕ちていった。





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