─ CLOWN
JOKER ─
vol.1
「統率者」 前編
まず、目に入る物の中で列挙すべきものは、薄暗い外套の光の中でさえ光沢ある金という彩色を誇っている獅子の飾り。
時には豪奢過ぎるとの批判を受けやすいそれは、しかしその場所に置いて誇張されすぎず、かといって無碍にそこに備え付けられているという印象もなく、この場の雰囲気を際だたせている。
そして、その背後に存在する滑らかな曲線を幾重にも重ねて織りなされた扉の装飾。
細かいところまで神経を使われて造り出されたであろうその細工は恐ろしいことに傷一つなく敢然とその場に佇み、訪問者を威圧の目で見下ろしていた。
これらを初めとして、その他に、横手に見える庭の噴水。
門の両端で悠然と構える柱上の置物。
ぐるりと余裕をもって屋敷を囲む高い塀。
と、まあ細かいところを口に乗せていけばキリがない。
全てを語っている内に、夜明け近いこの空は待ちこがれた太陽の光に白を足してパステル・ブルーへと変色し、そしてついには元の色に戻ってしまうだろう。
よって、手短に全体的に目の前の建物を一言で表すとしたならば……。
そう。
胡散臭い豪奢な館…が一番ピッタリ来るのではなかろうか。
そして、そんな大層な建物を前に、ため息一つ落とす存在が一人いた。
それは、この世の美をその一身にかき集めたような、女性。
漆黒と見紛うほどに深く暗い蒼鉛の長い髪。
しっとりと濡れたそれは微かな風に揺らされて、サラサラと波打つ。
それと同じく蒼鉛の瞳。
彼女が細い体系の割に軟弱な感じがしないのは、その瞳が宿す一閃をひそめた光故であろう。
文句の付け所がないのは、言ってしまえば、必然とも言及できる。
「何故、私が此処までしなくては……。」
狼狽と微かな怒気。
纏って落ちる声は凛と煌びやか。
そして。
その言葉を待っていたかのように沈黙を守っていた扉がその身を開け放つ。
あくまで優雅にゆっくりと、ではあるが。
嘆息をついて、女性はその奥から現れる顔を非難がましい目つきで睨んだ。
毎回のことである。
そして、毎回のことながら同じ顔がそこにあった。
漆黒の淑やかな髪の合間から覗く黄金の瞳は揺るぎなき光を宿し。
整った顔立ちは白磁のような肌。
これらで数多の女を落としてきた男。
その相手の顔が魅惑的な笑みを携えて言う。
「御機嫌麗しゅう、悠海の姫君。」
揶揄さえ感じられる口調で嫌味な挨拶を口にするのは、この館の主。
帝国のお抱え……魔導師、というか魔剣士というか。
とにかく「魔」のつくものならなんでも嫌味なまでに使いこなしてくれる、男。
オリヴァー=レンブラントである。
「こんな早朝から呼び出されて御機嫌なものか。」
皮肉という感情をこの上ないほど言葉に塗りつけて言ってやる。
しかし、この男は三日月を思わせる笑みを薄い唇で造り上げるだけ。
女の経験からいくと、この男がこういった反応の時はろくな事を言わない場合が多いのが常だった。
そして、どうやら今回も例外ではないようである。
確実に意図して魅力を込めた囁きで一言。
「ならば、もう少し夜が深い内にお呼びした方が良かったか……。」
───こちらとしてはその方が大歓迎なのだが。
その言葉に……女は渋面。
…まったく、本当につまらないことを言う。
この男は一体、何度そういう台詞を自分に言えば気が済むのか。
この道化じみた台詞にほとんどの女が眩暈を覚えるというのだから、世の中末期が近いとしか考えられない。
「ぬかせ」
腹の中でいろいろと言いつつ吐き捨てるように切り捨てれば、「おやおや」と肩を竦めてみせる。
「これでも少々本気なのだがな。」
言って、優雅な手つきで男が女の顎を捕らえた。
そのまま、重力に従うかのように女の唇に落ちようとする男のそれ。
けれど、その間を隔てるものがあった。
「今回の仕事だ」
「………」
油断ない女の手の中の、書類を入れた封筒が割って滑り込む。
「…相変わらず場の雰囲気の読めない人だ。」
少々非難めいた声であったことは否めなかった。
まあ、彼とてあまり期待してはいない。
そんな彼に女は封筒に遮られた向こうで一笑した。
「読んではいるさ、流されぬだけの話。」
「なおタチが悪い……つれないな。」
翳された封筒をここに来て受け取り、オリヴァー=レンブラントは再び目の前に現れた極上の蒼鉛の宝玉を覗き込む。
女のその瞳にはやや呆れの光。
「恋愛ごっこなら貴族を気取るご婦人達に相手をしてもらえ。生憎と私はそういう方面に疎くてな。」
言いきるが、男はまだ言葉遊びを楽しみたいのか、なかなか話題を逸らさなかった。
退屈になるとトコトン他人を巻き込んでまで気を紛らわせようとする悪癖の持ち主なのである。
「なんと、母なる海の如く広い慈悲の心を持つと謳われる君の言葉とは思えないことだ。」
喜劇のように高らかに歌い、幾人もの女を虜にしてきたその笑みで男は女を見詰める。
だが、いささか度が過ぎてしまったらしい。
女の眉間にはかすかに青筋。
「……オリヴァー」
牽制の色を濃く帯びる声に、男は肩を竦めて苦笑した。
「ああ、すまん。…そんなにムキになるな。ちょっとした遊び心じゃないか。」
全く反省の色がないのは、この男がこの男たる由縁であるから仕方がないことだろう。
ため息一つで許してやるのは少々抵抗があるが、仕方がないものは仕方がない。
とにかく用事は済んだので、女はさっさと帰ろうとする。
けれど彼女が踵を返すよりも先に、男が一歩後退した。
「さあ、入り給え」とでも言うかのような行動。
ジトリ、と睨むように女が見詰めると、またもやその肩を男は竦めてみせる。
「茶ぐらい付き合ったらどうだ?昨夜良い葉を使用人が仕入れてきたのだ。」
「………」
何も言わず、ただ女は見詰める。
何か言いたげな、その視線。
その意図するところを読み取って、オリヴァー=レンブラントは苦笑した。
降参だとばかりに両手を軽く上げる。
「ああ、わかった。…今回の仕事がつまみだ。」
「なら、よかろう。」
男の言葉を聞くなり、今の今まで渋面だった女はこれまた満面の笑みを浮かべて即答した。
目の前の男を「百戦錬磨の女落とし」と称する彼女。
自身もその笑みで無意識の内に百戦目を攻略しつつある自覚は皆無なのである。
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