黒鋼の翼 第一章 ・・・ 第二話(T)



 鉄道の上を、長い影が進んでいく。
 半分開かれた窓から心地よい風が送られてきた。
 これで外に無限に広がる草原があるなら言うことはないのだが。
「…殺風景なこった」
 心底長旅にうんざりしていることが伺える声が隣にだらしなく座る男の口から漏れる。
 その視線の先は、その言葉通りの何もない荒廃した大地。
 窓の外に広がる世界。
 そう、それは現実とでも言うもの。
「ま、今更何も期待しちゃいねーがな」
 ちらっとこちらを一瞥してまた男が言う。
 どうやら、さっきの呟きは一応自分の返答を期待したものだったらしい。
 こちらが黙っているので、間が悪そうに続けたのだろう。
「都市に入ればまた景色も変わろうよ」
 一息つき、全身を覆っているローブを整えながら答えてやる。
 それに男は不快そうに眉をひそめた。
「中心都市、ねぇ…。あんなに馬鹿でかく塔なんぞ建てやがって、…嫌味かよ」
 遠くに……本当にまだ小さくしか見えぬ程遠くにある目的地。
 それでもはっきりと一本「線」が見える。
 あれこそが、我らの真の目的地。
 そう、セントル・マナだ。
「都市中を監視するには、あれだけの高さが必要なのだろうよ」
 もやは、その「線」からは視線を離し、目を伏せていると男の何とも言えなさそうな顔が目に入る。
「…どうした?」
「…いや」
 首を傾げて聞くと、男は微かに苦笑した。
「あんたもなかなか嫌味だな」
 一呼吸置いて。
 その声に、こちらも少し苦笑する。
 さあ、行こうか。
 真の目的地へ、真の目的のために。
 鉄道を走る、長い影は速度を増していく。
 速く、さらに、速く……と。






 中心都市デルタ・ヴァルナ。
 一度滅んだ世界の至る所で始まった再建築都市の中でも群を抜いて急激な成長を遂げたこの都市には、SLE能力者の犯罪を取り締まるセントル・マナが中央に君臨していた。
 十人の長老から成る「十老」を筆頭に運営され、彼らの管理下に置かれたSLE能力者は騎士と巫女とに分けられる。その巫女の中でも格別の能力を持った者は称号を与えられ、「仙」とされた。現在、セントルにいる「仙」は四人であるため彼らは「四仙」と称されている。
 騎士一人に付き、巫女一人。
 お互いに対となって初めて彼らは仕事を受けられるようになる。
 それまで、彼らは「片翼待ち」として待ち続けるしかないのだ。
 また現在、数多とある「翼」の中でトップに立つのが、セントル唯一にして最強の騎士、涼子=D=トランベルと通常は翼にはならないはずの四仙の一人、「煉」の称号を持つシコウ=G=グランスから成る「黒鋼の翼」である。
 黒鋼とは、涼子の漆黒の髪と、鋼のごとき色素の薄いシコウの銀髪に由来している。
 実力もさることながら、その容貌までも取り揃えたこの翼は絶大的な人気と人望を独占していた。それはセントル・マナ内でも外でも同じ事。
 中心都市内にしても、その他の都市からにしても、今日も彼らへの仕事の依頼は絶たない。

「…いい加減、うざいわね」
 かの女騎士、涼子が明らかに不快そうな響きを含む声を上げたのは、その相棒、シコウのパソコンの画面にギッシリと敷き詰められた依頼要請情報の羅列を見たときだった。
「まあ、仕事ですからそう言わずに」
 その青年は自らも同じ事を思っていたものの、一応一般的返答を紡ぐ。
 彼らがいるのは一階の団欒スペースであった。日々の労働に疲れた騎士や巫女達がくつろげるようにと専門家がありったけの知恵を振り絞って設計したというそこは、確かに居心地は最高レベルだった。
 よって大抵ここが彼らのオフィスとなっている。
 仕事の話は大体それ用の個室が宛われているのだが、涼子がこっちの方が気楽でいいと言い張っているのだ。もはや団欒スペースは本来の意味を失してしまっている。
「…見てよ、これ。『祝・誕生日パーティーの護衛』ですって? どこがセントル向けの依頼なのよ。SLE能力者関係ないじゃない」
 ったく、これだから常識知らずのお金持ちは困ると涼子は一文を読み上げて頭を抱えた。
 その涼子の様子を見遣って、シコウが肩を竦めて答える。
「まあ、黒鋼指名は高いですからね、こういった人達からしか来ないでしょう」
「誰よ、そんな料金設定したの」
「…涼子さんですよ」
 流れるしばしの沈黙。
「…そうだったかしら?」
「……いいです、忘れて下さい」
 本気としか思えない様子で疑問を寄こしてくる涼子に、シコウはもうそうため息とともに呟くしかない。
 諦めが肝心なのだと、最近悟りが開けてきた。
 まったく悲しく虚しいことだが。
 まあ、ともかくも、いつもこういった会話が彼らの日常であった。





「ねぇ、シコウ。ジェルバから聞いた?」
 一通り仕事の話を終え、一階の受付所に今回の仕事の基本調査書の申込に行く途中で涼子が隣の青年に話しかけた。
「何のことです?」
 思い当たることのないシコウは首を傾げる。
 それに涼子は軽い口調で答えた。
「カンダランから研修にくるってヤツ」
 言うと、シコウが「ああ」と何か思い出したような顔をする。
「カンダラン市のレザルダントのヤツ、ですね。ええ、今朝聞きました」
 レザルダント、とはセントル・マナと同じSLE能力犯罪者管理機関だ。
 ただし、その管理能力はセントルに程遠い。
 一概には言えないが、大体の都市に所属するSLE能力犯罪者管理機関はその都市の力に比例している。つまり中心都市であるデルタ・ヴァルナに所属のセントル・マナはその頂点に位置することになるのだ。否、あるいはセントル・マナが所属しているからこそデルタ・ヴァルナが中心都市でいられるとも言えるのかも知れない。ともかく、都市とそこに所属する犯罪管理機関とは密接に関わり合っている。
 このレザルダントは決してその運営力が低いというわけではないが、セントル・マナほど完璧であるとも言えなかった。
 大体、カンダラン市自体、あまり再建が進んでいない。
 何にしても、まずはレザルダントの監視能力の向上が求められていた。
「だからって、研修…ねぇ…。初めてなんじゃない? こんなの」
 シコウの手にしていた申込書をスルリと取り上げ、パタパタと仰ぎながら涼子は気怠そうに言う。
 一瞬はシコウも取り返そうとする様子を見せたが、この涼子が相手では不可能であると察知して手を引っ込めた。
 まあ、懸命な判断である。
「そうですが、確かにここ最近、他の都市からのセントルへの負担が大きいですからね。一刻も早く外部の都市も自立してくれないと困るんでしょう」
 手ぶらになった右手をポケットに突っ込んで、シコウはため息をついた。
 そして一呼吸置いて、付け加える。
「まあ、あんまり意味はないでしょうけどね」
 その呟きに、涼子が目敏く反応する。
 瞳には微かな妖しい光。
「…っていうと、やっぱり見せないわけね」
「そうホイホイ見せれるもんじゃないでしょう?」
「確かに」
 肩を竦めて苦笑するシコウに、同じく涼子も苦笑した。
 そう、いくら発展して欲しいと言っても、限度というものがある。
 結果として相手に追い抜かれては元も子もない。
 都市間での競争があるように、こちらにはこちらの権力の競争があるのだ。
 その点において重要な鍵となるのが。
 ──魔力的SLE能力の身体的SLE能力への還元方法、であった。
「7割方なんだっけ、レザルダントの変換比率」
 手の中の申込書を持て余しながら涼子が問いかける。
「前回の報告では67,8%でしたから、ほぼそうですね」
 その涼子の様子を見遣って、紙に折り目がつかないかと心配しながらシコウが答えた。
 ――…事実として。
 魔力的能力は本質的なところで女性に合っている。
 つまり男性にはあまり合わない。
 だからこそ、男性のSLE能力者は管理機関に所属し次第、「男性に合う」身体的能力へと能力を加工するのだ。
 ただし。
 魔力的能力を身体的能力へと変換するのは、「サン・ラプス」の力ではない。
 「人間」の力、だ。
 ならば、それを行う者達の技術によってその結果に差異が生まれるのは至極当然のこと。だからこそ現在、どの管理機関もこの技術を極めようと必死なのだ。
 …このセントル・マナを除いて。
 人材もそうではあるが、この技術を完璧に習得したことこそ、セントル・マナを最高のSLE能力犯罪者管理機関たらしめているのである。
「まあ、私達には関係ないわね」
 一笑して、涼子は申込書をシコウの前に翳す。
 だが、それを受け取ったシコウは何とも言えなさそうな顔をしていた。
「それが…そうでもないみたいですよ」
「…どういう意味?」
 怪訝そうに眉をひそめると、シコウが視線を泳がせる。
 気が乗らない時の反応だ。
「…シコウ」
 牽制の意を込めて呼ぶと、青年は嘆息して言葉を零した。
 遅かれ早かれ知られることだ、と諦めて。
「…いえ、ね」
 申込書を口元に充て、狼狽した声で続ける。
「どうやら彼らの案内役を是非、黒鋼に。……ということらしいです」
 言った瞬間、予想通り涼子の片眉がつり上がる。
「はあ!?」
 目元を歪め、思いっきり不機嫌になった涼子。
 シコウはどう宥めたものかと、肩を落としたのだった。








 全くの正反対な二人組。
 それが、「彼ら」を初めて目にした時の涼子の感想だった。
 如何にも騎士っぽい、強靱な肉体を持った大柄の男。あまり手入れに気に掛けているようではないが、結構光沢のある金髪を携えている。ただ、その立ち方からして「だらしない」と思わず思ってしまうところがあるが。例えるならば、酒場によく溜まっている好奇心旺盛なゴロツキ共と似ている。
 一方、この男に対して対象的なもう一人の男。スラリとした体系だが、「細い」とは思わない。どこかしっかりと芯を通している雰囲気があった。癖のない、漆黒にも光加減によっては見える暗い蒼鉛の髪は、艶やかに光を反射して、肩口で切りそろえられている。深い藍色の瞳はどこか落ち着いていて、一見穏やかにすら感じた。
 …だが、それはあくまで「一見」である。
 涼子の本音を言うと。
 胡散臭い。
 …に他ならなかった。
「ほおー…」
 大柄な男の方が涼子達を視界に認めるなり、感心そうに声を上げる。
「いやいや、黒鋼は美形揃いだとは聞いてはいたが……これはまた」
 ニヤニヤしながら二人を眺める男は見るからに厭らしい視線を向けてきた。礼儀のなっていない相手の態度に、涼子を纏う空気の温度が一気に下降する。
「シコウ…警備員呼びなさい。この変質者をどっかにつまみ出すのよ」
 男の眼前で、眉をひそめて見事に言い放った。だが、男は景気良さそうに大声で笑うだけである。
「これまた噂通りのきつい姉ちゃんだなぁっ!!」
 ……命知らずな。
 シコウは苦笑いをその顔に浮かべ、また、この男の「がははっ」と、品のない笑い声に涼子が険しい表情をしたのを認めた上でそう思った。だが、その涼子の口から次なる悪態が飛び出す前に。
「口が過ぎますよ、ガンゾ」
 涼風のような、透明感ある声がガンゾと呼ばれたその大柄の男を牽制する。この大男のその体格に合うだけの大声の中で、呟き程のものでありながら、かき消される事なく耳に届いてくるのはどこか悪寒を感じた。皆の注目を一身に受けつつ、その男が穏やかに微笑む。例の「穏やかさ」であった。
「連れが失礼を。何分田舎者で御座いますので、どうぞお許し下さい」
 優雅な振る舞いで一礼する。涼子達は何も言わず相手が言葉を紡ぐのを待った。口を挟む隙がなかったと言うべきか。
 顔を上げた男がまたその笑みのまま告げる。
「私の名はレイン=M=ルードル。こっちはガンゾ=D=ディルダと申します。お二人には今回は無理なお願いをお受けして頂き、真に感謝しております。我が都市もこれを機会に発展、向上を目指したいと考えております故」
 ──どうぞ、宜しく。と、再び一礼。
「……いえ、こちらこそ。セントルも今の状況に苦心しているのが事実ですから。レザルダントの繁栄には期待していますよ」
 一拍置いて、シコウが笑みを持って答えた。華やかでありながら落ち着いた微笑。
 ───こいつのこの笑い方も十分胡散臭いんだけどね。
 そんなシコウを横目に見遣って涼子がフンッと鼻先で笑う。ただ、シコウのそれに反応したのは涼子だけではなかった。
「へぇー、これまた別嬪な兄ちゃんだなー」
 ガンゾがまた反省もなく感心そうに呟く。
「巫女、なんだっけあんた? 確かに儚さが合う感じだからなぁー」
 言いながらトンッとシコウの胸板を軽く小突いた。体格差を考えないその力の入れ具合に、思わずシコウはよろめき、苦笑した。
「ガンゾ……」
「へいへい。すまねーな。目新しいもんばっかでちょいと浮かれてるんだ」
 また牽制の声がかかると、ガンゾは大して悪びれる風もなく謝罪する。
 涼子はこういった輩は好きではないので、……というか寧ろ嫌悪さえ感じるのでこの案内役にますます気が進まなくなった。
「シコウ……」
 ───今回の役、降りても良いかしら?
 言わなくとも伝わる内容に、同意見ではあるが結果としてそれが不可能であることを知っている青年は最早定着しつつある苦笑を浮かべるしかなかった。
「…諦めましょう」
 虚しい一言がただ傍の涼子にだけ届くのだった。






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