黒鋼の翼 第一章 ・・・ 第二話 (U)


カタリッ…コトリッ…

一定のリズムを持って、音が生まれる。
決して崩れぬ調子。
それは、その音を生み出す者にさえままならない。
…崩したくとも、崩せない。

カタリッ…コトリッ…

終わりは見えない。
───元ニ戻リタイ。
歯がゆい想いを顔に表すことすらできない。
───元ニ戻レナイ。
この一本調子の足音を蹴散らしてやりたいのに。
────ソレガ叶ワナイナラバ……。
────モウ戻レナイナラバ……。


……いっそ誰か、終わらせてしまって……


複数の魂が足音とともに悲鳴を響かせる。



    ※



 中心都市デルタ・ヴァルナの最高犯罪管理機関セントル・マナ。
 只今涼子達がいるのは、その34階であった。
 オフィスビルのような造りになっているセントルもこの階ではその雰囲気は見出せない。中央を円型競技場のようにし、大きな空間が我が物顔でそこを陣取っており、この階で他にあるのはグルリとその周りを囲む廊下くらいだ。その廊下もガラス張りになっていて中の様子を見物することができる造りになっている。
 そしてまさに今、剣と剣が交わる…響き渡る金属音。
 それが、ガラス一枚隔てた向こうから耳に届く。
「ほお、闘技場ですか」
 レインが感心そうにそれを見て呟いた。
「ええ、約200人程度が入れます」
 義務的な態度でシコウが答えると、レインが何か言いかけるように振り返る。
 だがその口が言葉を紡ぐより先に…。
「セントルは騎士の剣技大会ってのがあるんだろ? それもここでするのか?」
 やはり、騎士の血が騒ぐらしい。上機嫌な様子のガンゾが声に嬉々としたものを乗せて問いてきた。
「いえ、それは…」
「ここは予選でしか使わないわ」
 シコウの言葉をきっぱりとした口調で涼子が遮る。
 今まで憮然とした態度で、ずっと口を聞かなかっただけに皆の視線が彼女に集まった。
「…と、いいますと他にも?」
 レインが聞き返すと、涼子は微かに肩を竦めてみせる。
「セントルの横に建物があったでしょう?」
「…って。あの横に在ったヤツか!? あんなどでかいの全部闘技場なのかよ!?」
 驚愕も露わに大声で叫ぶガンゾに涼子は「まあね」と、無愛想な返事をした。
 ──それを聞いた二人の反応。
「…それはまた…」
 本当に感心したように顎を撫でるようなしぐさをするレインに。
「やっぱ、中心都市は違うねぇ。やることが派手だわな」
 うんうんと何やら、一人納得したような様子のガンゾ。
 …実は、昨期からこの調子がずっと続いている。
 騎士の寮を見せたときも(巫女のはさすがに憚られたので見せなかったが)、一階のいつもの団欒スペースを見せたときも、大画面で現れる各翼の仕事予定電子掲示板を見たときも。
 すべて、この反応であった。まるで初めて動物園にでも来た子供のような感動の連続の様子を見せるのである。
 いくらなんでも、そこまで感心することはないだろう。
「あんたら、一体どんなとこで仕事してんのよ…」
 レザルダントがいくらセントルほど発達していないとはいえ、団欒スペースぐらいはあるだろうに。
 いい加減、呆れきってしまった涼子は思わず呟く。その呟きに男達二人は顔を見合わせた。そして、どちらともなく苦笑する。涼子に向き直って応えたのは、レインだった。
「…いや、お恥ずかしいことですが。何もかも、レザルダントとはスケールが違いましてね」
 ついつい…。
 その苦笑した顔はどこか親しみを感じさせる。が、やはり、第一印象で胡散臭い、と位置づけてしまったのが後を引きずっているせいか。涼子はそれを素直に受け入れる気にはならなかった。変わらず渋面したままの涼子を余所に、ガンゾが目の前の闘技場をあちこち見回しながら自嘲っぽく笑みを乗せる。
「闘技場ったって、この一回り小さいのが一個あるぐらいだからなぁ」
 ふとこぼれ落ちたその言葉。それに、シコウが微かに首を傾げた。
「おや…? レザルダントにはもう少し闘技場があったと思いましたが…」
 自分の記憶違いだろうかと、青年は考え込む。それを、直ぐさまレインの透明感在る声が遮った。
「…いえいえ、あってますよ。全部で3つあります。このガンゾはまだ新人でしてね。一つしか見たことがないのですよ」
 にっこりと「穏やかな」微笑みがその表情に露わになる。
「…そうそう! 悪ぃな、まぎらわしいこと言っちまって」
 矢次のごとくガンゾが口を挟んだ。シコウは…微かに笑ってそれに応える。
「…そうですか。いえ、いいんですよ。入ったばかりならまだ勝手がわからないでしょうから」
 そして生まれる微妙な間。
「ちょとシコウ、さっさと次に行くわよ。こっちだって暇じゃないんだから」
 それを破るかのように、「手っ取り早くこんな面倒臭い仕事は終わらせたい」という心情をその顔に十二分に表して涼子が告げた。あからさまなその態度に珍しくも小言を言わず、顔を顰めることなく、シコウは「そうですね。」と涼子に同意する。
「………?」
 何か変なもんでも食べたのかしら?
 そう、その事に首を傾げながらも、涼子はその言葉に甘えて次へとさっさと行くことにした。今日は次の仕事が遠出になるために、いろいろと準備をしなくてはならないのだ。面倒だというのも本音だが、実際に忙しい。
 だが、そこから二カ所ほど案内した後。急にシコウが何か思い出したように「あっ!」と声を上げる。「何」と涼子が怪訝そうに問うと、青年はすまなそうな顔で口を開いた。
「申し訳ありませんが、急用を思い出しました。ここから先は涼子さんにおまかせしますので」
 その言葉に一瞬の沈黙。
 そして…。
「はあ!?」
「…あ、いや。我々は構いませんが…」
「そうですか。そう言って頂けると有り難いです。ではここで」
 涼子の声を無視して勝手に会話を終わらせて去っていこうとする青年。もちろん涼子が許すはずもない。
「ちょっと、シコウ!! ふざけるんじゃないわよっ!! あんた私一人にっ…」
 厄介事を押し付ける気なのか。そう言いきる前に…。
「前回のAS・431の件の最終報告書」
 静かなシコウの声がその場に凛と響く。
 …ピクリ。
 微かに反応する涼子。
 だがシコウの声はまだ続く。
「連続未遂SLE犯罪のG9区調査結果検討用資料の作成」
「……」
「ダイガンズ市、出張要請願いに伴う管理都市外出要請」
「……」
「これ全部、今日の21:00締切ですけど」
「………」
「涼子さん代わってくれますか?」
「…………」
 まったく微動だにしない涼子。それにシコウが追い打ちの一言を投げかける。
「それでもいいんですけどね、私は別に。もともと騎士の仕事ですし」
「…さっさと行きなさいよ」
 「騎士の仕事ですし」のところに嫌に圧力を感じ、涼子は降参の白旗を揚げた。デスクワークよりも、まだ動いている分こっちの方が楽だと自分を納得させて。
「それじゃあ、頼みましたよ」
 表面上の笑顔を纏って、青年は彼らに別れを告げる。何とも癪ではあるが、涼子はため息をついてその背を見送るしかないのであった。
 ───最近、どうも生意気加減が増してるわね。
 そう、涼子は今後の改善点を深く心に刻み込んだ。



     ※


「トランベル一等尉殿」
 ふいに、レインが声を掛けてくる。何度も思うのだが、何故かこの男の声は気に入らない。そんなのは生理的なものだから仕方がないではないかと非難されるかもしれないが。だが、音質とか、そういうことではなくて。声に纏った雰囲気が、気に食わなのだ。だから、対応も感情に流されて素っ気ないものになってしまう。
「…何?」
 ツンとした言い草に、だが、相手はさほど気に掛けてはいないようだ。まあ、最初会った時からこんな態度だから、こういう性格なのだと割り切ってくれているのかもしれない。
「ご迷惑をお掛けして大変申し訳ないのですが、一つお願い事をしても宜しいでしょうか?」
 恐縮した様子で言ってくるその言葉に、涼子は微かに眉をひそめた。最早、世界の常識事になっていることではあるが、この涼子は面倒事が大嫌いなのである。お願い事=面倒事と直ぐさま繋がる涼子の思考回路ではその反応は至極当たり前だった。
「………内容によるわ」
 だからといって、書類上セントル・マナの客となっている相手をそう邪険には出来ない。不本意なのを答える前に造った十二分の沈黙で露骨に表して言う。レインが一度、ガンゾと顔を見合わせて、こちらをまた振り返った。
 そして、告げる。
 願い事とやらを。
「DYW倉庫を見学させて頂けませんか?」
「DYW?」
 その言葉の内容に、涼子は不可解そうに首を傾げる。
 DYWとは、以前にセントルで使用されていた移転装置だ。だが、今では新たな製品にその地位を取って代わられ、ほとんど使用されていない。確かほとんど廃棄処分になったはずだ。
「そんなとこ行ってどうすんのよ? もう何もないわよ?」
 行っても空っぽの倉庫が待っているだけだ。以前使用していた移転装置ぐらいわけてやらないほどセントルもケチではないが、すでに処分してしまったものはどうしようもない。だがレインは小さくかぶりを切った。
「いえ、是非その倉庫の造りを見てみたいのです。我らのレザルダントでもその知識を生かしたいと思っております故」
 言ったレインの言葉にガンゾが何やら頷いている。感心しているような仕草だった。
 何に?
 疑問に思いはしたが、さして気には止まらなかった。
「まあ、あそこは確かに変な造りにはなっているけど。設計ミス上のことだって聞いてるわよ? そんなのが手本でいいの?」
「ええ、ここでは失敗作でもレザルダントでは必要なものなのです」
 直ぐさま返ってきた返答に涼子はふーむ、と考え込む。
 DYW倉庫…に行くには…。
「わかったわ、それぐらいなら連れっててやるわよ。ただ、言ったとおり変な構造してるもんだから、一旦74階に行ってから、連絡通路渡らないといけないのよ」
「では、まず74階に?」
「そうなるわね。…じゃあ、これからエレベーターのところに行くわよ」
 言うなり男二人に背を向け、涼子はさっさと目的地に向けて歩き出す。その背中を見遣り、レイン達は微かな笑みを交わした。背を向けている涼子には当然分かるはずもなかったのだが。




 エレベーターに待ち人は涼子達だけだった。
 押しボタンを押して待っていると、ランプがどんどん上がってきて、涼子達のいる階の番号へと迫ってきた。
 高く、短い音が鳴って、ドアが開く。
「げ」
 と、その中を見るなり涼子は声を上げてしまった。
 ざっと見渡して、9人。
 11人を収容するエレベーターではあと二人しか乗れない。まあ、余分に見積もっての11人という数ではあろうが、このガンゾが乗ってしまうとご苦労にもその埋め合わせはちゃんとしてくれそうだ。
「次のに乗りましょうか?」
 レインが涼子の顔をのぞき込んで聞いてくる。だが、涼子はため息を漏らしてそのまま二人を無言でエレベーター内に押し込めた。
「いいから、先に行ってなさい。74階だからね? 私もすぐ行くわ」
 反論する暇も与えず、中に乗っている人に扉を閉めさせる。
 一気に静かになった。
「…あー…しんどいわー」
 何が楽しくてむさ苦しい男と胡散臭い男を連れて、見飽きたセントル内を案内しなければならないのか。
 やっと一人になれて、涼子はため息とも言える息をつく。まあ、それも次のエレベーターに乗って、74階に降りるまでの短い時間ではあるけれども。
 ……このまま逃げだしちゃー…やばいわよね。
 あるまじき考えが頭を過ぎるが、なんとかかけなしの理性でもって押さえることにした。後々、厄介なことになってしまうだろうから。
 まあ、今は我慢だ。
「…シコウ、覚えてなさいよ」
 まんまとこの状況から逃げ出した相棒の顔を脳裏に浮かべ唇を噛みしめる。いや、彼は彼で提出物に追われているのだから、決して良い状況ではないだろうけれど。
「……」
 そう考えたとき、ふと涼子は違和感を感じる。
 …おかしい。
 さっきは事態が急で納得してしまったが。提出物に彼が追われることなど、今まであっただろうか?腐っても鯛…いや、自分の相棒だ。書類関係の仕事は完璧にいつもこなしていたはず。忘れていた、など有り得ない…はずなのだ、自分の見解からいけば。
「…サボリ?」
 ならば、今すぐ引きずり出して文句攻めにしたいところでは在るが、可能性としては低い。涼子は一応、青年が仕事に関しては誠実であると認めている。
 では一体何が?
 …わからない。
 推測するには情報が少なすぎる。立てたところで、仮説にしかなり得ないだろう。
「……あーもう、全く…!」
 今日は随分と不可解なこと、あるいは不快なことが多すぎる。
 厄日…だろうか?
 眉をひそめた涼子に、次のエレベーターが着いた音が答えた。






 時を同じくして。
 書類を作成しているはずだったシコウは、パソコンの前でデータを調べていた。
 気怠げに片肘を突きながら、いくつもことある事に出てくるパスワード入力を初めから知っていることのようにクリアしていく。時には複雑なもの、簡単な仕掛けのもあったが、入力速度はこのシコウにしてみれば大して変わらない。要は全てあっという間に解き明かされてしまっているというわけだ。…ここまでくるとこのセキュリティガードを造った人間が哀れを通り越して滑稽に思えてくる。
 そのシコウが無表情で画面を見詰め続ける。
 画面には目が痛くなるほどギッシリと敷き詰められた文字の羅列が果てしく続いていた。
 不意に。
 ピクリとシコウの目元が在る場所に来たときに反応する。ついで、その端麗な口元に笑みが浮かんだ。
「なるほど…ね」
 誰に当てたというわけでもなく、呟く。
 そして数秒、画面を見詰めた後に今までの面倒な過程の賜物をアッサリと電源ごと切ってしまった。必要な人物から見れば、思わず「あっ!」とこの瞬間に声を上げたに違いない。せめて保存すればいいのに、と。
 だが、必要ないのだ。
 この青年にとって保存は頭にするだけで十分なのだから。
 名残惜しそうな気配もなく、シコウはパソコンの前から立ち上がる。
 やらなければならないことができた。
 今すぐに、である。
 コンピューター室を出るために、ドアのノブに手をかけ、捻って開ける。その隙間が30センチ程になったとき……悲鳴ともつかぬざわめきが響いた。それはエレベーターの方からであった。
 ただ、「落ちた!」という叫び声だけが、言葉としてシコウの耳に届く。
 ……エレベーターが落ちたのだ、と。






BACK    NEXT