黒鋼の翼 第一章 ・・・ 第三話(T)


 男はただ呆然と空を眺めていた。絵の具をむれることなく押し広げたような青色が、そこには埋め尽くされている。
 流れる雲が右から左へとゆったりと泳いでいくそれは一見何処にでもある平凡な風景。
 けれどその風景を見つめる男の心情は、穏やかとは程遠かった。激情が波のようにその心に押し寄せ、安らぐ時など一瞬とてない。心惑うその男の、耳に届くのは風の音と、記憶の中のあの声。目を閉じ、耳を澄ませ、男は縋るようにその声を求めた。
 その声だけが一時の平穏を男の心にもたらす。だが、その記憶だけの存在にしがみつき、感傷に浸って月日が過ぎるのを見送るほど、男は悲観的ではなく、また無力でもなかった。一度は閉じたその瞳を、ただ一つの対象物を映すためだけに開く。
 視界には晴れ上がった青空をバックに、悠然とそびえる建物。
 あそこに、いる。
 切ない光を宿した瞳で、男は一心に見つめた。
 愛しいと、誓ったあの人が。
 あそこに……。
「ライラ……」
 高ぶる胸を押さえ、そう男は噛みしめるように呟く。
 この耳にあの声を僅かに届ける風が、隣を吹き抜けていった。





 薄暗く、湿気の多いその場所に、二つの影が長く伸びている。
「……痛いわ」
 憮然とした女の声が響いた。
 続いて、一瞬の沈黙と嘆息する男の気配。
「仕方がないでしょう? 涼子さんが無茶するから悪いんですよ」
 言いながら、理不尽な不満を向けられた彼は女の深紅滴る傷口に手を翳す。
 手の甲に描かれた蔦のような紋様に淡い光が灯り、その光に照らし出された傷が見る見るうちに再生していく。数秒待てば、そこに傷はおろか、小さな跡一つ見つけられなかった。
 だが、やはりその結果にさえ女の顰められた眉が緩むことはない。
「何のためにあんたがいるのよ」
「……治療してるじゃないですか」
 なおもこちらの責を言及する女性の声に言い返せば、簡潔な答えが返ってきた。
「怪我を未然に防ぐぐらいやってみせなさいって言ってるの」
 無茶苦茶な……。
 銀髪の青年・シコウは、相手の傍若無人ぶりにため息を深くつく。
 これ見よがしにしたつもりだったが、それでも涼子の悪態は止まらない。
 否、止められるような人物が存在しようか。
「ったく、四仙が聞いて呆れるわ」
「………」
「今、『それなら相方に選ばなければいいのに…』とか考えたでしょう?」
「……分かってるなら自制して下さいよ」
 恨みがましい顔で言うと、今度は涼子がこれ見よがしに眉をひそめる。
 それはもう、憮然とした渋面で。
「何で私がそこまでしてやらなきゃならないのよ」
 ……もはや、シコウは何も言い返す気にもならなかった。
 傲慢の代名詞、傍若無人を誇らしげに振り翳すセントル唯一の女騎士。
 そんな彼女に意見を呑んで貰おうとした自分の行為こそが、最初から愚かに他ならなかったのかも知れない。
 埒のあかない内容は綺麗サッパリ諦めて、シコウは今一番考えなくてはならないことを話題に上らせる。
「わかりました、私が悪かったんです。そういうことにしときますから…それより、どうしたもんですかね。この状況」
 そうシコウが呟くと同時に。
 ピチョンッ……
 水滴が落ちる。
 只今、涼子達がいるのは薄暗い場所。
 両面を挟み込む壁は赤黒いレンガで積み上げられそれは天井まで上って楕円形にアーチを造り出している。
 一歩先の段差の向こうには濁った川。
 コンクリートの地面は嫌に冷たかった。
 世にいう、下水道…というヤツである。
「どうするってどうするのよ?」
「それを考えて下さいって言ってるんです」
「分析系はあんたのお得意でしょう?」
「……って言われましてもねぇ」
 狼狽したシコウの視線が右側へと移る。
 地上への出口があった場所である。
 つまり、今はない。
 悉く、瓦礫が崩れ落ちていた。
「涼子さんが派手にやるからですよ?」
 非難がましい視線を送ると、当の加害者は心外そうに肩を竦めてみせる。
「あら、私のせいじゃないわ。こんなところに逃げ込んだこいつのせいでしょ」
言った涼子のつま先がツンツンっと一人の男の頭を突いた。
 涼子の足下で気を失って倒れ込んでいるその男。
 涼子とシコウが追いかけていた……そしてここで捕まえたSLE犯罪者だった。
 この男が捕まる直前、最後の悪あがきの攻撃を涼子がセントルの愛剣で捌いたところ、弾かれたそれは後方へと飛んでいき……見事にこの状況を造り出してくれたというわけである。
 確かに不可抗力だったといえば、まあ、頷けるところはあるのではあるが、そこまでふんぞり返ってもらっては非難の一言も物申したくなったとして、シコウに責はないだろう。だがそれを行動に起こしたところで実にならないのは青年自身、身を以てよく理解しているのでもう言及はしないことにする。
「デルタ・ヴァルナ都市内だったら何とかなるんですがね……」
 延々と続きそうな暗闇の彼方を見遣ってシコウがぼやいた。
 実はここは中心都市デルタ・ヴァルナではない。
 涼子達は出張で近隣に位置するハンファレル市に来ていた。
 地理的な関係から、数ある都市の中でも、セントルとの結びつきが強いこの都市の最大の特徴は王族が存在することである。都市の再建を行うに当たって必要な統率者は、この都市において、サン・ラプス以前この土地に存在した王国の王族の末裔だった。サン・ラプス以後<国王>という名称を持った<都市長>は現在二代目であり、血筋に兼ね備えたカリスマ性があるのか、世襲制が知らず出来上がっている。実際の王国ほど独裁制が強いわけではないが、この都市で、<国王>に連なる<王族>はその肩書きだけで巨大な権力を持っているのであった。
 ただ、この都市、かなり発展してはいるのだがSLE能力犯罪管理機関が存在しない。
 セントル・マナが近いことが要因だろう。
 この都市でのSLE能力犯罪解決は99%、セントルに依存していた。
「何とかって?」
 青年の言葉に頬杖をついたままで涼子が問いを発する。
 シコウは視線を奥の暗闇に向けたまま応えた。
「まあ、デルタ・ヴァルナ都市内の下水道の地理は大体頭に入ってますし…あんまりここみたいに入り組んでませんから少し歩けば出口は見つけられると思うんですが……ここは、どうしようもないですね」
 諦めの混じったため息が静まりかえる空洞内に響き渡る。
 この都市ハンファレルでは随分と下水道が巡らされていた。
 サン・ラプス以前から存在していた下水道も混雑しているのである。
 よってそこは迷路のようで、一度迷ったらどうしようもない。
 特によそ者である涼子達が一歩でも誤った方向に足を踏み入れたなら、もはや太陽を拝むことはないだろう。
 つまり、この状況は非常にまずいのであった。
「あんたの力で上に穴でも開けたら?」
「…ここは地盤弱いんだって前に言ったでしょう? 下手に穴なんて開けたら地盤沈下しますよ」
「死ぬことはないでしょう? 力使えば……」
「私達はよしとしても、上の住民は確実に死者が出ます」
 此処で涼子の言う「力」は全部シコウのそれのことなのだろうとげんなりしつつ、シコウは考え無しの涼子の言葉を諫める。
 が、そのさらなる涼子の返答にシコウは一段と肩をおとすこととなった。
「この私のための尊い犠牲となって死ねるのよ? 名誉なことでしょう」
「……笑えませんから」
「笑わなくていいわよ。本気だもの」
 ……絶望的だ……。
 現在の状況がではなく、ただあることにその兆しを見いだして、シコウは天井に阻まれた空を遠い目で眺めてそう思う。
 その気持ちはわからないでもなかった。
 ただ現実逃避もそう長くやってる暇もないのが現状である。
 意味もないことだとわかっていながら、シコウは自身の通信機を取り出す。
 案の定、その様子を見遣って涼子が期待を秘めた声で言ってきた。
「なによ、外と連絡とれるんじゃない。さっさと救助してもらって出ましょ」
 ほれほれ、と言わんばかりに促してくる女性に、しかしシコウはため息一つ。
「それが、通じないんですよ。残念ながら……」
 手の中の通信機を転がしながら、狼狽した声で応える。
 涼子が眉をひそめた。
「なんでよ? 壊れたの?」
 決して咎める声ではないが、どこかトゲのある言葉に、シコウはかぶりを切る。
「いえ、この通信機…セントルのは最新のものでして…向こうが受信しきれないんです。こっちが受け取ることはできるんですが……」
 セントルは常に最新技術を追い求め、それを都市内に普及させたがる。
 というよりもほぼ強制的に……させる。
 まあ、最高のSLE能力犯罪管理機関の名を欲しいままにしている故の意地でもあるのだろう。
 そこが悪いとは思わない。
 けれど、こういった状況で結構仇になったりするのだ。
 ここの都市の通信機では、セントル製のものの電波を受信しきれない。
 宝の持ち腐れ・・・とも言い表すことができる。
「馬鹿……」
「仕方ないじゃないですか。義務化されてるんですから」
「前の分、持ってくるぐらいしたらどうなのよ」
 自分はその通信機すら持ってきていないというのに完璧に自分のことは棚上げ状態の涼子である。
 だが、そのことに不満を言っても仕方がないのはすでにご存知であろう。
 よってシコウも敢えてそのことをを突っ込みはしない。
 ただただ、言い訳の限りを尽くしてみる。
「前の分は処分されてしまいましたよ。新しいのが出る度に勝手に入れ換えられるんです。それに前の分のでも使えませんしね。……確か、もう一つ古いのが何とか使えるぐらいでしょう」
「……ご託はいいわ」
「事実を述べているだけです」
「あー……もう…」
 頭を抱えた涼子──本当に抱えたいのはシコウの方であるのだが──の視界に捕まえた男の暢気な寝顔が映った。
 八つ当たり。
 十人中十人がそうだと応えてくれそうではあるが、そんなことは涼子の知ったことではない。
 苦悩する自分の前でのうのうとくつろいでいる……それだけで万死に値するのである。
 不条理だ、と言われても仕方がない。
 ただ言えるモノなら言ってみろというのが涼子の見解だ。
 そして、言える者は此処には存在しなかった。
 少なくとも押しとどめる者は。
 それだけのことである。
 そのまま男の頭目掛けて蹴りが飛んだのも・・・言ってしまえば自然の流れ……と言えるのかも知れなかった。
「涼子さん!」
 やった後から抗議の声。
 だが、それを反省へと繋げる気は涼子にはほとんど、否、全くない。
「うるさい。ったく…暢気に寝てないで少しは役に立ったらどうだってのよ。誰のせいでこうなったのかわかってんのかしらっ…」
 少しは貴方にも原因はあるんですが…。
 言いたい気持ちを抑えて、とにかくシコウは涼子を落ち着かせようと試みる。
 このままでは笑い事ではなく、この男の生命の危機も考え得るのだから。
 しかし、シコウが宥めの言葉を口に乗せるよりも先に……。
 カランッ……
「………」
 金属の床に落ちる音。
 その音源たるものを、シコウと涼子は黙って見詰めた。
 それは、通信機。
 この倒れている男の衣服から……涼子に蹴りを入れられた衝撃で落ちたのである。
 ちなみにこの男はハンファレルの人間であった。
 つまり、この男の所有物である通信機は使用可能ということになる。
「………」
 その事実に、流れる静寂。
 やがて、シコウと顔を見合わせた涼子が皮肉げな笑みを刻んで言った。
「何よ、少しは役に立てるんじゃない」
 気を失っている男は応えなかった。
 当たり前といえば当たり前である。
 シコウはとりあえずその通信機を拾い上げた。見たところ壊れている様子もなく、どうやら使えそうだ。涼子の期待の視線を受けながら、シコウはハンファレルの警備機関の通信番号を打ち込んだ。しばらく、電子音が機械の中から鳴って。
「あ、ハンファレル都市警備機関ですか?」
 向こうから応答があり、それに答えたシコウの丁寧な口調が静寂の暗闇に響く。
「黒鋼の翼です……ええ、セントルの……はい。実はちょっと困ったことになりまして……下水道の中からかけてるんですが……出口が崩壊してしまったので…はい…壊れました滅茶苦茶に」
 涼子の足が「余計なことは言うな」とシコウの足を蹴った。
「…通信中に蹴り入れないで下さいよ……あ、いえこっちの話です。それで自力の脱出は難しそうなのでそちらから応援をいただけると有り難いんですが……あの…? もしもし?」
 シコウの声が疑問を帯びる。
 そして…。
「!……あぁ、これはどうも……え…ああ……はい、代わります」
 急に眉をひそめたシコウが通信機を涼子に差し出した。それに涼子は怪訝そうな顔をする。
「何?」
「……涼子さんに代わって欲しいそうです」
「……?」
 首を傾げ、涼子は差し出されたそれを受け取る。
「はい、代わりました。涼子=D=トランベルです……が……」
「…………」
 バツの悪そうなシコウが視線を下水道を向こうに背ける中。
 ……ブチッ
 電話の向こうの相手が話し続けるのも無視して、そのまま無言で涼子は通信機を切った。物言わなくなった、あれほど願った外界との通信の媒体を、有無を言わさず下水道の中に投げ捨てれば、ポチャンと空しい音が響く。この間約5秒、とシコウは何となく数えてみたりする。そして、隣で涼子のオーラが極寒並に急降下したことを認めながら、とりあえず現実逃避することにした。
 それからちょうど30分ほどたったころだろうか。
 久しぶりに太陽の光が、撤去されつつある瓦礫の隙間から差し込んできた。本来なら喜ぶべきそれを涼子は甚だ不満そうに、またシコウはこれからの心労を考えてげんなりしながら見上げる。そして大方通れるほどになった穴から、予想通り、一人の男が御機嫌そうに顔を出してきた。
「や、涼子君」
 爽やかに手を挙げて挨拶してきた男を涼子はただただ恨めしげに睨む。
 仕事が終わったというのに、まだまだ厄介事は終わりそうになかった。




 いっそ、あのままの方がどれだけ良かっただろう。
 辛気くさい下水道からハンファレル警備隊に救出された後、強制的に導かれるまま都市の中心である王族のそれはそれは豪勢なお住まい……つまりは宮廷の一室でセントル唯一にして最強の女騎士、涼子=D=トランベルは切実にそう思った。
 理由は、ただ彼女の目の前にある。
「そうか! そうだったか! 暗闇の中犯罪者とともに長い間下水道の檻中!! それはなんと心細かったに違いない!!」
 涼子の冷たい視線を受けながら、ご自慢のブロンドの髪を振り翳し、その男は熱弁していた。かれこれ此処に来て何十分が経ったのだろうか。もはや時間を追うのは苦痛でしかなくなってきている。
「いや、きっとまだ君の心は不安に縛られているのだ!! そうだろう涼子君!!」
「……別に」
「強がらずともいい!! 安心してこの胸に飛び込み給え!!」
「…そのままセントルの剣、あんたの腹に突き立てていいなら喜んで」
「涼子さん……」
 本気で剣を引き抜いた涼子を傍にいたシコウが押しとどめる。涼子は軽く舌打ちし、剣を未練そうに鞘に収めた。しかし、涼子のそんな努力にもかかわらず、例の男の口は止まることはなかった。いや、それどころか増しつつさえある。
「そうだ! シコウ君!! 君が付いていながらこの失態は何事かね!!」
 矛先が一気にシコウにいく。
 叫びを受けた彼はどう答えたものかと一巡し。
「はあ……申し訳ありません、……タダス王子」
 と、まあ、気持ちの全くこもっていない声で謝罪した。
 そう、この──涼子の言葉を借りるなら──「気違いのナルシスト」は、実はタダス王子…ハンファレルの跡継ぎその人であった。
 この都市の王族はセントルと深く結びついているため面識は良くある。それが思えば災難だった。
 この大層な身分の御方は在ろう事に涼子に一目惚れ。公式な面談の中で涼子に「貴方は私の天使だ!」などと突然お叫びになり、そのためにシコウは思わず手にしていたティーカップを滑り落として、涼子はというと一瞬硬直・絶句した後、世界新記録並みの勢いで全身の鳥肌を発動させた。
 あの時の地獄絵は昨日のことのようにまざまざと思い起こすことが出来る。そして、あれ以来何かにつけて彼は黒鋼の翼を仕事と称して呼び出すのだ。だが、いくら相手が王子だからといって、もちろん涼子も笑ってそれを受けてはいない。シコウという素晴らしい策略家を右手にあの手この手で避け続けてきた。だが、今回ばかりはしくじった。
 まさか警備機関にこの男がたまたま居合わせたなどとは……。
 まさに不幸中の不幸。
「私はね、心配なのだよ。涼子君。か弱き女性の身でありながら、剣などという物騒なものを片手に犯罪者と闘う君が。しかもその相棒が……言っては何だがこんなひ弱な男では心許な過ぎる!!」
 言っては何だがと言いつつもズビシッとシコウを指し、タダス王子は言い切る。対する青年は明後日の方向を眺めていた。
 もはや、慣れである。だがこの言葉に場の中心たる涼子はあからさまに眉を顰めた。
「ちょっと、……シコウのこと馬鹿にしないでくれる?」
 怒りを露わに涼子は憤然と言ってくれる。このまま終わるならシコウも涼子に感謝したい。羨望の眼差しと拍手を贈ってやってもいい。けれど、シコウはそれをしない。
 この後に続く一言を予測しているからこそ。
「こいつを馬鹿にして良いのは私だけなのよ!?」
 見事に言い放ったそれに、その場が固まった。ただ、シコウの長く、深いため息が落ちる。
「涼子さん……フォローになってません。っていうかそのつもりは欠片もないんでしょうけどね」
 もはや特に何も期待していないシコウは明後日どころか再来年の方向まで眺めていた。
 慣れとは、人をここまで寛容かつ無感情にさせてくれるのだから素晴らしいものである。
「そう言うならあんたも言い返しなさいよ! 腹が立たないの!? こんなこと言われて!!」
 シコウの胸ぐらを掴み、噛み付くように主張してくる涼子に、シコウは大変やる気の無さそうな顔を保ち続けていた。
「そうは言われましてもね」
 続ける言葉もなく、ため息一つ落としてシコウは視線を逸らす。
 大体、こういう手の輩は言いたいように言わせておくのが一番なのだ。
 一々言い返せばさらなる逆襲を重ねようとする。言うだけ言えば満足するのだから言わせておけばいい。
 …というのがシコウの考え方だった。
 よって…。
「まあ、タダス王子のおっしゃるとおりです。申し訳ありません、精進します」
 と、棒読みの台詞を並べ立ててみたり。
 それに涼子は甚だ不満そうな顔をして何か言いかけたが、それよりも先にあの男が口を開いた。
「わかれば、よろしい!」



   ※

「甘い! 甘いのよ!!」
 何とかタダス王子を振り切って部屋の外に出、セントルへの報告にと通信室を目指している廊下で涼子は先ほど言葉に出し損ねた不満を盛大にシコウに投げつけてきた。
「あういうのは甘い顔するとつけあがるんだから一回ビシッと言っとかないと後が大変なのよ!? そうよ、苦労するのは私なんだから!!」
「それはそれは…申し訳ありませんね」
 心底疲れたように受け答えれば、涼子がピクリッと眉をつり上げる。それと同時にシコウの進行方向にズイッと体を入れ込んで足を止めさせた。そのまま、ピッと人差し指を相手の眼前に突き出して。
「誠意が篭もってないわ」
「……あのですね、涼子さん。私は……」
「言い訳無用」
「………」
 低く涼子が牽制すれば、シコウは限界だとばかりに片手で顔を覆う。
 苦労するのは誰だって?
 一番疲労困憊しているのが自分だと確信があるからこそ、シコウはそう心の中で聞き返してみる。けれど、あくまで心の中でなので涼子には届かないのは当然のこと。かといって、口にだしたところで届くかどうかは甚だ不安ではあるが。
「次会ったときはちゃんと言うのよ? 私の相棒が言われっぱなしの臆病者だなんてレッテル貼られちゃたまんないわ」
「……善処します」
「よろしい。……言ったからね?」
「……わかりましたよ」
 降参だとばかりにシコウは両手を上げる。
 そこで、涼子はやっと満足そうに笑みを浮かべて再び足を前へと進め出した。
 ならべく、タダス王子とは顔を合わせないようにしなければ、とシコウは心中で呟く。
 特にこの涼子の居合わせた場では厄介事は必至だろう。
 一番苦労するのは自分であることを再確認し、シコウは涼子の後について歩き出した。







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