黒鋼の翼 第一章 ・・・ 第五話 (T)



夢を見た。

視界は草原一色で。
空は苛立つくらいに青く晴れ渡っていて。
小さな家が……在った。
そして彼女がそこから出てくる。
私を見つけて、顔色の悪い、それでも優しく淡い笑顔を浮かべて。
体を冷やさないためにカーディガンを肩から羽織って。

「お帰りなさい」、と。

あまりに儚くて、そのまま消え去ってしまいそうな彼女が……確かに其処にいた。

視界が、滲んで。
声を上げて泣き叫びたいような。


そんな、……夢を見た。







 不快なアラーム音が鳴り響いて、起床を催促する。
 脳の奥で振動する音だ。
 涼子は一度眉間に深く皺を刻んで、ゆっくりと瞼を上げた。
「…………」
 だるい。
 きつい。
 めんどくさい。
 上半身を起き上げようとする涼子の意志を気怠さが押しとどめる。
 とりあえず、アラーム音を時計の頭を叩くことで消滅させて、再び魅惑のベットの中に潜り込んだ。自分の体温で一晩かけて暖めたそこは優しく迎入れてくれる。
 その瞬間。
『涼子さん、起きて下さい。仕事ですよ。朝一番に出ないと間に合いませんよ』
 まるで涼子の行動を見透かしたようなタイミングで、聞き慣れた声が時計の隣に置いてある通信機から無遠慮に流れてきた。勢いまかせに通信機のスイッチも切ってやりたいところだが、さすがにそればかりはまずいだろう。忌々しく舌打ちし、涼子は上半身を起こして漆黒の長い髪を掻き上げた。そしてまだ流れてくる青年の声が絶えない通信機を手に取り、声のトーンを下げて言い放つ。
「……うるさい、シコウ。ちゃんと今起きたわよ」
 通信機の向こうから嘆息と「そうですか」の声が聞こえてきた。




中心都市、デルタ・ヴァルナ。
何に置いても世界を先駆するこの都市は、かつて崩壊した。
ただ、それはこの都市においてだけではなく、地上に存在するすべての都市に言えることだったのだが。
サン・ラプスという、神の恩寵のような姿の悪魔の光の筋が降臨したことによって世界は半壊したのだ。
一瞬で大勢の人が死に、栄えた都市が荒野に変わった。
時を経て、復興作業が始まり、生き残った人々はただ、以前通りの世界を望んだ。
都市の造りも何一つ以前と変わりないように設計し、都市と都市とを結ぶ交通機関も同じような経路で創設された。
人々は全てを変えないことによって、なかった事にしたかったのかも知れない。
あの悲劇はただの悪夢だったのだと。
現実ではなかった、だからこそあの時と同じ都市が在るではないか、と。
それでも。
人々はどうしても一つだけ、以前には無かった、新しいモノを造らなければならなかった。
サン・ラプスが与えた「破壊」以外のもの、・・・SLE能力。
風・水・炎・電気・光・金属など、数え切れないほどのあらゆる属性のものに関して、サン・ラプス以後に生まれた人の一部に不思議な力が宿るようになった。
在る者は風で刃を創り出したり、また在る者は金属の形を何も使わずに自由自在に変形・加工させたりとその特色は様々だ。
……そして、過度すぎる力は時に人を堕落させる。
この力が悪意に使われることも、世界の情勢が情勢だけに、少なくないどころか、むしろ頻繁に起こった。
かといって、このような不可思議な力使う者達に、普通の人間が立ち向かえるはずもない。
では、どうすればいい?
そこで、このデルタ・ヴァルナの復興指導者チャーリー=D=レオンが創設を決定したSLE犯罪管理機関、セントル・マナが、中心都市の中央に巨塔のようにそびえ立つこととなる。
それはSLE能力者によって構成された、都市の主要な安全機関であった。
このセントル・マナの創設をきっかけとしてその他の都市でもSLE能力者による犯罪管理機関が台頭し始める。
都市同士の競争と同様に、その機関同士でも競争が起こり、セントル・マナはそれらの頂点に位置する存在であった。
さらに、そのセントル・マナの中でも頂点に立つ者達。
セントル・マナ運営を管理する、十老。
飛び抜けた魔力的能力を持つ巫女達、四仙。
そして……騎士の中でトップを行く、セントル唯一の女騎士。
この巨大な組織は彼らに大きく影響されながら、日々少しずつ、しかし確実に水面下で変化を続けていた。



 たった一人を除いて誰もいないエレベーターが、下へ下へと落ちていく。
 その<たった一人>たるセントル最強の騎士、涼子=D=トランベルは欠伸を噛み殺しながら肩を鳴らしていた。相棒の呼び出しがあるなり、彼女は身支度を整え、黒のタートルネックに、セントル支給……つまりセントルの制服である上着を纏い、下は動きやすいように少々深めのスリットの入った丈の短いスカート(もちろん中にガードルを履いているが)にブーツといった恰好である。セントルの上着さえ着ていればあとは特にとやかくは言われないので、下は時にジーンズなどを履くことも涼子は多い。
 漆黒の長い髪は結うこともなく、自然と流れるままだ。
 涼子が肩の次に首を回していると、一階まで辿り着いたエレベーターが高い音を立てて扉を開いた。
「お早う御座います、涼子さん」
 扉の向こうで待ちかまえていたのは、涼子の相棒、唯一の男の巫女であり、四仙でもある嫌味なくらいに眉目秀麗な青年・シコウ=G=グランスである。
 涼子は億劫そうに青年に視線を遣り、一言返した。
「……おはよ、シコウ。そして煩わしいモーニングコールをわざわざ有り難う」
 嫌味を一言付けることを忘れずにエレベーターから降りる涼子に、シコウはいつものように肩を竦める。
「涼子さん、低血圧でなかなか起きないんだから仕方がないじゃないですか。現にさっきも寝てたでしょう?」
 さっさと歩き出した涼子のついて行きながらシコウは不満そうに呟いてきた。
 それに涼子は相手を振り返ることもなく歩きながら答える。
「うるさいわね、低血圧なんて勝手に決めつけないでよ。昨日は夜遅かったの! ラナマからこの前の埋め合わせにお茶に呼ばれて、なかなか離してくれなかったんだからっ」
 寝不足で頭痛でもするのか、眉間を押さえながら歩き続ける涼子を見遣って、シコウはため息をついた。
「そうですか。ですが、そう言うなら、私だって夜は遅かったんですよ? 誰かさんが全く仕事してくれないもので、この前の殺人的量の報告書を一人で仕上げなくてはならなかったんですから」
 そうだ、自分だって頭が痛い。
 だが、そう主張する青年の意見を聞き入れる耳など涼子は持っていないし、そんなことはシコウも今更、十分承知だ。
 しかし、さすがにその後、涼子が言い放った言葉には顔が引きつった。
「あら、私はあんたのためを思ってああいう仕事を預けてあげてるのよ? 若い内は苦労は買ってでもしろって言うじゃない。それをタダでさせてあげてるんだからこんなに心優しい人間いないわね。自分で感心するわ」
 心の底からの本心のように言ってのけた涼子に、シコウは微かに開いた口の端をひくつかせる。
 確かに別の意味で、ここまでいくと感心であった。
「涼子さんだって若い人間でしょうが」
 右手に持っていた資料を持ち替えながらシコウは物申す。
 そう、涼子も20をいくつか過ぎた位だ。
 実際シコウともそう歳は変わらない。
 けれでも、涼子は「わかってないわね」と言わんばかりの表情でシコウを振り返った。
「ここでいう若いっていうのは未熟者って意味よ。だから私は当てはまらないの」
 ……ああ、そうですか。つまり私は未熟者と言いたいわけですね。
 顔を引きつらせてシコウは心中で思ったが、口に出したところで「よく分かってるじゃない」と肯定されるのは目に見えているので喉から先には通さないことにする。
 代わりに口にしたのは仕事について。
「……ところで、今回の仕事本当に私達だけでいいんですか? 相手は結構人数多めですよ?」
 『J7区SLE犯罪組織と思われる集団:推定30人前後』などと、情報だらけの右手の資料を見遣りながらシコウが聞けば、涼子は鼻先で一笑した。
「私達だけで十分よ。それにもうすぐ闘技大会があるから慣らしとかないとね。……それとも何? 怖じ気づいたわけ?」
 からかうように上目遣いで見上げてくる涼子に、シコウは肩を竦めて答えた。
「まさか」
 そのまま青年は涼子が見るだろうかと持ってきた、彼自身にとってはすでに記憶した情報の羅列しかないその資料を、彼女が全く見る気がないようだと判断し、そのまま近くにあった台に放り出す。
 目的地へ向けて二人が出て行ったのをセンサーが確認し、セントルの扉が軽く音を立てて自動で閉まった。
 こうして彼らの日常がいつも通りに始まる。






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