黒鋼の翼 第一章 ・・・ 第一話 (X)


 夜はすでに明けていた。
 おそらくあの空間内での時間の速度は現実と差異があったらしい。
 すぐ近くのG13区地下輸送線入口では刻々と式典の準備が進んでいた。忙しく人が行き交い、チャーリーがスピーチする予定の舞台の設置も行われている。
 そこを見下ろせる右手の高い『現在使用中』の貨物倉庫。
「こんな所で一人で式典見物?」
 明らかに、自分に掛けられた声。
 それに、式典の準備の様子をそのガラスのない窓から覗いていた影がビクリッと反応する。振り返った先に居るはずのない人物の姿を認め、その影、否、マーシュッドは驚愕を如実にその顔に浮かび上がらせる。
「お前……っ」
「あれ、まあ……派手にやっちゃって」
 足下に倒れ、俯している男達──おそらくここでつい先刻まで働いていた者達だろう──を見下ろして涼子が呆れたような声で苦笑した。
「なぜ……分かった?」
 ここで、チャーリーの命を狙うことをっ……。
 緊張を含んだ男の声色に、顔を上げた涼子はまた苦笑して肩をすくめてみせる。
「まあ、見つけたのは私じゃないから、自慢はできないんだけどね」
 だけど、そいつは今いないから……。
 と、涼子は笑みをそのままに男に告げた。
「ねえ、もともと、あんたはG14区軍事倉庫からじゃなくてここから襲撃するつもりだったらしいじゃない。あれは囮、私達を足止めするための、ね」
 男がその言葉にピクリと反応を示す。
 その様子を見取って、口端をさらに引き上げた涼子が一歩、足を進めた。
 男はそれに微かに一歩、後ずさる。
「そう……いくら私、騎士を殺したいっていう私憤があっても、一応依頼主との契約上で優先すべきことが発生するわ。その条件のクリアだけは確実にしないといけない」
「………っ」
 その声を聞いた時、男の顔に苦々しい色が浮かんだ。
 そんな相手の反応を余所に、まったく、と右手を額につけた涼子が、その影になった下で自嘲の笑みを浮かべて。
「長年使ってない倉庫、しかも式典との密接した場所じゃ、いかにも過ぎるわよね」
 視線を男へと戻した涼子は、ゆっくりと不敵な笑みを深めた。
「誰かいようといまいとSLE能力者には関係ないってこと……すっかり忘れてたわ」
 ごめんなさいね?
 そう穏やかでありながら実際は正反対のものである微笑みを涼子は男に向ける。
 それとともにカチャリ、と手元の剣を構えて…。
 それに、男は意識を四方に渡らせた。おそらくもう一人の存在が気になるのであろう。相手の心情を察して、涼子は失笑する。
「安心して、私の片翼はチャーリーの護衛に行かせてるから。最初からあんたの意図わかってて味方の私にも黙ってた罰よ」
 だから…と涼子は囁くように告げる。
「続きをやりましょう? お互いに借りがあることだし……」
「……借り?」
 男は涼子の言葉に、微かに眉をひそめる。
 その男の反応に、涼子は微笑んで殴られた自分の左頬を指さした。
「やられたからには、自分一人でやりかえさないと済まない性分なの、私」
 ──二度目の死闘が、その冷たい微笑みで幕を開ける。


 先に動いたのは男の方であった。
 マーシュッドがその手を前に翳すと共に、鋭い空気の刃がそこにその存在を現す。
 だがそれに対し、涼子は剣を構えたまま、ピクリとも動かない。
 数秒の清閑。
 そして、二人にしか感じ取れぬ空間の微妙の変化が起こったその時。
 轟音とともに双方の攻撃が同時に繰り出される。
 弾いては生まれ、粉砕してはさらに創り出される。
 創り出しては弾かれ、狙っては粉砕される。
 どちらが優とも劣ともつけられぬ涼子とマーシュッドの攻防戦。
 あまりに大きすぎる衝撃音はもはや音として耳に伝わることはない。
「あら、少しは成長したじゃない? 戦法を変えてくるなんて……」
 私の忠告がきいたのかしら?
 先ほどとは違った攻め方、つまり設定しておくやり方ではなく、自分で力をコントロールする方法で攻撃してくる男に、涼子は例の刃をかわしながら嘲笑するように言う。だが、ところどろこ的はずれな刃が飛んでくるところを見ると、やはりまだまだ制御しきれていないらしい。
「ぬかせっ!!」
 男がさらに多くの風の刃を生んだ。
「数打ちゃ、当たるってもんじゃないわよ?」
 次々に襲撃してくる刃を剣で捌きながら涼子が笑う。
 だが、こちらが有利とは言い切れないことも涼子は頭の端で自覚していた。
 風の刃の動きに空気が激しく振動し、涼子はそのせいで聴覚が麻痺してくるのを感じていたのだ。
 ……あんまり、長引かせるのは利口じゃないわね。
 次の一瞬で勝負を付ける。といっても、正攻法でいって一筋縄でいく相手ではない。
 なら、あれをやるしかないわけだ。
 一息つき、涼子は舌打ちと同時に相手に踏み込む。
「血迷ったかっ!!」
 その行動を焦り故の愚行と取ったのか、今度は男が嘲笑って、飛び込んでくる涼子に風の刃を襲撃させた。
 だが、涼子は怯まず、速度を落とすこともなく突っ込む。
 瞬間、治療してもらった肩に再び刃が掠め、視界に深紅が飛び散った。走る痛みに、眉を顰めた青年の顔が浮かんだが、そんなことはこの状況で構っていられない。
「死ねっ!!」
 四つの刃を防ぎ、男に走り込んでくる涼子に、マーシュッドは五つの刃を一斉に涼子に繰り出す。
 二つを弾いた……その時。
「かっ……!!」
 三つ目の刃が間髪を置かず、涼子に襲いかかり……無惨にもその腹部に突き刺さる。
 飛び散る深紅の血。
 その直後、残りの二つも左足、右肩へと鈍い音と共に深紅を弾かせて貫通した。
「馬鹿がっ!!」
 血を吐き、グラリと揺らぐ涼子を一瞥し、男がこの上なく満足げな笑みをニタリとその口に刻む。
 殺れた……と男は確信した。
 だからこそ、次に起こった光景に男は息を呑んだ。
「なっ!?」
 たった今、血を纏って崩れ落ちた女の体が壊れたガラス細工のようにボロボロと崩れていくではないか。
 ――これはっ……!!
「どこを見ているの?」
 ひどく冷たく感じるその声が、目の前の現実に驚愕する男の耳に届いた刹那。
「けッ…はっ……!?」
 ズッという腹の底に響く音と共に、背後から首を強い衝撃が襲った。
 男のその目に、今まさに後ろから自分の首を貫通した剣先が映る。
 核のみを貫いたそれは血もなく一筋の光を反射していた。
 ……そして、いつのまにか自分の背後に移動していた女の気配。
「……なっ……ぜ……!?」
 驚愕に顔を染め、男が悶え呟いた。
「悪いわね。私、……魔力的能力もそれなりに使えるのよ。って言っても有り得ないくらい体力消耗するから滅多に使えないんだけどね……」
 ……幻術かっ!!
 肩から血を流しながら告げた涼子の言葉に、男がそう愕然とする。
 だが悲嘆にくれる間もなく、力がその剣に圧倒的な強制力で吸い取られていく感覚が襲ってきた。
 同時に無理矢理意識をはぎ取られるような深い睡魔も襲ってくる。
 男の目に絶望の影が掠める。核が貫かれた以上、自分に未来はない。しかもそれを奪ったのは……。
「──ッッ!!」
 こんな…小娘にっ…。
 そんなのはプライドが許さない。
 せめて、……せめてこの小娘だけでも殺さなければっ!!
 いきなり男が、背後、涼子に向かってその手を翳す。
 と同時に生まれる男の最後の風の刃。留めようもない殺意が涼子の肌を刺す。
「っ!?」
 それに気づき、涼子は咄嗟に剣を引き抜いて男から離れようとした。
 が、慣れない力を使った疲労と、涼子のその腕を掴む男の手がそれを阻む。
「死ねェッ!!」
「…くっ…!!」
 涼子がそれに反応出来ず、嗚咽を漏らした……その瞬間。
 涼子の視界を……銀が埋め尽くす。
 美しい、その色彩。
 と同時に襲ってくる抗いようのない強い眠気。
 薄れていく涼子の視界の角に一人の人物が映った。
「……シ……」
 目元を歪めた涼子はそれをすべて言葉として紡ぎ出そうとする。
 が、口はもう思うように動かず、その眠りの中に身を委ねざるを得なかった。





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