黒鋼の翼 第一章 ・・・ 第一話 (Y)
――肩が熱い。
いや、温かい。
これはいつも感じている感覚。
それはいつ?
いつだったか……ああ……そうだ。
これは……。
「……シコウ?」
寝起きのぼやけた視界に見慣れた顔が映る。
「起きましたか……」
涼子の様子にほっと、安心した顔をする青年。
涼子は自分がその腕の中にいることに気づき、この青年に助けられたのだと確信する。そしてすぐに苦い想いが込み上げてきて顔を顰めた。
「……最悪だわ」
追いつめたことで、また油断してしまった。一度ならずも二度も…。
おまけにそれを相方たるこの青年に助けられるなど……これを最悪と言わずして何が最悪であるというのか。
涼子は自分の失態を思い返して唇を噛みしめる。
そして、自分の頭上に眩しいほどの青空が広がっていることに、その時気づいた。
「……ここは?」
「貨物倉庫の屋上です。下は今バタバタしてますし、あそこは空気が悪いですから」
答えたシコウにそう、と息をつき、涼子はもう一つ聞くべき事を口にした。
「アイツは?」
その質問に、片翼の青年は柔らかな笑みを添えて答える。
「セントルに連行しましたよ。ここの従業員も気を失っているだけでした」
……式典も無事に終わりました。
そのシコウの言葉を聞いて、涼子は一応の安堵感が胸に染み渡るのを感じ取る。
仕事のはとりあえず完了したとしてよさそうだ。何よりもそれが優先事項。
まあ、それはよしとして、問題は……。
「……シコウ、私まだ怒ってるんだからね?」
素知らぬ顔でいる青年を下から睨み付ける。
「だいたい、なんであんたここにいるのよ。チャーリーの護衛に回れって言ったでしょう?」
棘のある声で責め立てれば、相手は困ったように肩を竦めた。
「そうは言われましても……チャーリー氏には既に護衛が何人も付いていましたし、それに、まあ、涼子さんに単独行動させると無茶な行動するだろうと予測できましたから」
最後はため息混じりに言われ、いつの間にか非難しているはずの自分がその対象になっていることに涼子は眉を顰める。
「無茶なんてしてないわよ」
「……よく言いますよ。あれほど魔力的能力を使うとその疲労で動けなくなるんだから使わないようにって再三言ってたのに、見事に忠告無視してくださって、おかげで危機一髪な状況だったじゃないですか」
「…う゛」
痛いところを突かれて、涼子は思わず言葉に詰まるが、ここで言い負かされるわけにはいかない。
「うるさいわね。あんたが来なくたって自分で何とかしたわよ」
「……」
疑心にまみれた視線がジトリ、と落ちてくる。
「……どうだか」
ボソリ、と聞こえるか聞こえないかの呟きを、幸か不幸か涼子の耳は捉えてしまった。
さすがにムカッとしたものを感じ、涼子は口元を引きつらせる。
「あんたねぇ……っ」
怒りのままに思わず身を乗り出しかけた涼子の、その肩を、予期していたようにシコウはグッと押し留めた。
「はいはい。わかりました。私の余計なお世話だったんです。それでいいですから休んで下さい。……きついんでしょう?」
急に真摯な目をした青年に、伺うように覗き込まれる。
怒りの感情を殺がれた涼子は思わず渋面した。不完全燃焼の状態が気持ち悪かったが、ここで声を荒げるほど子供でもない。
少々、いや、かなり不満げに身を退き、息を吐き出して肩の力を抜く。
すると、再び覚めたはずの睡魔が襲って来る。確かに疲れているのだ。魔力的能力を使ったのも本当に久しぶりだった。
全身が、休息を求めて喚いている。自覚すれば、それは確かな疲労感となってのし掛かってきた。
「きつい……」
虚ろげに呟く涼子に、シコウは微笑んで言葉を紡ぐ。
「じゃあ、早くセントルに帰りましょう。そうしたらゆっくり寝れるでしょうし……」
そう言いながら転移装置を取り出そうとするシコウの右腕。
それを、涼子は静かに押しとどめる。
「涼子さん?」
「……でいい」
よく聞き取れず、首を傾げるシコウに涼子は再度眠りの淵から呟く。
「ここでいいって言ってんのよ……」
そのまま、涼子はシコウの腕の中で眠りの中へと落ちていった。
何も言わなくなった女性を、シコウはおのれの腕の中に納めたまましばし呆然とする。
「あの……?」
恐る恐る声を掛けてみるものの反応は無い。
仮にも他人の男の腕の中で身をすり寄せスヤスヤと眠る涼子に、シコウは苦笑いするしかなかった。
この様子では多分、まる一日、目を覚まさないだろう。
「……今日の夜会議があるんですが。……まあ、どうせ忘れてるんでしょうね」
いつものことだからいいですけど、と一つぼやき、青年は空を見上げる。
ふと聞こえてきたプロペラの音の方を見遣れば、丁度チャーリーが自家用機で飛び立つところだった。
会場の片づけも一段落している頃だろう。下の方も落ち着いたところかもしれない。
「日が暮れたら帰りますからね?」
───青年は青空の下、聞いてないだろう腕の中の涼子にそう呟いたのだった。
セントル・マナ。
そこの14階の夕日が差し込む廊下で、涼子が死闘を終えた翌日の夕暮れに、またその名が叫ばれる。
「涼子さんっ!!」
「あら、シコウ。…何?」
あっさりと何事かと聞く涼子に、声を張り上げた青年、シコウは顔をひきつらせる。
「何? じゃないですよっ!! 何ですかっ、あの報告書用紙の山は!!」
「いつもシコウが書いてるじゃない」
「小言聞くって言ったじゃないですかっ!!」
せめて半分くらい自分でしたらどうなのかと吠えるシコウに、涼子は見事なまでにしかめっ面をしてみせた。
「聞くとは言ったけど、改善するとは言ってないわよ?」
……絶句。
「……涼子さん……あなたねぇ……」
プツリと音を立てて何かが切れたのをシコウは確信した。
だが、当の涼子はそう悪気もなさそうに笑っている。
──……この人はっ。
シコウは再び怒鳴ろうとして、……止める。
「……もう、いいですよ」
信じた自分が馬鹿だった。
要はそういうことなのだろう。
深い、深いため息をつくシコウ。
そんな彼に涼子は一言こう呟いたという。
「わかればそれで良し」
と……。
不憫な青年のセントルでの日常はまだまだ続く。
第一話:セントル・マナ 終
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