黒鋼の翼 第一章 ・・・ 第二話(Y)


「どういうつもり?」
 折れた剣を自身の喉元に構えたまま動きを停止している少年・少女達。その前で悠然と笑みを浮かべるレインに、涼子は怪訝そうに問う。
「いえ、ね。どうやら、トランベル一等尉殿は罪無き者が傷つくのを好ましくお思いにならないらしい。予想外にも……ですが」
「……だから?」
 回りくどい言い方をする男に、涼子は不快そうに眉をひそめた。要は何が言いたいのだ、と催促する。それに、レインは笑みを浮かべたまま答えた。
「これから、私が指を鳴らすごとに右端から一人ずつ、自ら喉笛を突いて死んで貰います」
 あまりに過激なその一言に涼子は思わず目を見開く。
「はあ? ……っあんた……正気!?」
 この男は何を考えているのか。驚愕を通り超えて呆れてしまった。自ら自分の戦力を潰すなど滅茶苦茶にも程がある。何がやりたいのかまったく意味不明だ。しかし、……目の前の男は本気だった。
「正気ですとも。これは戦略ですから……」
 悠然と言いながら、男は左手を涼子に差し出す。
「私とともに来て貰います」
「……嫌よ」
 何を言っているのだ、と顔に表して涼子が言い放つと、男は右手を掲げる。
「では、まず一人目に死んで貰いましょうか」
「!?」
 そこまで来て、涼子は相手の意図に気づいた。
 つまり、この子供達を死なせたくなかったら言うとおりにしろという脅しなのだ、これは。気づくなり、その非人道的な方法に吐き気を覚える。確かに、相手は敵だ。本来なら同士討ちしようがなんだろうが全く気にかけない。だが、今回の状況は特殊だった。いくらもう助かる見込みがないとはいえ、こんな子供達を見殺しにするのはさすがに躊躇う。
「あんたねぇ、卑劣にも限度ってもんがあるでしょう……」
 涼子は憤りに拳を握りしめて噛みしめるように言った。だが、当然の如く、この男に反省の色など微塵もない。
「言ったでしょう? 手段を選んでいられないのだ、と。予定外に時間が掛かりすぎていますからね。早くしなければ…」
 チラリとレインは腕の時計を見遣って告げた。
「さあ、……トランベル一等尉殿」
 ズイッと、さらに左手をレインは差し出す。対するその右手は、今にも音を鳴らそうと用意されていた。
「………」
 流れる沈黙。
 その中、で。
 ─── 一つ、深いため息が落ちる。
 それを合図として、俯いていた涼子がゆっくりと顔を上げていった。見下ろすようなその視線。そこに浮かぶのは、諦めでもなく、焦りでもなく……剣呑な光。
 ポーカーフェイスを決め込んでいたレインでさえ、その鋭い視線に思わず息を飲む。それと同時に、激しい憤りをレインは露わにした。
「何ですか、その目は」
「………」
 涼子は答えない。レインの目元がさらに怒りでひくついた。
 脅しているのはこちらだ。涼子は嘆き、苦しみ、追いつめられた状況に苦悩していればいいのだ。そういう、顔をしていればいいのだ。だというのに、その目は、弱さなど微塵も見せぬ、悠然とした光を宿している。その事実が、レインを苛立たせ、そして、焦らせていた。レインにとって、居心地の悪い沈黙が流れる。
 いっそのこと、最初の一人を見せしめに殺してやろうか、と指先に力を入れかけたその時。
「あーそう、よーく分かったわ、レイン=M=ルードル。……じゃあ、こっちも手段選ぶ必要、ないわよねぇ?」
 片頬を歪めて涼子が冷めた視線をレインに送る。
「……言っておくけど、私にとってあんたを殺すなんて簡単なの。それを、人がせっかく生け捕りにしてやろうと思ってたのに、ね……でも、もう、いいわ」
 言い切る言葉は、断言だった。
 静寂が包む空間で、涼子の声はよく響く。
 そして、何か言いかけたレインを遮るように、またその声が響いた。
「もう、いい」
 レインは答えなかった。
 否、答える間がなかった。
 その前に、無造作に涼子が右手を掲げた。
 その行動に首を傾げるレインに涼子は微笑を浮かべる。
 そして。
 ……パチンッ……
 音が鳴って……。
 静かな時が数秒流れて……。
 ――ドスッ……
 レインはその音を呆然と聞いた。
 刹那。
 喉の奥から鉄の味が口内を溢れんばかりに浸食する。
「………」
 訳が分からず、レインは自身の体を見下ろした。
 腹から深紅に染まった何かが突き出ている。
 細い、それは……。
 先ほど折れた……剣。
「…かっ…はっ……」
 咽せると、深紅が口から飛び散る。
 口もとを押さえながら、呆然とレインはゆっくり後ろを振り返った。
 何故か。
 自分の操り人形だった、一人が背中にくっついている。
 その手の中の折れた剣が、レインを背後から貫いていたのだった。
 それを理解するなり、耐え難い激痛が体を駆け巡る。
「がっ…はっ…なっ……何がっ…? ……っ」
 何が起こったというのか。
 突発的な事態に、思わず膝を床に突いた時、レインは自分を影が包み込むのを知覚する。
 見上げれば、あの子供達が自分を囲んでいた。
 その手に、折れた剣が握られている。
「……ユ…ルサナ…イ……」
「オマ…エ……ニク…イ」
 上手く動かない口が震えながら思いを言葉として発した。
 ────馬鹿なっ!!
 レインは驚愕にその顔を染め上げる。
 有り得ない!
 自我が戻るなど!!
 だというのに、少年達の顔には感情さえ見え隠れしていた。
「…カエ…セ…」
「…モトノ……カ…ラダ」
「あーあ…随分恨まれてるわね、レイン」
 ふいに、先ほどまで対峙していた女の声が耳に届く。
 笑みをその口元に浮かべて、こちらを見ていた。
「あっ…なた…一体何…をっ…!?」
「何も。ただ、自由になれと命令しただけよ」
「!?」
 肩を竦めて言い放った涼子の言葉に、レインは目を見開いた。
 ――破ったというのか、私のSLE能力を!
 レインは魔力的SLE能力を使って彼らを操っていた。
 あの脳のチップはそういう仕組みになっていたのだ。
 近くに存在する魔力的能力の強い者の命令に従う。
 それが、あのチップのシステム。
 だからシコウを避けた。
 ガンゾに足止めに回らせて、彼がここに来るのを防いだのだ。
 もし、彼がここに来て、その仕組みに気づいてしまえば、それでお終いなのだから。
 なのに、まさか。
 それを涼子がやってのけるなど……!!
「あなたはっ…身…体的能力では…ないのですかっ!?」
「メインは、ね。魔力の方も使えるわ。普段は疲れるから使わないけど、どうやらこういう使い方なら平気みたいね」
 それを聞いてレインはますます混乱した。
 魔力的能力と身体的能力を両方使える者など聞いたことがない。事前に渡された涼子の資料にもそんなことは書かれていなかった。あるいは、外部に知られていないだけでセントルの技術が、騎士の力を加工する際、身体的能力に変化させる量をその者が持つ絶対量に対して制限することを可能にしていたとでもいうのか。だが、それにしても納得がいかない。あれほどの身体的能力を持つ、涼子だ。生まれ持った力を二分されて、その半分の能力だけでセントルのトップに立てるはずがない。比重は身体能力の方に圧倒的にかけたに違いない。なら残された魔力的能力は僅かなはずだ。
 その残り物程度の力がレインの能力を上回っているとでもいうのか。否、有り得ない。
 レインは組織の中でも魔力的能力ではトップクラスなのだ。
 それに対して、余り物でどうにかできるはずが…ない。
 戸惑い隠せぬレイン。
 それに、涼子が答えを差し出した。
 明確で簡潔なそれ、を。
「セントルのトップと、ちっぽけな組織のトップ、どれだけの差が在ると思ってるの? ……もともとの絶対量が桁違いなのよ、井戸の中の蛙さん」
 不敵に笑って涼子が言って、レインが絶望的な光をその瞳に宿した時。
 ──4つの折れた剣が、想い滾らせて振り落とされた。




 涼子は目を伏せていた。
 どれだけの静寂が横たわっただろう。
 人形だった者達が、ぎこちない動きで身を起こす。
 ズルリ、と。
 剣が引き抜かれる音がした。
 それを聞いて、涼子が目線を上げる。
 視界の中で、少年・少女達が思うように動かない体を一部痙攣させながら、涼子へと向き直ろうとした。
 実際、それを出来たのは一人だけ。
 後は、バラバラの方向へと視線を泳がせている。
「……テ…」
 一人が掠れた声を何とか喉から絞り出そうとした。
「……オワ…ラ…セ……テ…」
 その想い、に。
 無言で涼子が右手を掲げる。
 それを認めて。
 彼らは目から一筋雫を流した。
 片方の目だけ。
 その顔は強張りながらも…笑っていた。
「……お休み」
 優しく、涼子は囁く。
 そして、指を鳴らした。
 一瞬にして、4つの体が地に崩れ落ちる。
 その手にあった深紅を纏っていた折れた剣はその場に放り出され、カランッと音を立てて冷たい床に転げ落ちた。
 あまりにも残酷な最期。
 一歩間違えばこれは自分の姿だったのかもしれない、と涼子は静かに思う。
 ジェルバに出逢うまで、ただ一人で生きてきた。
 崩壊した街の中を彷徨い、こういった犯罪組織に狙われて追いかけ回されたこともある。
 実際、ジェルバと会ったときも、自分は瓦礫の下で血を流し、ほとんど瀕死だった。
「良い眼をしている」
 失笑して言い放たれた老婆のその一言で、そこから救い出され、ここ、セントル・マナに来たのだ。
 良い思い出なのか、はたまた悪夢のようなものなのか。
 涼子には未だに判断がつかない。
「……ぐっ…」
 呻き声が、ふいに耳を突いた。
 その方を見遣れば、レイン。倒れ込んだまま体中から深紅を流し、痛みに喘いでいる。ゆっくりとした足取りで涼子が近づいていくと、レインが視線をこちらに向けた。朦朧としたその瞳は、絶望の色を色濃く宿している。
 涼子を視界に認めて、その口が憎らしげに歪んだ。
「…あ…なたには…分かるまい。力…が有り…ながら…それを自由に…振るうことの…でき…ぬ…苦しみ…が…」
 深紅とともに吐き出された言葉に、空気が振動する。
 それを、涼子は冷めた視線で見下ろしていた。
「わからないわよ」
 その零度を保ったまま、言う。
「あんただって、欲しくもない力を押し付けられたこいつ等の苦しみなんてわからなかったんでしょう? 自分一人だけ被害者ぶってんじゃないわよ」
 その言葉、に。
 レインの瞳に、影が曇った。その影は全てを浸食していき、ついには全ての光がレインの瞳から消える。
 …一つの存在の終焉だった。
 涼子はそれにため息一つ送る。
「馬鹿な男…」
 欲に負けて、愚かな過ちを犯して。他人の運命まで巻き込んだ。哀れだと、同情の念すら感じなかった。
 涼子はゆっくりと振り返り、目の前の動かぬ四つの小さな骸に再び視線を戻す。
 それらは、やはりただ沈黙を守っていた。
 永遠の沈黙、である。
 そして、彼らを何気なく眺めていた涼子に、《それ》は唐突にやってきた。
 その内の一つの体。ふと、目に止まった、少年の死体。何故か、一瞬、その姿に涼子の視線が釘付けになる。
 ――何処かで、同じようなものを見た気がした。
「………」
 何の予兆もなく、ゾワリと体が粟立つ。何故、このような状態に陥っているのか、涼子自身意味が分からなかった。死体など、嫌と言うほどに見てきた。セントルに入る前など、それは日常茶飯事と言って良いほどの光景だった。その自分が今更、子供の死体に動揺しているとでも言うのだろうか。それも、その内の一つだけに?
 ――馬鹿な。
 強く、涼子は否定した。そんなわけがないのは、自分がよく解っている。では、この悪寒は何だというのだろう。不快感……否、これは恐怖だ。恐れだ。その恐怖に陥ることへの恐怖が呼び起こす悪寒だ。
 涼子はゆっくりと後ずさった。触れてはならないものに一歩近づいてしまった感覚。
 冷たい汗が、背筋を滑り落ちる。僅かに震えた唇が名を紡ごうとした。
 …それは相方の青年の名だった。
 だが、涼子がその名を口にする、その前に。
「可哀想に……」
 悲哀を含む呟き、否、囁きが、静寂に眠る空間を震わせる。
 背後から聞こえたそれに、涼子は振り返ろうとするが、目の前の状況が一変したことでそちらに意識を向けてしまった。
 ボッ!と大きな音を立てて、燃え上がる。
 悲劇をその身に受けた4つの体。
 その身を焦がしながら目映いほどの炎が熱気を発した。
 その炎が次第に大きくなり、そして形を取り始める。
 壮大に広げられる、二枚の羽。
 炎の蝶。
 見惚れずにはいられないほどに美しく羽ばたく炎の化身がその場を彩った。
 そして自身を焼き尽くすと、上へと舞い上がる。
 4つの紅蓮の蝶がお互いに絡み合い、舞い上がっていった。
 その姿がだんだん薄れていく。
 薄れて、空気に溶け込むように消えていった。 
 ───世界中で一番美しい…火葬。
 それを最後まで見届けて、涼子は静かに後ろを振り返る。
 そこに在るのは、今、この視界を埋め尽くした紅蓮と同じ色彩を宿す瞳。
 そして、憶えのある優しい微笑。
「千尋……」
 その存在に思わず名が口を突く。
 呼ばれて、肩口で切りそろえられた漆黒の髪を携えた女性が笑みを深めた。
「また逢えたわね、涼子」
「どうして…?」
 爽やかな千尋の挨拶に、涼子が答えたのは疑問の声。
 それに、千尋は「あら」と苦笑する。
「私に抜け道を教えてくれたのは涼子じゃない」
 その一言に。
「………あそこを、通ったの?」
 涼子の声が固かった。
 呆れるようなものが確かに含まれている。
 四仙の長ともあろうものが、通気口を……。
 いろいろと言いたいことはあったが、それを口から出すことはなかった。
 その前にさらなる訪問者が現れたからだ。
「涼子さん……?」
 倉庫の入り口で、自分を呼ぶ、聞き慣れた声が落とされる。
 振り返れば、相棒たる銀髪の青年。
「……シコウ」 
 その姿を目にして、涼子は先程の自身を襲った緊張感が霧散するのを感じ、知らず安堵の息が小さく漏れた。だが、対する青年の顔は微かに怪訝そうに歪んでいた。
 そして、その視線は涼子ではなく、その傍らの女性へと向けられている。
「…千尋姉…」
「お疲れ様、シコウ」
「どうやって……?」
 純粋な驚きというよりは責めるような響きのする問いだった。だが、女性に悪びれる様子はない。その白く細い腕を涼子の肩に回して艶やかに微笑んだ。
「それは、涼子と私だけの秘密よ…」
「………」
 全く答える気がない千尋に、シコウが押し黙る。その視線は睨んでいる、とさえ表現できるほど、鋭い。その過剰な反応に涼子は首を傾げた。
「いいじゃない、シコウ。ちょっと外に出たくらい。あんただってこうやって外に出てるんだし……」
「そういう問題じゃ、ないんですよ」
 涼子の言葉を、シコウが切り捨てる。だが、視線は相変わらず、女性へと。
 その態度に涼子は眉をひそめた。言い返そうと一歩前に出て、しかし、隣の女性がそれを制止する。
「御免なさい……シコウ。そんなに怒らないで頂戴」
 謝罪の言葉を、しかし笑みを携えて千尋が口にした。そのまま、優雅な足取りで倉庫の入り口……シコウの方へと歩いていく。
 その間、誰も動かなかった。
 千尋がシコウのもとへと辿り着き、その肩に手を置く。艶やかな笑みで、シコウの耳元に囁いた。
「ユーリが騒ぐから来てみただけ……何もしないわ」
 ピクリッ、とシコウの眉が微かに反応する。それを見取って、女性は笑みを深めた。そして、クルリッと涼子に向き直る。
「またね、涼子。御機嫌よう…」
 言うなり、薔薇の化身のような存在が扉の向こうへと姿を消した。
 突然の登場に、これまた突然の退場。残された二人に、沈黙が流れる。
「……遅かったじゃない」
 静寂に終止符を打つように、涼子が言葉を口に乗せた。それを聞いて、シコウがやっと涼子と視線を合わせる。
「すみません。下にガンゾがいまして、手こずりました……」
 言い訳めいた返答に涼子はため息一つで許すことにした。
「ジェルバに報告しないと……エレベーターの方はどうなってるの?」
「全部停止状態ですが、整備員がいろいろと調節しています」
 すぐさま、帰ってくる確実な返答に涼子は「そう」と相づちを打つ。
「とにかく、ジェルバのところね。行くわよ」
「……はい」
 微妙な間隔で、返答があった。
 ──今までの経緯に、口を出すつもりは、ない。
 四仙同士、何か涼子には悟れぬことがあるのだろう。どうして、シコウがあそこまで千尋がここにいたことに負の感情を示すのか。千尋の言う「ユーリ」──おそらく四仙の一人のはずだ──の名。疑問は山ほどある。
 けれども、涼子はそれを口にはしない。
 口にしたところで、シコウが答えないことを知っているからだ。
 答えがない問いなど意味がない。
 だから、言わない。
 聞かない。
 ……それで、いい。
 「………」
 涼子の視線が、灰になった少年達の骸へと向く。もはや形を失ったそれを見つめながら、あの少年の死体を脳裏に思い浮かべた。妙な嫌悪感はまだ感じる。だが、その原因は掴めそうもなく、小さく頭を切って、その映像を振り払った。
 漆黒の髪をなびかせて、涼子はいくつもの死に染まった空間を後にする。それにシコウも続いた。
 静まりかえった倉庫。
 燃え尽きた灰に埋もれるように、焦げた金属片だけが残されていた。






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