黒鋼の翼 第一章 ・・・ 第二話(Z)


 レザルダントの研修生は、セントルへと続く列車が通る荒れ地に死体となって捨てられていた。
 セントルの特派員が回収したそれは、後日、レザルダントに引き取られることになっている。
 刺客として送り込まれたレイン=M=ルードル及びガンゾ=D=ディルダの身柄はセントルが管理し、問題が片づき次第処理される。
 彼らが所属していたと思われる犯罪組織「タラグス」の捜査はレザルダントとセントル・マナで協議した結果、セントル側に一任することに決まった。
 今回の事件に対し、十老達は研修生の廃止を取り決め、厳重な手続きを通してのみそれを受け入れる処置を講じている。







   ※

「こんなところで何をしてるんですか」
 この日の夜、四仙達が住まう最上階の一つ下の階に設置された展望台の外で腰を下ろしたまま、その漆黒の髪を冷たい風に遊ばせていた涼子に声を掛けてきたのは、……言うまでもない人物であった。
「シコウ…」
 その名を呼ばれて、その青年は僅かに微笑みを浮かべる。その腕には一枚の布が抱かれていた。
「風邪をひきますよ、冷え込んできましたからね」
 それを差し出されて、幾分かの沈黙の後、涼子は静かに受け取り、そして再び夜景に視線を戻す。その様子にシコウはしばし沈黙を守っていると涼子がボソリッと呟いた。
「よくここにいるってわかったわね」
 問いに、シコウは少し間を置いてから答えた。
「……ラナマさんに聞いたんです。上に行ってたのを見たからここじゃないかって…」
「……そう」
 呟いて、涼子はまた黙り込む。その様子を見つめながら、今度はシコウが涼子へと問い掛けた。
「体、大丈夫なんですか? 魔力的能力を使ったんでしょう?」
 涼子は夜景を見つめたまま、「大丈夫よ」とすぐに返す。
「前みたいに放出したわけじゃないし…今回のは別に何ともないわ」
 そう告げた後で、涼子は多少の気怠さはあるけど、と付け加える。シコウはその付け足しに少しだけ眉を顰めた。
「無理はしないでくださいよ?」
「…わかってるわ」
 説教めいた口調のそれに、涼子は静かに頷いた。常ならぬ素直な反応にシコウが首を傾げていると、ふと、涼子が青年を振り返る。そして、その黒曜の瞳が、じっと見据えてきた。
「何か?」
 青年が不可解そうにその視線を受けていると、涼子がゆっくりと近づいてくる。二、三歩程度だった距離はあっという間に埋まり、涼子の腕が伸びてシコウの背に回り、そのまま青年の体を強く抱きしめる。唐突過ぎるそれにシコウが言葉もなく目を見張っていると、目を閉じてシコウの左胸に耳を押し当てていた涼子がふいに呟きを落した。
「…生きてる」
「……え?」
 言葉の意味が解せずにシコウが疑問の声を上げたが、そんな相手のことは受け流して、涼子は一人小さく頷いた後、あっさりとシコウを解放した。そして、まるで何もなかったかのような態度で、再び体を格子に預けて夜景へと視線を戻した涼子に、シコウはただただ疑問符を頭の上に浮かべるだけだ。
「……何なんですか」
「いいの、もう、わかったから」
「いや、私は全然解らないんですが……」
「………」
 消化不良の気持ち悪さを訴えるシコウを、涼子は完全に無視した。また降りてきた沈黙に、シコウも思わず黙り込む。
「そういえば……あんた随分派手にやったらしいわね」
 茶化すような響きの声を聞いて涼子に視線を移すと、彼女は先程纏っていた空気を一変させ、こちらを見上げて悪戯な笑みを携えている。
「何のことでしょう?」
「惚けないでよ。……ガンゾのやつ、大きな外傷もなく逝ってたらしいじゃない?」
 再び、夜景に視線を戻した涼子の言葉に、シコウは一瞬黙って苦笑を浮かべた。
「それのどこが派手なんです?」
 聞けば、また涼子が笑って見上げてくる。
「……さあ? 自分で考えれば?」
 端から見れば全く噛み合わない会話に、けれど本人達には通じ合っていた。
 微笑の余韻を残し、またシコウから夜景へと舞い戻った涼子の視線。
 シコウはその横顔を静かに見詰め、目を細める。
 ――…ガンゾを殺す必要は特になかった。
 生かして捕まえておけば、その分情報が入るのだから。外傷も特になく、死んでいる。それは初めから殺す気だったということ暗示している。痛めつけすぎて、予想外に死んでしまったということではなくて。確実に相手を死へと追いやる攻撃一つ、それをしたということ。
 それにこの涼子は気づいていた。
 どんな虚勢も、彼女の前では通用しない。それを悟って、シコウはため息をついた。そして、自分も夜景に視線を移し、囁くように言う。
「涼子さん達が思ってるほど、私は優しい人間じゃないんですよ」
 その口元、浮かび上がるのは自嘲の笑み。
 ……涼子が視線を上げた。シコウのそれと交差する。
「……失望しました?」
 涼子の顔をのぞき込んで、シコウが自嘲をさらに深めるように問うた。絡み合う視線に、沈黙が生まれる。
 そして……。
「別に」
 涼子が格子から身を離しながら息を吐き出すように言い切った。その反応に、シコウは目を見張る。そんな青年を気にすることもなく、涼子は背伸びを一つするとひらりと身を翻し、シコウの隣を横切って中へと繋がっている扉へと進んで行った。目の前の扉に手を掛けて、ゆっくりとシコウを振り返る。そこに艶やかな笑みを咲き誇らせて、告げる。
「あんたが優しいのは、私にだけでいいのよ」
 ──そう、涼子=D=トランベルは不敵に笑って、扉の奥に姿を消した。
「………」
 残された青年は、閉じた扉を呆然としばらく見詰めていた。
 そうして、風の吹き抜けるその場所で……涼子の残した言葉に、ふと静かに笑みを浮かべた。
 悲哀に、彩られたそれを。
「……そう、ですね」
 漆黒に彩られた空を仰いで、一人、シコウは呟く。己の白い息に、夜空が霞んだ。無機質な静寂の中、誰にも見られることのない場所で、シコウはその笑みを歪めた。
「……私も、そうありたかった」
 ……風の、鳴る音が聞こえる。
 遠く、近く。果てのない夜空に星はほとんど見えず、街の明かりだけが冷たく点っている。
 ゆっくりと片手で目元を覆って頭を垂れた青年は、その明かりに薄く影を伸ばした。
 ――願いが、ある。
 叶えてはならない、願いが。
 望んでは、ならない願いが。
 それでも、その時が来たなら。
 きっと、自分は選ぶだろう。その、願いを叶える道を。
 それが、たとえ、唯一と誓った者を、傷つけることになるとしても。
 それが、たとえ、刹那の幸福しか生まないにしても。
 それでも、構わない。そう思う自分がいるから。
 ……シコウの決意を表すかのように、一陣の風が吹き抜けた。





                     第ニ話:レザルダント       終
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