黒鋼の翼 第一章 ・・・ 第五話 (Z)



 エレベーターを前に、涼子はこれでもかと言わんばかりにしかめっ面をしていた。隣にいる騎士もその様子に若干頬が引き攣っている。
「ト、トランベル一等尉……、そろそろ綾様が……」
 壁に凭れ掛かって腕組みをしたまま一向に動きそうにない涼子に、若い騎士は恐る恐る自分の隣で出迎えの体勢をとって欲しいと訴えかけるが、案の定、「あ゛ぁ?」と殺気の篭もった一瞥に一蹴された。
「いえ! な、何でもありません!」
 冷や汗をだらだらと流しながら青年騎士はエレベーターの扉へと向き直る。遠巻きにその様子を見ている関係のない他の騎士や巫女達は揃って彼に同情の視線を注いできた。なら、代わってくれよとそれらに内心で訴えるのだが、目を合わせればそっと逸らされる始末。人身御供もいいところだと、青年は一人涙を呑む。だが、昨日のBブロックの準決勝から続いた胃の痛い仕事も今日でお終いなのだからと、何とか気持ちを盛り立てて彼はエレベーターから問題の人が降りてくるのを待った。
 その数分後、チンッと軽い機械音。青年騎士の目の前の扉が自動で開く。
「……あら、あの女騎士さんは遅刻なの?」
 扉の向こうから現れた艶やかな少女は、青年騎士を見てそう不満そうに呟く。彼は「あ、いえ……」と涼子をぎこちなく指差した。少女は壁に凭れ掛かったまま視線すら合わせない涼子を見て、眉を顰めるとフンッと鼻を鳴らす。
「まあまあ、そんな端っこにいるから視界に映らなかったわ。それにしてもだらしないわね。もっとしゃんと立てないのかしら」
 投げつけられる嫌味に、それまで無表情だった涼子は僅かに口端を吊り上げると、クッと笑みを漏らした。
「ああ、誰かさんが時間通りに来ないものだから、疲れちゃったのよ。ごめんなさいね、誰かさん?」
「ダレカさん? 一体誰に話しかけているのかしら。困ったわ、護衛役の人が幻覚症状だなんて不安ね」
「それならいつでも喜んで降りてあげるわよ?」
「嫌だわ。一度引き受けておきながら仕事を放り出すなんて、セントルの人間として恥ずかしいわね」
「あんたの奇天烈な格好に比べたら恥ずかしくなんてないわよ」
「きっ、奇天烈っ!?」
 嫌味の応酬を続けていたジェナが顔を引き攣らせて悲鳴を発する。
「これは有名デザイナーの服よ!」
「あら、そう、じゃあ、着てる人間が奇天烈に見えたのね、ごめんなさい?」
「〜〜〜〜ッ!!」
 顔を真っ赤にして怒髪天な様子の少女は、怒鳴り散らしそうになるのを何とか押さえ込んで涼子を睨みつけるに留まった。大きく息を吐き出すことで何とか憤りを流すことに成功した少女は、ふと意味深な視線を寄越してくる。そうやって余裕見せていられるのも今のうちよ、とボソリと呟いたジェナに対して、眉を顰めた涼子が口を開くより先に、少女は青年騎士へと視線を向けて言葉を紡ぐ。
「早くしないと試合が始まってしまうわ。さっさと行きましょう」
「あ、は、はいっ!」
 促された青年騎士は涼子を見て、縋るような目で訴える。主要護衛の涼子が先立って歩き出さない限り進めないのだ。それに、涼子は軽く嘆息して、やっと壁から身を起し、特別閲覧室へと歩き出した。
「昨日の試合、とっても面白かったわ」
「…………」
 しばらく重苦しいほどに無言だった空気を打ち破るように、歩きながら前を行く涼子へと、ジェナは含みのある口調で声を掛けてくる。涼子が軽く沈黙で流すと、僅かに機嫌を損ねた表情を見せたが、すぐに笑みを取り戻して言葉を繋げる。
「あの勝った人、ラディスって言ったかしら? あの人と今日貴女が試合するんでしょう?」
「…………だから、何」
 先ほどの感想めいた台詞とは違って積極的にこちらの返答を望む言葉に、涼子は渋々ながらそう返した。少女は「確かめただけよ」とクスクス笑みを漏らしながら答える。後ろを行く青年騎士は不穏な空気の流れ出す前方にソワソワと不安げにしている。
「そういえば、あの人って翠老の采配で、今まで剣技大会出たこと無かったのよね?」
「……みたいね」
「ふぅん……だから、かもね?」
 挑発的な声色に、涼子は訝しげな顔つきでチラリと少女を振り返る。笑みを履いた少女の顔は艶然と涼子を見返す。
「何が」
 涼子の短い問いかけに、ジェナは己の髪の先をクルリと指先に巻くようにして。
「貴女が、今までセントルのトップだった理由」
 場が完全に凍りついたのを、青年騎士はすぐ傍で確信した。蚊帳の外だった彼さえ息を止めて目の前の状況に硬直する。特別閲覧室はもうすぐそこだ。だというのにその数メートルさえ、遥か遠くに感じる。
 切れた、だろうな、と絶望的な思いで若い騎士は涼子を見つめた。元からあれだけ機嫌が悪かったのだ。今の綾の台詞は発火剤にはもってこいだったに違いない。
 だが、騒乱を覚悟していた彼の予想とは裏腹に、涼子は小さく息を吐き出すと、やる気のない視線を少女に返した。
「どうかしらね」
「…………」
「あんたの目で、確かめてみればいい」
 僅かに笑いの気配すら含めた口調で、涼子は静かに告げた。
 ジェナの顔色が、その瞬間変わった。
 笑みは消え失せ、その顔に残ったのは真っ直ぐな敵意。碧眼がチリチリとした熱を持って目の前の女騎士を睨み据える。
 無言の睨み合いは、小さな呟きで終わる。
「――……貴女なんて、大嫌い」
 絞り出した声は嫌悪に濡れていた。
 視界の端で、僅かにその右腕が動いたように、涼子の目には見えた。
 それが切欠、だったのだろう。
 バチッと、背後で嫌な音がした。涼子が振り返ろうとした瞬間、一気に視界がゼロになる。廊下にいた騎士や巫女達の戸惑いの声が一斉に上がった。明かりが落ちたのだ。建物全体なのか、この場だけなのかはわからない。
 ハッと我に返った涼子はジェナのいた場所に手を伸ばすが、案の定、空を切った。
「………ッ」
 暗闇の中で左右に視線を馳せる。気配を探るにも、あちらこちらに人がいる状態ではどれがジェナのそれなのかもわからない。歯がゆさに唇を噛み締めた数秒後、明かりがパッとその場に戻った。周りの者は安堵の息を吐いていたが、涼子は最悪の心持でその場を見渡す。
 ものの見事にあの四仙の少女が姿を消していた。
「ト、トランベル一等尉っ……」
 事態に気づいた青年騎士が顔を青ざめて涼子を見つめる。涼子は有無を言わさずに目と鼻の先にあったドアまで駆け、勢いよく開け放った。
「<綾>は!?」
 特別閲覧室には、翠老とジェルバがすでに席についていた。突然飛び込んできた涼子を二人して振り返ると、ジェルバが先に答えを返してくる。
「ここにはまだ来ておらんが?」
「――あのクソガキっ!」
 吐き捨てた涼子を見て、状況を理解したらしい翠老が含みのある声を掛けてきた。
「綾殿の姿が見えないようだが?」
「………」
 押し黙った涼子に、老婆はそれはそれはとさらに声を弾ませる。喜色を隠そうともしない顔は皺を寄せて嗤う。
「そうか……なんとまあ、とんだ失態じゃなぁ? トランベル一等尉」
「………」
 揶揄する声に顔を向ければ、翠老のにやけた表情がそこにある。あんたの期待通りでしょうがとその面に唾を吐きかけてやりたいところだが、それは心の中だけでとどめて、冷めた視線を送るだけにしておいた。
「ご心配なく。すぐに<綾>は無傷で保護しますよ」
 言い捨てるなり、涼子は相手の反応もまたずにその場から駆け出す。その途中、ジェルバとも目が合って、翠老とはまた違った笑みを向けられ、思わず舌打ちが漏れた。扉を出てすぐに右の通路を走る。すれ違った人間が驚きの視線を向けてきたが、気にしている場合ではない。
 走りながら、上着のポケットに手を突っ込んで<それ>を取り出す。
 スライド式の電源スイッチをオンにすれば、南南西くらいを示す赤い点滅。それを確認した上でもう一つのスイッチに切り替えれば今度は縦方向の距離をはじき出す。下だ、それも移動している。
 本当にむかつくガキだ。
 涼子は動き続けているその赤い点を見下ろしながら悪態を吐いた。
 護衛などというものを押し付けてきた時点でこうなることは予測していた。だから、その動向には注意を払っていたのに、油断を突かれた。まさかああいう荒業を使うとは思わなかったのだ。相手の出方を見誤った、不覚としか言いようがない。万が一のことを考えてこうして発信機を取り付けておいたのが唯一の救いか。
 ……まったく、決勝の前に随分面白い前座を用意してくれたものだ。
 そう思って、口の端に歪んだ笑みが浮かぶ。
「上等じゃないの」
 見つけたら、とりあえず一発殴ってやろう。まあ、無傷であることをあのいけ好かないばーさんに証明してからになるが。
 不穏な考えを巡らせながら、涼子はエレベーターホールつくなりそこにある全てのスイッチを全て押していった。




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