黒鋼の翼 第一章 ・・・ 第五話 (\)



 辿老といた場所を後にしたシコウは、目の前を慌しく駆け抜けていった複数の騎士と巫女の一団に、一瞬意識を止められたが、彼らはあっという間に去っていってしまったため、ただ小首を傾げるしかできなかった。だが、その後、似たような団体が、これまた慌しい様子で一団、二団とすれ違うに至って、さすがにその内の一人を引き止めてどうしたのかと問わずにはいられなくなる。
 そして、たどたどしいその説明を聞いて大体の概要を理解するなり、青年は右手で目元を覆って天井を仰いだ。
 自分のいない間に、実に愉快な状況になっていたらしい。
 ジェナがあのまま黙っているとは思わなかったが、さすがにそこまで直接的な行動に出るとは想定外だった。それに、例え彼女がそういうことをしたとしても、あの涼子がそれに乗るわけがないと思っていたのだ。現実はこのように何もかも裏目に出ていたが。まあ、涼子のことだから、まんまと挑発に乗るつもりはなかったのだろうが、何かしら不可抗力な状態でこんなことになってしまったのだろう。
 妙なところで詰めが甘い人だからな、と考えながらシコウは青年騎士に視線を戻す。
「それで、涼子さんも何処にいるのかわからないんですか?」
「はい……すぐに綾様を追いかけて飛び出してしまわれたので……」
「わかりました。とりあえず、何か状況がわかり次第私の方にも連絡をお願いします」
 頷いて再び駆け出した騎士の背中を見送って、シコウもまた涼子達を探すべく足を踏み出す。今回は前回の時のように、心当たりのある場所はない。この広い建物の面積を思って、困ったな、と青年は内心嘆息を落とした。




◇◇◆◆◇◇




 数秒で一人の男を再起不能にした女騎士は、悠然と、男を刀の刃先で指名する。
「さあ、無駄口はいらないわ。次、あんたね」
 言うや否や、涼子の足が地を蹴った。標的にされたリーダー格の男は、小さい舌打ちを落とすと、自らも一歩踏み込み、飛び込んできた涼子の剣を前屈みに受け止める。鋭い金属音に空気が割れて、剣を合わせた二つの影が力の拮抗を前に停止した。
 クツリと女騎士の口元から笑みが零れる。
「へぇ……反応は悪くないわね」
「うるせぇよ」
 ガチガチと拮抗して鳴る刃と刃を間にお互いを睨み据える二人に対し、その周りは完全に置いていかれている状態だったが、横目に見咎めた男の一喝がそれを破った。
「何ボサッとしてる!! やることやりやがれ!!」
「―――ッ!!」
 頭の激昂に我に返った男達は、慌てて数人が刃を合わせているリーダーと女騎士を距離を置いて取り囲むように陣取り、残りの五人ほどが壁に背をつけているジェナへと矛先を向けてきた。唐突に自分に戻ってきた敵意に思わず体がビクつく。けれど、パニックになったのは一瞬だけ。
『近づいてくる奴らは片っ端から吹っ飛ばしな』
 剣を向けてこちらに向かってくる相手を見据えながら、ジェナは涼子の言葉を脳裏に再生させ、固く頷く。
―――できる。
 手を翳す。検査の時と同じだ。能力値を図るための器具を身につけていないだけで、要領はあれと同じ。自分に言い聞かせながらフッと腹底から息を抜き、意識を集中させる。
 十分に相手を引き付けて。
『……今』
 そう思ったと同時に、勢いよく、翳した手で横に空気を凪いだ。
「―――ッ!?」
 その刹那、少女の細い手によって生み出された暴風が男達に襲いかかり、悲鳴を上げることすらできずにその波に巻き込まれて、端の壁まで吹っ飛ばされていく。さすがに彼らも途中で受身をとったらしく、無様に壁に叩きつけられることはなかったようだが、その顔は自分の受けた攻撃の大きさに動揺を隠せないでいる。
 一方、攻撃の余韻の中、ジェナも力を放った姿勢のまま少し呆然としていた。
 自分の起した風で人がああも吹っ飛ぶものだとは思わなかった。あのまま、相手が頭から壁にぶつかっていたらどうなったろうと想像してジェナはゾッとした。確かに、自分は闘ったことがない。気づけばセントルの最上階で四仙として暮らしていた。相手を傷つけるという覚悟すら、なかった。必要、なかったから。
『甘ったれてんじゃないわよ』
 言われた時は頭に来た涼子の言葉。でも、その通りだ。自分は甘えていた。戦わなくていい立場で、甘えていた。死と隣り合わせの場で、片腕から血を流し、それでも複数の敵を相手に怯みもせず斬り込んでいくあの人よりも、強いと、本気で思っていた。
 恥ずかしい。
 ジェナは、胸元をきつく握り締める。羞恥で顔に血が上る。
 涼子はきっと知っていた。知っていたから、あんなことを四仙の自分に言ってのけたのだ。何も知らずに、偉そうな口を利いていた自分は、どれだけあの漆黒の瞳に滑稽に映っただろう。今ならわかる。あの侮蔑の視線の意味が、正当性が。だからこそ、どうしようもない、居た堪れない気持ちが深く胸の底にこびり付いて取れない。
 こみ上げてくる羞恥に、ジェナはまた泣きそうになって、でも、そんな失態、これ以上晒したくなくて唇を強く噛み締める。
 そうしている内に、また男達が、今度は間合いを計りながら慎重に距離を詰めてきている。とにかく、ここはこれ以上足手まといにならないことが先決だ。たとえ相手を傷つけることになっても、そこだけは譲れなかった。だから、彼らに向けて、再び手を翳して見せれば、それだけで男達は警戒して動きを止める。そのまま出来上がる、硬直状態。
 その状況を横目で確認した男は、涼子と剣を合わせたままチィッと舌打ちする。だが、その瞬間涼子の剣が滑って拮抗が崩れた。それに不意を突かれた男は、慌てて身を捩って振り切られた涼子の剣の軌道から身を逸らす。それでも、完全に避けきれず、左脇を薄く切りつけられ、ピリッと皮一枚切られた薄い痛みが走った。
「くッ!」
「状況把握しながら私とやり合えるなんて、思い上がってるんじゃないわよ」
 冷めた視線とともにそう涼子が言葉を投げつければ、男のギョロリとした目が、怒りに血走る。
「クソアマがッ!」
 怒声を伴ってザンッと振り切られた相手の剣が、空を切って鈍く鳴った。サラリとかわした涼子の右手から流れる血がパラパラと床に散って斑点を作り上げていく。その一方で、冴え冴えとした表情のまま男の剣筋を見やるその目に、鋭利な光が灯った刹那、涼子の右足が男の手元目掛けて跳ね上がり、男の剣の柄を蹴り飛ばした。
「――く、ぁっ!」
 下からの衝撃に、剣がその手の中からすっぽ抜けて、宙に放り出される形になり、男は慌ててその剣を再び掴もうとした。そこを、さらに柄を蹴り上げた涼子の足がその延長線上で弾き散らす。直撃を受けたその右手の子指に嫌な音が走る。すぐに男の引き攣った呻きがそれに被った。
 カランッと剣が床にぶつかって、乾いた音を上げる。反射的に左手で激痛の走った患部を握り締めた男の隙を、涼子は見逃さなかった。続けざまに右手を唸らせながら容赦なく剣の柄で相手の側頭部を殴り飛ばせば、男は潰れた呻きをあげて床の上に転がる。
 昏倒したリーダー格の男を見て、周りを固めていた他の男達が一斉に踊りかかってきた。頭をやられても怯まずに立ち向かってくるところは評価に値するかと、冷めた思考で思いながら、それでもさっきの男より一段レベルの下がった斬撃を涼子は淡々と片腕で捌いていく。攻撃を避けると同時に無駄なく相手の核を貫いていけば、立ち向かってくる刃の数は順調に減っていき、数分とかからないうちに最後の一人になる。自分が最後だと気づかないまま立ち向かってくるその首を難なく貫けば、核を壊された反動で気を失った男達が屍累々と言わんばかりに無残に床の上に残された。
「……さて、と」
 少しだけ乱れた髪を掻き上げながら、視線を移すと、この惨状を呆然と見ていた残りの男達と目が合う。結局、彼らはジェナには一定距離以上、近づけずにいたらしい。涼子が片眉を上げて、口端を少し吊り上げてみせると、面白いくらいに動揺を露わにして右往左往し始めた。ジェナはというと、ずっと男達を見据えて気を張っていたようだが、彼らの注意が明らかに自分から別の場所に移ったのを知って、そこで初めて涼子の方へと顔を向けたところだった。そして、涼子ただ一人が悠然とその場に立っているのを確認するなり、一瞬息を呑むと、ハッと、今の今まで溜め込んでいた緊張を大きな息として無意識に吐き出した。
 その碧眼が見開かれたまま見つめる中、涼子がジェナと対峙していた男達に向かって一歩足を進めれば、一人の男を皮切りに、全員が仲間を置いて逃げ出した。涼子がそれを追いかけて駆け出そうとした、その時。
 逃亡の先頭を切っていた男が不自然に止まった。涼子は目元を細めてその様子を見つめる。男の背から、剣先が突き出ている。遠目ながら、そこに刻まれたセントルの紋章が確認できた。ズッとそれが引き抜かれ、核を壊されたらしい男はその場に崩れ落ちていく。その影の向こう側にいたのは一人の騎士だった。それを認識すると同時に、生まれる複数の気配。音もなく現れたのは数人の騎士、そして巫女達である。
「セントルへの不正侵入者として、確保します」
 さきほど男を倒したその騎士が囲まれて立ち往生している残りの男達に向け、そう剣先を突きつける。そして一秒と待たずに駆け出し、同時に他の騎士や巫女達も敵に踊りかかっていく。成す術もなく、一人、また一人と捕らえられていく中、そっと背後に気配を感じて涼子が振り返ると、若い騎士が立っていた。
「遅くなって申し訳ありません」
「……よく、ここがわかったわね」
 涼子が少し感心したように呟くと、青年騎士は苦笑を浮かべて答える。
「実は、綾様がいなくなった後、大人数が駆り出されて捜索にあたっておりましたので……」
 要は虱潰しの如く至る所に向けられた捜索隊のうち、たまたま自分達が当たっただけなのだと言いたいらしい。ジェナの話が出たことで、涼子が少女の方に視線を向けると、彼女の傍に二名の巫女が寄り添って無事を確認していた。見たところ、どうやら大事ないようだ。そのことに涼子がホッと息を吐き出して、青年騎士の方に視線を戻し、これからの処理について口にしようとした瞬間。
「涼子ッ!!」
 甲高い悲鳴にも似たジェナの声が上がった。それと同時にゾワッと背筋に悪寒が走る。ほぼ、反射の域で涼子は右後ろを振り返る。黒い影と、血走った目玉。
「――なっ!?」
 すぐ傍らで青年騎士の焦りの声が聞こえる。
そうだ、まだ、奴にはトドメを刺していなかった。涼子は自らの油断に内心で悪態を吐く。剣を差し向けようとするが、それよりも相手の振り翳した短剣がこの身に突き刺さるほうが早そうだ。せめて、急所を外さなければと相手の太刀筋を見据えながら身構えた。
 が、その直前。
「ぐぅ……ッ!」
 不自然に、その影の動きが固まる。視界の端で、男の足元が氷付けになっているのが見えた。唐突に下半身のバランスを崩した男の短剣は振り翳した勢いのまま見当はずれの場所を掻くことになる。その一瞬で形勢逆転を見た涼子の左手に握られた剣先が、躊躇せずに、その右胸へと潜り込んだ。浅い呼吸。濁った呻き声。核を貫かれた男の、その左腕が、涼子の負傷した右肩へと伸びる。それが届く前に、涼子は剣を引き抜き、身を引いてその手から逃れた。充血した目をこれ以上ないほど見開いてこちらを睨み据える男は、その体が崩れ落ちていくに従って、白目を剥いていき、最後はうつ伏せにドサリッと音を立てて倒れこんだ。
 一瞬の緊迫から、開放されたその場で、涼子は一息吐き出すと、ゆっくりとジェナを見やる。そばにいた巫女を押し退けるようにして、こちらに手を翳したまま、少女は肩で荒い息を繰り返していた。
 この男の足を氷付けにしたのが誰か、聞くまでもない。涼子の視線に気づいた少女は今にも泣き出しそうな顔をしながら、「私だって」と、震える声を紡ぎだした。
「私っ、だって! やれば、できるんだから!」
「………」
「こ、これで貸し借りなしだからねッ!」
 まるで意地になった子供のように、悲鳴のような声でそう叫ぶジェナに、周囲はなんだなんだという顔をしているが、ただ一人、涼子は無表情で受け、そして、薄く笑った。
「あ、そう」
 返した言葉は良くも悪くもその一言。反駁も、同意もない。ジェナはくしゃくしゃの顔のまま喉元を大きく引き攣らせた後、ヘナヘナとその場に崩れ落ちる。それに慌てて巫女達が寄り添って体を支えた。
「トランベル一等尉っ」
 無事ですか、と慌てて青年騎士が確認してくる。その目は、必然的に涼子の血みどろになった右腕に向かい、息を呑んで凝視した。涼子が剣を振り回していただけに、深手ではないと彼は高を括っていたようだが、改めてよくよく確認してみると、あまりな惨状だったのだから、その動揺は大きかったらしい。
「医療班をすぐに……」 
「ああ、これはいい。自分でなんとかするから。それより」
 戸惑いのまま告げてくる相手をそう制して、涼子はジェナを指差した。 
「多分、もう侵入者はいないと思うけど、念のためこいつを安全なところに連れて行って」
 青年騎士は涼子の肩とジェナとを困惑しながらしばらく見比べていたが、涼子がさっさとしろと言わんばかりにひと睨みすると、顔を強張らせて頷いた。
「はっ」
 こちらへ、とその騎士に誘導されたジェナは何か言いたげに涼子を見る。だが、涼子はヒラヒラと手を振ってその言葉を受け付けようとはしなかった。
「いいから、行きな」
 少女は唇を噛み締め、小さく頷いて騎士達に連れて行かれる。その背が完全に消えて、涼子は男達の搬送をしている騎士の一人から通信機を借りた。そして、番号を打ち終わったその時、まさに今通信を寄越そうとしていた相手、涼子の片翼がちょうどいいタイミングで駆けつけてきた。
「涼子さん! 大丈夫ですか!?」
 青年の登場に、あら、と呆けた顔をした後、涼子は騎士に通信機を投げ返し、傍までやってきた彼に飄々とした顔で治療を要求する。
「丁度いいとこに来たわね。何でもいいからさっさとこれ治して」
 そう差し出された涼子の肩を見て、シコウは当然の如く盛大に顔を顰めた。
「なんて無茶を……」
「小言はいいからさっさとして」
 強い口調でそう言われ、青年はため息をついてから血に濡れた肩にその手を翳して治療を始める。じわりじわりと痛みは引いていったが、傷が辛うじて塞がった程度のところで、効果が見えなくなってくる。シコウは眉を顰めて、涼子を見た。
「傷が深すぎるのと、時間が経ちすぎています。これ以上は治せません」
 静かに告げられるその結論に不満を言うことはできない。涼子自身、傷の深さはよく分かっている。もう少し放置していたら神経に支障を来すほどにかなり酷くやってしまっていたはずだ。この治癒もシコウだからこそ傷を塞ぐまでできたのであって、他の者だったらそれすら難しいところだろう。けれど、涼子にはそれで納得するわけにはいかない理由があった。
「これからすぐに決勝なんだけど」
「……これで闘うとすぐに傷口が開いてしまいますよ」
 試合は無理です、と首を横に振って、シコウは涼子を諭すように言葉を続ける。
「医務室へ行きましょう。決勝戦は延期にしてもらって……」
 涼子は冷笑してそれを遮った。
「あの翠老がこんな好機を前に延期なんて承諾すると思う?」
 淡々と告げられて、シコウは言葉を詰まらせる。やはり流されてはくれないか、と苦い思いをしながら、青年は気づかなかったふりをしつつ実は自身で最初からわかっていたその事実に同意を示した。
「……思いません」
「だったら、行くしかないでしょ」
 そう言い捨てて立ち上がった涼子の腕を、青年が掴んで留める。
「形だけの優勝なんて彼らにくれてやればいいじゃないですか。四仙を護っての負傷による棄権ですよ。意地を張って無理なんかしなくても、どうせ、貴女の強さに揺らぎはない」
 棄権してください、と求める青年の眼差しに、涼子は数秒の沈黙の後、彼の胸倉を掴むことで応えた。目と鼻の先に顔を近づけて、殺気すら含んだ視線で射抜く。
「――この程度の傷で私が負けるとでも?」
 ゾクリと背筋が凍るような声。シコウは息を呑むと、目を伏せ、静かな口調で返した。
「……まさか。私が案じているのは、その状態で闘うことによって傷が悪化するのではということで……」
「私が、勝つのよね?」
「………」
 言葉を遮って、涼子は強引に問う。頑とした声と眼差しが肯定を強制する。こうなったらもう彼女を止めることはできない。シコウはしばし黙り込んだ後に、小さく息を吐き出して、「……はい」と観念したように呟く。
「勝てる勝負に退くのは、馬鹿のやることよね?」
「……おっしゃる通りです」
「じゃあ、今あんたが私に言うべき言葉は?」
「………」
 許された沈黙は数秒だけ。黒耀の双眸に焼き切られる前に、シコウは白旗を揚げることを余儀なくされた。
「どうぞ、お気をつけて」
 自分の胸倉を掴んでいるその手を取り、手の甲に小さく口付けを落とす。血のこびりついたそこはジワリと鉄の味がした。再び目を合わせたその人は笑みを浮かべている。
 仕様のない人だ。それを見て、浅いため息交じりにシコウはただ、そう思った。





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