「呆れた…。」
まさか本当に来るとは、と天狗と人間との半妖鬼の少年、爛火はため息もあらわに言葉を濁す。相手はもちろん、先日この村にやって来た、爛火にとっては不可解極まりない巫女の萩羽だ。彼女は言葉通り再び爛火のもとへと足を運んできていた。
「どうした?何か不都合でもあったか?」
問うてはいるものの反語的な語意を含む口調に、爛火はムッとするものを感じるが、不都合であるという、これといった理由もないのも事実なので反発の声はあげず、不快そうな顔でそっぽをむいた。
「お前、巫女だろう? こんなとこでぼーっとしてていいのかよ。仕事はどうした。仕事は。」
その不快そうな横顔を眺め、面白そうに笑っている萩羽に、せめてもの抵抗の言葉をなげかける。
「村入りの儀式は済ませた。あとは…、特にないな。」
「おい…。」
爛火のいわんとすることの意味を知りつつも、気づかぬふりをする萩羽に爛火はため息混じりに言葉を挟む。
「俺が言ってるのは、例の妖鬼の件だ。」
「わかっている。」
即答。気がつけば、萩羽の顔から笑みは消え失せていた。その瞳に浮かぶあの強い光に、爛火は言葉を失い、萩羽を見つめる。そんな爛火の様子には気づかず、萩羽は目の前に広がる田園風景を見つめ続け、姿形も見たことのない妖鬼に思考を重ねていた。
「妖鬼は…、人の心臓を喰らう。そしておそらく、奴はまだ満足していないな。村の者に結界の外となる場所には行かぬように言ってはいるが、それも年期が入っていて、薄くなっている。いつ崩れるかわからない。…弱っているのだ。」
独り言を紡ぐ萩羽を見つめていた爛火は、ふと、その姿に母の面影を見る。やさしかった母。村を襲った妖鬼を倒し、力尽きた父とともにこの世を去った。妖鬼同士の戦いによる
衝撃波から自分を庇って。それなのに、村の奴らは…、守られている自覚も無しに自分達を罵り、両親の死を手放しで喜んだ。憎らしいと思いつつも、この地を守れという、父の遺言に背くこともできず、自分はここにいる…。
「どう思う?」
急に話を振られ、ハッと爛火は我に返る。話を全く聞いていなかったので、質問の意図がさっぱりわからない。萩羽が首をかしげ、聞いていなかったのか?と、問うてくる。
「この村を狙いそうな妖鬼に心当たりはないか? と、聞いたのだが。」
爛火は、ああ、と納得したような仕草をすると、両腕を頭の後ろへ持っていき、木の上に器用に寝そべった。つまり彼女は情報が欲しいのだ、と納得する。
「さあな。今までも何匹か来たことには来たが、敬杏のババアが張った結界に、手も足も出ずにどっかいったな…。」
木の幹へと移していた視線を少女の方へ戻すと、彼女は目を見張って彼を見ていた。そして、呟くように言葉を漏らす。
「…お前、父から結界に関する能力を受け継いでいないのだな。あの結界は敬杏殿のものではないぞ?」
「……? 他に誰が張る?」
疑問の感情を顔に露わにすると、萩羽は呆れたといわんばかりに苦笑する。
「親の心子知らず、とはまさにこれだな。」
ボソッと、あまりに小さな呟きだったので爛火は聞き取ることができなかった。まあ、わざとそうしたのであろうが。
「…変な女だな、お前は。」
爛火は木の幹へ、また視線を戻していた。萩羽の呟きはさほど気にしてなさそうだ。
「いくらお前が力を持っていて、俺に人間の血が半分流れていたとしても、だ。もう少し警戒心というものをもったらどうなんだ?」
返答はない。爛火の視線は未だ木の幹にあるので、萩羽の顔色を伺うことはできない。戸惑っているのか、初めて相手が妖鬼の血も引いているのだということをいまさらながら気づいたのかもしれない。そんなことを考えていると、後悔に似た思いが胸を突く。言わなければよかったかもしれない。が、……。
「お前の銀の髪は綺麗だな。」
思いがけない返答に、思わず木の枝から落ちそうになる。驚きも通り越えて呆れがあふれてくる。本当に何だ、この女は。わけがわからない。
「…お前なあ…。」
「深紅の瞳も綺麗だ。」
少女はいつもの笑みを浮かべている。そう思わないか?と、尋ねてくる少女に諦めのため息をつく。何をいっても無駄だ、こいつは。そう思って、乗り出していた体を引こうとしたその時。爛火は思わず息を飲む。ためらうことなく真っ直ぐにのびてきた萩羽の白い手が自分の髪に触れていた。魔性の血が間違いなく流れている象徴といえる、忌み嫌われた銀の髪に。どのくらいの時間だっただろうか、爛火は魅入られるように自分をその漆黒の瞳で見つめる少女を見ていた。何ともいえない感情が胸の中で溢れだす。
「巫女様ー! 萩羽様ー!」
その言葉にできない空間を破ったのは、例の神社の男だった。結局、謎めく萩羽の言葉の解読は諦めたのだろう。なかなか帰ってこない主人を捜しにきたようだ。通りの向こうからかろうじて見つけた萩羽に手を振って駆け寄ってきている。次の瞬間、爛火は思わず自分の目を見開いた。自らの左手が、いつのまにか、髪に触れている萩羽の右手にかぶさるように触れようとしていた。その現実に、爛火は硬直し、萩羽の視線が駆け寄って来る男から再び自分の方へ戻ってきた瞬間に思いっきり身を引いた。突然の爛火の反応に萩羽は目を見張っている。自分の顔が熱くなるのを感じながら、爛火は一歩引き下がる。
「いっ……、いいなっ! もう俺にあまり干渉するなっ!」
捨て台詞。それを言い放つと、爛火は森の中へと姿を消してしまった。残された萩羽に、神社の男が息を切らしてやって来た。そして、呼吸を整えながら爛火が消えていった方向を見やる。
「…巫…巫女様っ。今のは天狗の奴では? さっそくお払いに?」
男の目に驚きと期待が明らかに浮かぶ。やはりあの言葉は自分の意見に肯定を表す意味を含んでいたのだと、心の中で確信したのだろう。まあ、大きな勘違いである。
「…いや、ただ話をしていた。」
男な問いに答えつつも萩羽の視線は自分の右手を見つめていた。どこか口惜しそうな、手持ちぶたそうな顔だ。男はそこで、自分は何かこの少女の邪魔をしてしまったのではないかと不安を覚える。
「…あの?」
不安に耐えきれず、少女に問いかける。が、返ってきたのは、小さく深いため息だった。男の顔が一気に真っ青になる。それでもどうしたらよいのかわからずオタオタしている。謝罪しなければ、非常にまずい。わかってはいるものの、何とも言えぬ恐怖に言葉がのどを出てこない。そんな男を置いて、当人の萩羽はスタスタと帰っていく。大丈夫だと、微笑んでやれば男の不安は消えてしまうものを、そのまま去っていくのは、やはり少々怒っているのかもしれない。残された男はいつまでも頭を抱えていたという。不憫というか、自業自得というか、桜の木々は風に揺れながらそんな光景に沈黙をただ守っていた。
男が後悔と恐怖と混乱の渦巻く中に身を置いていた頃、爛火は深い森の中で立ちつくしていた。木々が立ち並び、動物の気配は何もなく、ただ太陽の光が木々に遮られつつも地面にその光を落としている。そっと左手で少女の手が触れた髪に触れる。まるで熱を持ったように熱い。今まで人と言葉を交わすこともろくになかったのだ。接触するなど論外だった。しかも、何の敵意や嫌悪の念もなしに。ふと、脳裏にその論外の行動を起こした少女の顔が浮かぶ。いつもの笑みをその顔に讃えたまま、漆黒の瞳が真っ直ぐこちらを見つめている。…思わず舌打ちしてしまう。どうかしている。あの少女も、そして、そんな娘になんの嫌悪感も抱いていない自分も。何かを振り払うようにかぶりを切り、少年はさらに深い森の奥へと姿を消した。
春風が行き交う村の中。それを愛おしそうに、焦がれるように「深海森」の森の中から見つめる物があった。あの中に自らの欲を満たしてくれるものが溢れている。次第に薄れつつある結界に、幸運にも気づいたのは自分だけのようだ。
「…モウスグダ。モウスグデ至福ノ時ガ来ル。」
あの村に入った後の自分の姿に想像を思い遣って、「それ」は笑みをさらに深めた。その時は、もう目の前に迫っていた。
爛火があの桜のもとに戻った時、そこに萩羽の姿はなく、代わりに幼い、村の少女が鞠をついて一人で遊んでいた。ここに自分がよくいることは、村の者もよく知っていたので、この幼い少女は母親の言いつけの意味も知らず、この場へとやって来たのだろう。その事実を後で知った母親の驚愕の顔が手にとるようにわかる。少女は爛火が戻ってきたことに気づかず、鞠をつき続けている。爛火は静かにそれを見守った。少女が自分の存在に気づいた瞬間の顔が見てみたいと思ったのだ。目を見開き、絶句してその場に固まってしまうのか、それとも、泣き叫び、母親に助けを求め走り去っていくのか。どうやら、あの不可解な少女の出現でどうも狂っている自分の調子を、いつもの村の者の反応で元通りにしようとしているようだった。そんな考えを頭の中で泳がせていると、幼い少女が手を滑らせて鞠をつきそこねる。戻るべき場所を失った鞠は、引き寄せられるようにこちらへ転がって来た。爛火の足下で動きを止めた鞠を爛火はヒョイッと、その手に持ち上げる。鞠の行方を追っていた少女と目があった。爛火は冷たい視線で少女を見つめる。
さあ、どうする?
声に出さぬ問いを少女に問いてみる。対する少女はしばらく少年を見つめて沈黙した。泣き出すか、そのまま固まるか…。次の瞬間、絶句したのは、……爛火だった。
「ありがとぉ! お兄ちゃん! そのマリ、こゆきの!」
満面の笑みで、少女は爛火に言った。爛火は放心したように少女を見つめ、その手から鞠を落とす。落とされた鞠は転がって再び少女のもとへ戻っていく。その鞠を満足そうにその腕に抱くと、少女は爛火に視線を戻し、また満面の笑みを贈った。
「お兄ちゃんのおめめ、とっても綺麗ね。こゆき、赤大好きっ!」
言うと、そのまま鞠をつき始めた。爛火はまだ固まっている。困惑の色が瞳ににじんでいる。
「だから言ったろう? 綺麗だと。」
聞き覚えのある声に全身全霊、驚愕をあらわにふり返る。もちろんそこにいるのは例の少女だ。ふり返った爛火に、こゆきという少女から視線を移し、萩羽は微笑む。
「いつから……っ!」
そこにいたと、混乱の顔で問う爛火に、萩羽は淡々と答える。
「今だ。」
さらに爛火は何か言いたそうな様子で顔を引きつっているが、萩羽は無視してこゆきのもとへ足をすすめる。
「なあ? こゆき。今日は一人か?」
やさしく尋ねる萩羽に、こゆきは鞠をついていた手を止め、少し悲しそうに呟いた。
「みんなね、お外に出ちゃだめだっていわれたんだって。よーきに食べられちゃうからって。こゆきもね、母様にね、だめよって言われたんだけど…。」
しばらくの沈黙。そして満面の笑みで顔を上げる。
「でてきちゃった!」
今頃、母親は顔を青白くして娘を捜していることだろう。
何とも言えぬ同情の念を母親に抱き、爛火はただ苦笑した。萩羽はあの微笑みを崩すことなく、こゆきの頭に手を置く。
「まったく、こゆきはお転婆だな。お母様の言うことはちゃんと聞かなくてはいけないぞ?」
さあ、もうお帰り。そうやさしく諭すと、こゆきは子犬のように家の方へと駆けていった。そんな少女を見送り、萩羽はこちらを向く。爛火は何となくバツが悪くてフイッとそっぽをむいた。
「先入観さえなければあの反応が普通さ。」
そう言って、萩羽はまた、こゆきの駆けていった方を見やる。その瞳にはやさしい光が溢れている。妖鬼の恐ろしさも、残酷さも知らぬ幼い少女。だからこそ、あの満面の笑みは爛火に向けられた。数年後、あの笑みが自分に向けられることはなくなるだろうと、喪失感にも似た感情を胸に抱きながら爛火は萩羽にならって、あの少女が向かっていった方を見る。すると、萩羽が再びこちらに向き直って微笑んだ。
「変わらぬとおもうぞ。あれは。」
こちらの心理を見透かしたような言葉に爛火は、息を一瞬止める。そして、苦虫を噛んだような顔をして踵を返した。
「変わるさ。今に。」
「…そう思いたければ、思っているといい。だが、変わらぬよ。あれは天然だからな。」
クツクツと喉を鳴らしながら、笑って即答する萩羽に、爛火はやはり腑に落ちないという顔をする。
「お前はなぜ、そう俺に構う? 何の得もないだろう?」
心底不可解そうに尋ねる爛火に、萩羽も不可解そうな様子をあらわにした。
「得がなければ人と関わってはいけないか?」
鋭く、強い視線に爛火は口ごもる。萩羽はなお続けた。
「お前と話したいからここに来ている。他には何も目的はないし、なくてはならない必要もない。お前は嫌か? 私と話すのは。」
嫌ではない。だが、妙な感じだ。居心地が良いのか悪いのか。今までとは全く違う接し方に戸惑う。頭の中が混乱して、どうしたらいいのか、さっぱりわからない。そんな頭でなんとか爛火は言葉を絞り出す。
「知らん。俺にそんなことを聞くな。」
困惑の色で一色の爛火の顔に、萩羽は何も言わず
、ただ沈黙を守った。吹き抜ける風が冷たくなる。西の空は次第に朱色に染まっていった。萩羽はその時笑い声をかすかに聞いたような気がした。「モウスグ……、モウスグダ。」と。
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